
花鳥風月
年齢を重ねると花鳥風月を頭から順次、
愛でるようになるといったことをテレビで言っていた。
息子は嬉しそうに振り向き、
ママはどこまで?と尋ねてくる。
SNSは花の写真が異様に多い、
朝は鶯の鳴き声が聞こえる、
風はいつも感じて、
月を探して夜は空を見上げてしまう。
あぁ…全てだ。
上品な品格とは程遠いままだが
年齢だけは重ねてるということかな。

年齢を重ねると花鳥風月を頭から順次、
愛でるようになるといったことをテレビで言っていた。
息子は嬉しそうに振り向き、
ママはどこまで?と尋ねてくる。
SNSは花の写真が異様に多い、
朝は鶯の鳴き声が聞こえる、
風はいつも感じて、
月を探して夜は空を見上げてしまう。
あぁ…全てだ。
上品な品格とは程遠いままだが
年齢だけは重ねてるということかな。

見えるものだけに頼って生きると
かなり危険だ。
私たちが見えているものなんて
ほんの、わずかでしかない。
口にすることが皆、正直とは限らないし、
つじつまが合わなくても一瞬、
垣間見た世界の方が正しいと確信することもある。
何が起こっているかはわからないが
何かが起こっているかもといった想定があるだけでも
随分、世界の奥行きが見える。

先日は1時間、講座の開催時刻を遅らせてもらって
息子の部活の決勝戦を観戦。
受講生が皆、快く時間を変更してくれたお陰で
息子たちが優勝する姿をこの目で見ることができた。
本当にありがたい。
重ねて講座予定は
子ども達の年間行事が出てからにさせていただいているので
本日の新学期初日を迎えるまでほぼほぼノープラン。
みなさん快く、私の「母」の部分を
受け入れていただいている。
本当にありがたい。
さぁ!今日から新学期が始まるよぉ!

例えば、学生の頃、
部活をやってたらどんなトレーニングも、
先輩との上下関係でも
「我慢するのが普通だろ⁈」といった、
我慢を当然と受け入れているものがある。
しかし、勉強のことに関しては
全く我慢が効かずにダメだったりする。
こっちの分野では大概平気なのに
あっちでは全く堪えが効かない。
もちろん、意欲や得手不得手はあるだろうが、
どの程度を普通と感じ、何が当然と見立てるかで
やれることは変わってしまう。
「当然」のレベルの違いは
「やれること」の違いとなっていく。
「当然」のグレードを上げていかないと!

「あと5年10年若かったら…なんて考えないと思ってたのに、
体力に自信がない。」と声を震わせる70代の大好きな先生。
そうなんだろう。きっとそうなんだ。
どんどん無くなってゆくんだろう。
肌の張りも声の張りも体力や気力も。
私だって50代になって
あって当然だったものを失っていく感覚が確実にある。
歳を重ねるってきっと、
絶望を味わうか、喪失感を乗り越えて自己の統合を測るか、
なんだろうな。

この季節、ブログに使う写真にどうしても花や緑の写真が多くなる。
道々の花が咲き誇り、緑には勢いがあるから
目を奪われ立ち止まってしまう。
花たちも春を待ち望んでいたのがよーくわかる。
春が来る!
今までがリハーサルとは言わないが
2019年の本番がやってくよう。
春眠、暁を覚えないが
目を大きく開いて今日を丁寧に過ごそう。

環境対応的に作られた自己認知は
無意識の領域にある。
そんな無意識の領域を取り扱う弊社のセミナーは
自身の中心にどんどん近づいていくようなもの。
中心に近づくほど
大切な情報を見逃さなくなる。
気づけるようになる。
どんどん豊かさが増していく。
その豊かさは私たちの意識を超える。
意識と無意識を行ったり来たりしながら
環境適応的に作った自己と
本来の自己との統合が行われていく。
たのしい!
環境適応的に創られた自己は皆、持っているはずだから
今の自分との統合が進むと
新たな自己が創られていくという楽しみを皆、
持っているということで、
それは人生において
かなり興味深い、楽しみごとじゃないかと思う。

自由を取り扱えるのは成熟した大人だけだ。
憧れた自由は
羽のように軽いはずだったのに
未成熟なまま自由を手に入れると
沼地のように足を取られて不自由にさえ感じる。
何をしようが、何もしまいが自由な時間は
与えられた人によって
活かすこともできれば、殺してしまいかねない。
自由をうまく活かすには
時間割が有効だ。
時間割というと学生の頃を思い出して、
苦笑いしてしまいそうだが、
あの村上春樹さんもフリーになった際、
時間の管理の軸として
マラソンを始めたと何かに書いてらした。
リズムが作れる大人の時間割は
自由を取り扱う鍵となる。
仕事量やタスクで
自由をマネジメントするのもひとつの手だが
リズムが刻みにくい。
その点、
ざっくりとでも時間割を作ってしまえば
自分のペースができ、
何より、いちいち選択するといった
エネルギーの無駄を回避することができる。

充実感はコンスタントに繰り返される日常にある。
達成感と充実感は別。
達成感は何かを成し得た時に味わい、
充実感は日々のプロセスに感じる。
自分が決めた、
ちょっとだけ背伸びしたようなことを
自分でやれている!
結果が出ているわけではないので
誰も気づかないのだけど
自分が「今日」に納得いく感覚。
良い1日を過ごした感覚は美味。
その味を充実感というのだと思います。

自分が信じられず、
最大の敵は自分で、裏切るのも自分なのに
「ほらーっ!そうなるでしょ。」と
自分が自分を野次る。
他者がいるようで、誰もいない自分だけの世界。
自分で覗き込んで、
自分で回して一喜一憂している自分の人生は
まるで万華鏡のよう。
そんなカラクリに気づいたら
自分を信じてみたらいい。
自分だけでも自分を信じてみたら
何が起こるかを確認したことって、
子どもの時以来、ないでしょ?
自分を信じてみる。
どっぷり自分を信じる時があっても
人生100年と言われる今、損はないはず。