
私的にはどう?
これが一番大事。
あなた的にはどうなの?
これがいいと思ってるの?思ってないの?
誰がどう思うとか、
どんな風に期待されてると
どーでもいい。
私的にいいならいいじゃん。
私的にどうなの?

これが一番大事。
あなた的にはどうなの?
これがいいと思ってるの?思ってないの?
誰がどう思うとか、
どんな風に期待されてると
どーでもいい。
私的にいいならいいじゃん。
私的にどうなの?

環境が整うことを待っていたら
何も出来ない。
環境が万全になることなんてことはない。
と、理解しておく必要がある。
理解する効用は、
環境が整えば…といった言い訳がなくなる。
事実を観れるようになる。
理想の環境を自ら整えていくことが可能となる。
あなたの求める環境が自動的に万全になることはない。
そこを理解したら、
さて、どうする?

息子の銀歯が抜けたので歯医者に連れて行くと
神経まで及んでるか?という状態。
歯磨きも隅々まで磨けてないとのこと。
息子の横で説明を受け、
すいません。。。と頭を下げて受付にいると、
「こうなったのは全て君が悪い!君の責任だ!」
と叱っている先生の声が…。
いつも穏やかな先生なのに、、、
あぁ…有り難い!
目に余るものがあったのだろうけど、
今時、他人の子を叱ってくれる大人は居ないよ。
会計で、幾らか多く支払おうかと思うほど
ありがたい。

無理はまだ効く。
若い頃のようにはいかなくてもまだまだ踏ん張れる。
しかし、
リカバーがスムーズにいかない。
何日もかかってしまう。
通常に戻るのに
大量の時間がかかるとなると
計画通りにコトを進めた方が
ギリギリになって終わらせるより
肉体的には楽じゃないか?と思うほど。
規則正しい生活をしなければ!から
どんどん
規則正しい生活をしていた方が楽だ!
に変わっていく。

努力=我慢、辛い
といった認知を持っている人は少なくない。
それは努力の木になる果実の旨みを味わったことがないだけ。
やるべきことをやらずに休んでいても
休んだ気にはなれないが、
やるべきことをやっている時は
例え苦しい時間があってもやっぱり清々しい。
努力=辛いのは最初だけ=努力した分、自分が伸びる=楽しい!
つまり、
努力=楽しい
なんだよ。
努力の先にある喜びを知っていれば、
努力は楽しいものでしかないんだよね。

仕事はこの人のやり方と比較し、
家庭環境は別の人と比較し、
趣味の域ではさらに別の人と比較する。
ジャンルごとに比較する人を変えて、
如何に自分がダメかを考えてない?
そりゃ、いつでも負け試合になるよ。
出来てるところだけを比較すれば
周りは全てスーパーマン。
できなかったことを悔やむのは
思っているほど有効ではないし、
皆、人間なのだから
やれるものもあれば
やれないものもある。
どんなにすごく見える人でも人は人。
何かが長ければ、何かがあかんかったりするものさ。

肉体疲労もさることながら、
考えすぎて疲れてしまっている人は多い。
考える時間と感じる時間の良い頃合いが大切で、
そのバランスはもちろん人によって違うのだけど、
考えない時間をネガティブに捉えていると
感じる力を封印しようとしてしまう。
考える力を盲信するのは
生産性を重視しすぎるから。
生産性を追い求めた結果
非生産的になってしまってないか。
感じる力は私たちの意識を超える。
考える時間を意識して抑え、
感じる時間を増すと
肉体は健康度があがり、
考える時間の質も上がる。

PHPスペシャル10月号
「ひとり」の習慣が幸せを呼ぶ
で6ページにわたり執筆しています。
自分との関係、みんなとの関係、
そこには目に見えない境界線がある。
ぜひ、お手にとってご覧ください。

自分のことを決める時、
勝手に周りに配慮したり、
誰かの期待を言い訳に使ったり、
いろんなバイアスがかかる。
しかし、
もし自分の子どもが同じ選択をするとしたら?
と考えると明確に答えが出る。
子どもにやって欲しいと思っていることを
自分がやるべきだ。
子どもにはやってほしくないことを
自分はやめるべきだ。
仕方ない…とは到底なれない。

時間があれば…と普段、感じているにも関わらず
いざ時間ができるとぼーっとしてしまう。
痩せさえすれば…とダイエットを頑張っても
すぐにリバウンドしてしまう。
資金さえあれば…と思っていたのに
いざ資金ができると
ただただ使い果たしてしまう。
つまり、時間や体重、資金は問題ではなく
本来の課題に向き合わないためのダミーの悩みとして、
自己防衛の手段として選んでいる。
としたら
見えてくるものがないだろうか。