
‘もっと’を手放したら⁈
もっと幸せになりたいを手放したらどうだろ?
求めないなら案外、充分だったりしない?
優しいパートナーに
すくすく育っている子ども達。
両親は健康で、兄弟は仲良い。
上出来な現場だったりしないだろうか⁈
現実にそぐわない、
高い理想を求めていたのかもしれない。
挫折感は強い刺激を求めすぎる故のもので
孤独はあり得ないような深い関係性を
求めてるからなのかもしれない。
求めるモノが高すぎたり、美しすぎたら
常に挫折感と見捨てられ感が伴う。

もっと幸せになりたいを手放したらどうだろ?
求めないなら案外、充分だったりしない?
優しいパートナーに
すくすく育っている子ども達。
両親は健康で、兄弟は仲良い。
上出来な現場だったりしないだろうか⁈
現実にそぐわない、
高い理想を求めていたのかもしれない。
挫折感は強い刺激を求めすぎる故のもので
孤独はあり得ないような深い関係性を
求めてるからなのかもしれない。
求めるモノが高すぎたり、美しすぎたら
常に挫折感と見捨てられ感が伴う。

なぜ出来なかった?どうして?と
自分を攻めることに多くの時間を使ってないか?
こうなったら?
あんなこと言われたらどうしよう?と
また起こってないことへの不安に多くの時間を使ってないか?
後悔は変わらない過去に、
不安はいくら考えてもわからない未来に目を向けていて、
今が抜けてしまっている。
ある程度の後悔は自然だが、
度を超えた後悔をし続けても責任の免罪符とはならない。
適度な不安はリスクヘッジとなるが、
膨らみすぎた不安はお守りにもならない。
大きくなりすぎる不安や堂々巡りする後悔は
他人の目ばかりを意識しているからじゃないか?
何事もやってみなければわからない。
何も恐れる必要はない。
やってあかんかったら、
やり方を変えてやればいい。
2歩進んで3歩下がるでいい。
探り探りでいいんだ。

ニュースの際に
『桜は冬が寒いほど開花が早まる。』と、
例年より9日ほど早く咲いたことを
アナウンサーが言っていた。
冬が厳しいければ厳しいほど
早く春のおとづれを感じるとは…。
人も同じやん。
厳しい時間と
春のおとづれの早さは比例する。
自然の真理なんだなぁ。

だから、
子どものためにできなかったとか
家族がいたからできなかったと
言わないために工夫してでもやりたいことをやる。
あなたのために我慢したと言われたら
私が子どもだったら嫌だろうし、
もちろん、家族のためにやりたいことを
やらないこともあるが、
それはやりたいことを我慢しているというより
やりたいことが家族のことなんだ。
家族のせいで自分のことが出来なかったのは
私のことより家族のことをやりたかったとは違う。
自分がやりたいことをやることには
その責任を自分がとる覚悟が必要となる。
しかし、思うんだ。
私がやりたくないようにやったとしても
誰も私の人生の責任は取ってくれない。
結局、
私の人生の責任は私が取らなければならない。
仮に失敗したとしたら
やりたくないことをやった責任は後悔を伴うが
やりたいようにやった責任は
私がやりたかったんだから!とまだ諦めがつく。
せめて
潔く諦めがつく選択をしたいと思う。

私には私の活かし方がある。
活かし方は違う。
その時々に柔軟に働きかけた方が
うまくいくタイプもいれば
ストイックに短期的に成果を上げるやり方が
うまくいくタイプもいる。
さらに
学習に関してはこうで、
スポーツに関してはあっち。
人間関係に対してはこっちなど、
その対象によっても
やり方が違う場合がある。
自分に合うやり方を見つけるには
『自分に合うやり方はどれだろう』といった
意識を持った試行錯誤が必要で、
活かし方がつかめれば例え、
それが周りの人と違った方法だとしても
歪みのない覚悟が必要となる。
私に取り組めるのは私しかいないし、
あなたを活かすのはあなたなのだから。

何もしたくない怠け心と
生産的な活動をしなければといった脅迫観念が相まって
退屈というストレスを生み、
結果、無駄な時間を過ごしてしまう。
生産性と効率性を追った結果、
非生産的で非効率的になることはよくあることで、
非生産で非効率は疲れを増す。
落ち着いて振り返り、
こんなにも疲れるくらいなら
何もしたくない自分を許してあげれたら
肉体のリカバーという意味の生産性が増したのかもしれない…と
悔やんでさらに疲れていく。
ずーっと生産的も
ずーっと効率的もなければ
ずーっと非生産的も
ずーっと非効率的もないんだよ。

定まらない間は揺れ続ける。
こうかな⁈あぁかな⁈と
揺れているときはキツイ。
あぁでもない。
こうでもない。
と右往左往している間は
エネルギーをどんどん消耗する。
これだ!と明確なものに出会えればいいが、
うっすらとでも充分なんだ。
これかも…と進む方向がぼんやり見え、
やることがわかれば後は進むだけ。
随分とラクなんだけどなぁ。
ただ、
『後は進むだけ』の本番を恐れて
見つけたいけど見つけたくないゲームから
出ようとしてないのなら…別よ。
ゲームをやってる間もすでに人生の本番なのに…終わっちゃうよ。
そういう生き方を
あなたが自覚して選択しているのであれば
それもよいけど…ね。
写真:都会のモアイ像🗿に見えない?

思春期の娘は
勉強もだるい。
部活もだるい。
遊ぶことだって、腰をあげるこだって
だるそう…。
よく寝てる。
そういうのって、
綺麗に現代風で言うと『意欲が湧かない』とかに
なるのかもしれないけど、
怠け者って言うんだよ。
と伝えるとニヤッと笑った。
なまけるって楽そうだけど
本当は動けた方が楽なんだよ。

野球に疎い私だが
イチロー選手のマリナーズ入団会見での
記者とのやり取りは思わず
会話を改めてネットで調べてしまった。
――2012年にトレード移籍してから5年半。選手としてどう変わったか?
「いろいろなことを経験しました。この5年半。また耐性が強くなったと思います。耐性というのはいろいろなことに耐える能力、これが強くなった。明らかに強くなったと感じています。」
と、屈辱も味わった時期を語っている。
『屈辱の時期=また忍耐が強くなった』という、さすがの認知!
「経験×さすがの認知」によって
彼はより深く強化されている。
経験を積んだ強さというのは
こういうことじゃなかろうか。
最後に、
――チームのために何でもするという気持ちは18年目で初めて生まれた?
との質問に対して丁寧に答えた後、
「〜〜〜印象としては、ケージの中で一番大きく育ってしまった犬を優しく迎えてくれたような。それに対してすべてを捧げたい、忠誠心が生まれるのは当然のことだと思いますね」
と締めくくっている。
勝負の世界で生きるとはなんと…。
事実を受け入れる強さと事実を受け入れた哀しさは
愛を深めるということなんだろうな。

あれもこれも手を出して
結局、どれもダメやん!と
無駄に月日を費やしてしまうことがある。
本当はどれかひとつで良いんじゃ⁈
ひとつ出来たら実はすごいんじゃ⁈
ひとつに全力を注いだら
同じ月日を費やしたとしても
少なくともひとつは成していただろうに…。
思いっきって、ひとつに絞る力を養う。
ひとつに決めるということは、それ以外を捨てること。
勇気が要るが有効な手段の一つだ。