2018.11.21.

認知は出来事をどう解釈したかの結果

質問を受けた。

小さい頃、木登りが好きで
その時は結構高いところから落ちても
木登りを止めることがなかった。

一方、
初めて野球をして打席に入った際、
自打球が当たった。
監督が駆けつけてきて「自打球は怖がらなくていい!」と
なんども言った。
が、野球はやめてしまった。

同じ痛い思いをしているのに
木登りは続けて野球を辞めてしまったのは
何の違いでしょう?

そう。これこそ認知の違い。

木登りの際は
こうしたから落ちたんだ。
次はこうすれば大丈夫!落ちない!と
「コントロールできる」認知ができたが、
自打球の場合は、
監督が自打球にならないためには
バットはこう出すべきだと理論的に教えずに、
「自打球は怖くない」と精神論で言うだけで
コントロールする方法を教えなかったことで
自打球は「コントロール不能のもの」という認知ができ、
怖くなってしまった。

同じ痛い出来事でも大きな認知の違いがある。

人の変化には
出来事をどうフィードバックしたかの「認知」が
最も大切なんだ。

この「認知」が書き変われば
人はいとも簡単に変わることができる。

この話には別の視点での解釈も面白い。
続きは明日。