
地図の縮尺度
少しづつ少しづつコトは進む。
毎日、わからない程度に変化していく。
同じ場所に居続けることはないけど
人は自分が停滞しているように
感じてしまう時がある。
全く動いてないように地図上で見えも
縮尺を大きくするとはっきりわかるように、
測る物差によって
出来事や自分への解釈は変わってしまう。
地図にもさまざまな縮尺度があるように
私たちもその時々によって
物差の尺度を変えてみると見えるものがある。

少しづつ少しづつコトは進む。
毎日、わからない程度に変化していく。
同じ場所に居続けることはないけど
人は自分が停滞しているように
感じてしまう時がある。
全く動いてないように地図上で見えも
縮尺を大きくするとはっきりわかるように、
測る物差によって
出来事や自分への解釈は変わってしまう。
地図にもさまざまな縮尺度があるように
私たちもその時々によって
物差の尺度を変えてみると見えるものがある。

模試を終えた高3の娘が、
プレッシャーで試験中、何もできなくなったと言う。
おぉ!いい経験だ。
試験だけじゃなくて人生もそうじゃない⁈
ママもそうだったから。
私は興味本位で気軽に始めて大概、
最初は全くダメ。
恥をかいたり、歯が立たなかったり。
準備不足で焦って何も手につかないことが
いつものパターン。
最初からトントンと行くことはまずない。
それでいい。
そこから火が付くものがある。
そんなリズムが流れてる。
本番じゃなくてよかったね!
それに、もしだけのことじゃない。
この経験が自分の人生の大きなヒントになる。
大概、良いことはダメな装いで現れるから。

自分が自分をどう思っているかが
現実に与える影響は思っている以上に大きい。
自己概念というのは
他者が自分をどう扱うか、
人に自分がどう扱われてきたかで決まる。
自己概念とは絶対的なものではなく、
実は相対的に作られている。
その人がいた環境によって
今の自己概念は作られた訳で、
つまり、少し世界を広げてみると
自分像は如何様にも変われる。

人はいつもその時のベストを
選択している。
だから、
これでいい。
この選択でいい。
この選択でいいんだ。
あかんかどうかは誰にもわからない。
あかんかった時に考えよう。

人はよくどちらかで悩みます。
右か左か、AかBか、正しいか間違っているか、
安心か不安か、対峙か妥協か…
3つ目の選択がないか
考えを巡らせてみましょう。
どちらかでなければならないと
思い込んでいるだけかもしれません。

友人にはベストなアドバイスができる。
効果的なアドバイス。
しかし、自分となると
途端に思考停止になったり
考えすぎたりしてしまう。
だから、
友人が自分と同じ状況だったら
何とアドバイスするかを考えてみる。
視点が変わると
見える景色は変わる。

自分だけでは自分という存在は際立たない。
人との関わりの中に自分が在る。
それはまるで真っ暗な洞窟を歩くようなもので、
頭をぶつけて初めて高さがわかり、
腕を広げて初めて幅がわかり
転んで初めて路面の状態がわかる。
そうやって進むうちに
どんどん理解が及び、
どんどん進めるようになっていく。
世間は洞窟と違って見える部分も多い。
世の中で自分を立てる。
自分を活かすとはそういうことじゃないのかな。

選ぶことは難しいね。
それ以外を捨てることだから。
アレもコレもは同時に得れないが
選ぶことによって得れるものがある。
それは、
自分が何を大切にしているのか、
何を最も重要視したいのかといった
自分の価値観。
選択したもの以外を捨てることによって
得るものは多い。

うまくいかないな…と感じるときは大概、
自分に厳しすぎている。
優しい指導だけでも人は育たないが、
厳しすぎる指導だけでも人は成長が遅くなる。
人が健全に育つためには
父性と母性、その両方が必要だからだ。
成長が遅いと感じるときは
父性か母性の、
どちらかに偏った言葉ばかりを
自分にかけている。
父性ばかりで厳しかった人は自分をねぎらい、
母性ばかりで優しすぎた人は
期限やルールを持ち込んで自分に厳しく接してみよう。
ぐーんと進む感覚がわかるはずだ。

美味しいカレーを作ろうと張り切って、
隠し味をあれやこれやと入れすぎて返って、
違うなぁ…となってしまったことはないだろうか。
いつも通りに作った方が美味しかったんじゃ?
といったこと。
よくやろう!うまくやろう!と考えるより
普段通りを心がけた方が
スムースにいくことは意外と多い。