
限られたエネルギーだから
限られた時間やエネルギーであることを考えると
その方向は選ぶ必要がある。
付き合いたい人か、
どうでも良い人か、
距離を取りたい人なのか。
全力をかけたいことか、
どーでも良いことか。
もちろん、人や事によって
接し方ややり方を変える必要はない。
誰と接するときも
何をやるときも自分自身で居続ける。
ただ、大切なエネルギーを同じように使うのなら
付き合いたい人ややりたいことに
より多くの時間とエネルギーを割くように意識する。

限られた時間やエネルギーであることを考えると
その方向は選ぶ必要がある。
付き合いたい人か、
どうでも良い人か、
距離を取りたい人なのか。
全力をかけたいことか、
どーでも良いことか。
もちろん、人や事によって
接し方ややり方を変える必要はない。
誰と接するときも
何をやるときも自分自身で居続ける。
ただ、大切なエネルギーを同じように使うのなら
付き合いたい人ややりたいことに
より多くの時間とエネルギーを割くように意識する。

良い時も悪い時もなぜ人は
この状態がずっと続くと思ってしまうのか。
ずっと続いたことなどひとつもないのに。
全てが刻々と変化している。
近しい状況はあるかもしれないが、
何もかも同じことなどひとつも無い。
それがわかっているのに
悪い時は良い時が来るとは思えないし、
良い時はずっとこの状態が続くと誤解してしまう。
全ては移ろいいくものだと
意識していないと
悪いことには簡単にくじけそうになるし、
また、良いことにも感謝が薄くなってしまう。

最近の日本語のナチュラルという言葉には
私は少し違和感を覚える。
「ナチュラル」と「自然体」には
少し距離があるように感じるし、
「ナチュラル」ってちょっぴり飾られてる気がするし、
自然体を意識すると不自然になる気がする。
良い言葉が思い浮かばない中、
「プレーン」という言葉が耳に入ってきた。
プレーン!なかなか良い。
ピザの具なし、トッピング無しって感じで
そのまんま感がある。
プレーン、良いな。

4nessコーピングのセミナーは
答えややり方をレクチャーする類の講座ではない。
私は講師ではあるが、
そういったスタンスも取ってないし、
残念ながら、講師と言えども人生の教科書は持ち合わせていない。
感情をヒントに、
気づきを得、解釈し、実験と検証を重ねていきながら
自分を統合していく成熟の旅をご一緒している仲間にしか他ならない。
もちろん、私が気づいていることもあるが、
受講生の変化に驚ろかされることもあるし、
これか!と共に気づくこともある。
このスタンスは
今後もきっと変わらない。
ゴールが不明瞭だからこそ
こんなところに来れるんだ!という想定を超えた世界を
垣間見れるんじゃないかと思うと
ワクワクする。

年齢を重ねると花鳥風月を頭から順次、
愛でるようになるといったことをテレビで言っていた。
息子は嬉しそうに振り向き、
ママはどこまで?と尋ねてくる。
SNSは花の写真が異様に多い、
朝は鶯の鳴き声が聞こえる、
風はいつも感じて、
月を探して夜は空を見上げてしまう。
あぁ…全てだ。
上品な品格とは程遠いままだが
年齢だけは重ねてるということかな。

見えるものだけに頼って生きると
かなり危険だ。
私たちが見えているものなんて
ほんの、わずかでしかない。
口にすることが皆、正直とは限らないし、
つじつまが合わなくても一瞬、
垣間見た世界の方が正しいと確信することもある。
何が起こっているかはわからないが
何かが起こっているかもといった想定があるだけでも
随分、世界の奥行きが見える。

先日は1時間、講座の開催時刻を遅らせてもらって
息子の部活の決勝戦を観戦。
受講生が皆、快く時間を変更してくれたお陰で
息子たちが優勝する姿をこの目で見ることができた。
本当にありがたい。
重ねて講座予定は
子ども達の年間行事が出てからにさせていただいているので
本日の新学期初日を迎えるまでほぼほぼノープラン。
みなさん快く、私の「母」の部分を
受け入れていただいている。
本当にありがたい。
さぁ!今日から新学期が始まるよぉ!

例えば、学生の頃、
部活をやってたらどんなトレーニングも、
先輩との上下関係でも
「我慢するのが普通だろ⁈」といった、
我慢を当然と受け入れているものがある。
しかし、勉強のことに関しては
全く我慢が効かずにダメだったりする。
こっちの分野では大概平気なのに
あっちでは全く堪えが効かない。
もちろん、意欲や得手不得手はあるだろうが、
どの程度を普通と感じ、何が当然と見立てるかで
やれることは変わってしまう。
「当然」のレベルの違いは
「やれること」の違いとなっていく。
「当然」のグレードを上げていかないと!

「あと5年10年若かったら…なんて考えないと思ってたのに、
体力に自信がない。」と声を震わせる70代の大好きな先生。
そうなんだろう。きっとそうなんだ。
どんどん無くなってゆくんだろう。
肌の張りも声の張りも体力や気力も。
私だって50代になって
あって当然だったものを失っていく感覚が確実にある。
歳を重ねるってきっと、
絶望を味わうか、喪失感を乗り越えて自己の統合を測るか、
なんだろうな。

この季節、ブログに使う写真にどうしても花や緑の写真が多くなる。
道々の花が咲き誇り、緑には勢いがあるから
目を奪われ立ち止まってしまう。
花たちも春を待ち望んでいたのがよーくわかる。
春が来る!
今までがリハーサルとは言わないが
2019年の本番がやってくよう。
春眠、暁を覚えないが
目を大きく開いて今日を丁寧に過ごそう。