変わりたい時

2018.12.07.

問題の原因の見立ては

問題の原因の見立てが
最初からドンピシャ!ということは
そうそうない。

きっとこうだろうをやってみては違い、
じゃぁ、これは?!を繰り返すうちに
どんどん精度が上がっていく。

だからこそ、
とっとと手をつけないと
繰り返す時間がなくなってしまう。

2018.11.29.

始め良ければ終わり良し

結果を分けるのはスタート時の想いだと思う。

どんな思いで始めるのか?!
誰をみているのか?
何のためにしているのか?
といった最初の想いは結果に作用する。

じゃぁ、「終わり良ければすべて良し」は?

途中、うまくいかなくなった時にきっと、
スタートした心根を修正した場合、
終わりが良くなるのだと思う。

想いのエネルギーは強力だ。
何のためにやっているのかといった心根は必ず結果に影響する。

2018.11.28.

キャラ変え

セルフのB(自己認知)を緩めるときは
キャラ変えが必要となる場合がある。

これってちょっと辛い。
というか恥ずかしい。

今まで慣れ親しんだ自分のキャラクターは
面倒なところもあるが、
助かってきたから使い続けている訳で。
愛着もある。

これがなぜかいつもの自分に戻ってしまう、
揺り戻しの正体。

キャラ変えか…。

変わる前から考えても仕方ない。

自己認知を緩めながら変わり、
変わりながら自己認知を緩めていく。

2018.11.25.

やり方とあり方

なぜ痩せないのか?
なぜ走れないのか?
なぜ英語ができないのか?

どうやったら痩せるのか?
どうしたら走れるのか?
どうやれば英語が勉強できるのか?

やり方ばかりが気になっている時は
力がないと言っているようなもの。

前に進めないときは
無自覚の「できない」自己認知が足を引っ張っている。

そこにすでに力があることに気づけない。

2018.11.24.

まずは一歩

経験を積むほど勘が冴える。

成功したからわかる勘所があり、
失敗したからこそ知り得る勘所もある。

何事をやってみないことにはわからない。

出来る出来ないより
まずは一歩前に進むこと。

一歩進むことだけに注力する。

2018.11.22.

あなたの認知は現実に映し出される。

前回、初打席で自打球を受けた時に
監督が慌てて駆け寄ってきて
自打球を受けない方法を説くことなく、
「自打球は怖くない」と言ったことで
自打球が怖くなって野球をやめてしまった話を例に
認知は出来事をどう解釈したかで決まる話を書いた。

今日はこの話を監督の立場から見てみよう。

監督は初打席に入った子どもが
自打球を受けたのを見てマズイ!と思ったはずだ。

初打席で自打球を受けるなんて
怖がって野球を辞めてしまうかもしれないと。

だから、
駆け寄ってきて「自打球は怖くない」と言ったが
案の定、少年は野球をやめてしまった。

監督がもし、
「自打球を受けたからって野球をやめるわけない。
慣れれば、上手に打てるようになる。」
と考えていれば、
冷静に、
「バットの出し方を変えれば自打球にはならない」
とレクチャーできたかもしれない。

監督には過去に
自打球を受けて野球をやめた少年がいて、
自打球を受けた=野球を辞めてしまう
といった認知が発動したのかもしれない。

認知は現実に映し出される。

監督の認知が
「自打球を受けた少年が野球をやめる」現実を
作り出した。としたらどうだろう。

起こっている現実を見ることで
無自覚なあなたの認知がわかる。

2018.11.21.

認知は出来事をどう解釈したかの結果

質問を受けた。

小さい頃、木登りが好きで
その時は結構高いところから落ちても
木登りを止めることがなかった。

一方、
初めて野球をして打席に入った際、
自打球が当たった。
監督が駆けつけてきて「自打球は怖がらなくていい!」と
なんども言った。
が、野球はやめてしまった。

同じ痛い思いをしているのに
木登りは続けて野球を辞めてしまったのは
何の違いでしょう?

そう。これこそ認知の違い。

木登りの際は
こうしたから落ちたんだ。
次はこうすれば大丈夫!落ちない!と
「コントロールできる」認知ができたが、
自打球の場合は、
監督が自打球にならないためには
バットはこう出すべきだと理論的に教えずに、
「自打球は怖くない」と精神論で言うだけで
コントロールする方法を教えなかったことで
自打球は「コントロール不能のもの」という認知ができ、
怖くなってしまった。

同じ痛い出来事でも大きな認知の違いがある。

人の変化には
出来事をどうフィードバックしたかの「認知」が
最も大切なんだ。

この「認知」が書き変われば
人はいとも簡単に変わることができる。

この話には別の視点での解釈も面白い。
続きは明日。

2018.11.20.

全てが間違いだったという視点

受け入れがたい出来事や、
やってしまったことは肯定しなければ進めない。

私たちはその状況を正当化するために
肯定的な理由をみつけて
前に進んできている。

つまり、
起こったことへの肯定感を増すために
強化している「正しさ」を持っている可能性がある。

ならば一度、
全てが間違いだったという視点に立って
見直してみると思わぬ発見があるかもしれない。

2018.11.19.

出会い

出会いは貴重だ。

いつ、誰と出会うかは
人生を大きく変える。

娘も息子も中学で良い先生と出会えた。
私も良い先生方に出会ってきた。

出会いを待っていてはもったいない。
作り出すんだ。

本を読んで、いい!と思ったら実際に会いに行く。
やってみたいことがあればどんどんやる。
新しい場に行ってみる。

誘われたら乗ってみる。
断るかどうかは相手が決めることなので
取り急ぎ、誘ってみる。

行けないときは仕方ないし、
誘われたから行っただけがハマる時もある。

結果は天に任せるしかないが、
自分でやれるプロセスは全てやってみよう。

2018.11.18.

変化の兆し

進歩は目に見えにくい。

同じことを何度も繰り返しているだけのように感じる。
一体、いつになったら変わるんだ?と
やっていることが意味のないことのようにさえ感じる。

それは変わる前の兆し。
本気で変わる気があるのかどうかの最後のテストなんだ。

夜明け前が一番暗い。

もうダメかも…と感じるときは
次の一手でいよいよ夜が明ける。