
自分の望みがわからない時は
孤独になりたくないと
孤独を強く意識することで孤独になってしまう。
人とのつながりを切望しているからこそ
人との衝突や傷つくことを回避しようとし
つながりを創ることができない。
強く望む、求めるということは
無い、欠けていると意識することと同様で、
心から望むからこそ、
得られなかったショックや傷つきを避けたいと思うあまり
望んでないことにしてしまう。
あまりにも自分へのトラップが巧みすぎて
何を望んでいるのかわからなくなってしまう。

孤独になりたくないと
孤独を強く意識することで孤独になってしまう。
人とのつながりを切望しているからこそ
人との衝突や傷つくことを回避しようとし
つながりを創ることができない。
強く望む、求めるということは
無い、欠けていると意識することと同様で、
心から望むからこそ、
得られなかったショックや傷つきを避けたいと思うあまり
望んでないことにしてしまう。
あまりにも自分へのトラップが巧みすぎて
何を望んでいるのかわからなくなってしまう。

所詮、自分がどう思われるかは相手に寄る。
優しい見方をする人もいれば、
厳しい見方、意地悪な見方をする人もいるだろう。
その人の主観なんだから、
誰にどう思われるかを気にする必要はないんじゃないか。
気にするなら
自分が周りの人をどうみているかの方だ。
優しい見方なのか?
厳しすぎないか?意地悪じゃないのか?

やりたいことを抑えて
やるべきことをやることは大切だ。
しかし、
やるべきことがやりたいことからかけ離れていたり、
やりたいことに全く手をつけられない状態が長く続くようでは
鬱憤が溜まい、
やりたいことをやっているを見ると
イライラしてくる。
私はやりたいことをやっていないのに!と
自分の不満を関係ない相手に投影してしまう。
やりたいことをやることは自然なこと。
自分のやりたいことを優先するということは、
相手のそれも受け入れるということ。
必ず一方方向ではなく、双方なんだ。

「こんなことに捉われていたのか」
と自分にブレーキをかけていたものを自覚し愕然とするケースは多い。
そんなもんなんだよ。
気づいてしまえば「そんなもの」だが、
あなたが身を置いている環境が「そんなもの」を大切にしている場なら、
「そんなもの」になかなか気づけない。
だからこそ、
誰と付き合うのか、
どんな環境に身を置くのかは注意深く選ぶ必要がある。

大好きな母や父を守るため、
「私もそうだよ!」と同じ立場を取るために
幸せを選ばないという考え方がある。
大変そうな母や報われない父を
孤独にしないために
自分もそうである人生を選ぶ。
それは、あなたの人生なのだろうか。
母や父の為の人生を生きていないか?!
自分の人生を生きるとは
思春期を過ぎ、自立し、
周りから影響を受けた出来事の、人生の解釈を
自分で選び直すことかもしれない。
自分で選択する人生を選ぶためには
思い込んでいる出来事に対する解釈があると
一度、疑ってみる必要がある。

どんな怒りやイライラも
自分に向けられている。
誰かに怒っている時も
何かに苛立ちを感じている時も
そんな選択をした自分にその矛先は向いている。
その上、怒りをあらわにすれば、そんな幼稚な自分に、
怒りを押しつぶせば、そんな力無い自分に、
虚しさを感じる。
「ダメな自分」を責めるところから始まっていて、
「ダメな自分」は「ダメだ」と思っていることが根っことなっている。
怒りへの対処が必要な人もいるが、
そもそもの怒りの発生地点が理解できると
怒りは随分と減っていく。

たった一人でいい。
自分をわかってくれる人がいれば。
そこを理解してくれるの?と
わかってくれる人がいれば
人は踏ん張れる。
ただ、誰からも理解されなくても構わないといった
覚悟が前提になる。
開き直りとは違う、
私がやりたいからやる、
私が決めたからやる、
といった軸だ。
覚悟や軸は何も大げさなことではない。
それにも人は慣れてゆく。
しかし、
やっぱりわかってくれる人がいるだけで
人は何千倍も強くなれるんだよな。

今年も父とお正月を過ごすことができました。
58で脳梗塞をしてから左半身に後遺症を抱え、
一度も熊本から出たことのなかった父が
65で妻を亡くしてから5回のお引越しをし現在74歳。
後遺症もさることながら
歳を重ね年々老いていく父。
現在の入所先の人たちと相性が良いらしく、
最近はすごく落ち着いている。
父が安定しているのは娘として心から嬉しい。
本年もよろしくお願いします。
来年もお正月を一緒に過ごしましょうね。

我が家の大掃除は続く。
整理整頓が苦手な我が家の子ども達へのアドバイスは
「モノをまとめて置く」こと。
まずは、
不要なものと必要なものをまとめて置く。
その後、
必要なものをグループごとにまとめて置く。
例えば、勉強道具、毎日使うもの、冬服などなど。
グループ分けは大から小に向かう。
勉強道具という大きなグループの中には、
教科書類、筆記用具類、ファイル群と、
さらなる小さなグループがあり、
その小さなグループごとに分けて置く。
ただこれだけ。
部屋の状態は脳の状態とよく言うが、
本当かもしれない。
気持ちの整理整頓も同様だから。
しっかり寝ているはずなのに疲れが取れない、気が重いといった時は
気持ちの整理整頓がうまくできてない状態で、
つまり、
グループ分けできない未処理の感情が散乱した状態に近い。
気持ちをすっきりさせるには部屋の片付け同様、
持ち続ける必要がある感情と不必要な感情に分け、
不要な感情は捨て、
気持ちを大きくグループ分けし、
その中で小さなグループ分けにし、整理してゆく。
心の部屋が片付けば、
随分とスッキリし、新たに次に進むことができる。

我が家は年明けの引っ越し目前の大掃除だった。
小学生だった子ども達が高校になるまで過ごし、
父がホームに入った際、持ち込めなかった荷物まであるこの家には
相当な物で溢れている。
中でも大敵は私の本。
大切にしたい本からいずれ読みたいといった本、
当時は必要だったが今は不要な本まで本棚から溢れている。
必要でない本を処分するだけで、
引っ越しの大変度はかなり減ると思われた。
なので最初に本棚に手をつけたのだけど、
「不要な本は?」と選んでいたら一向に作業は進まなかったのに
「絶対必要な本は?」と考えるとどんどん作業が進み出した。
不要な本以外を残すのか、必要な本以外は処分するのかは同じようで違う。
まるで、
ひとつだけ願いを叶えてくれる神様に参拝した時のように
自分の本当の想いが明確になる。
人生の選択も同様かもしれない。
本当の欲求を知っているのは
幼い子供と成熟した大人だけだと言ったのはカール・ロジャースだったと思うが、
これだけは!といった人生の最重要事項を明確にして
それ以外は取らない選択を意識しないと、
引越し前の我が家同様、人生が不要な物で溢れ、
必要なものがどこにあるのかわからなってしまう。
年末の大掃除の結果、
段ボール5つ分の本とゴミ袋13個もの不用品が出た。
大掃除はお正月を迎えるにあたって一時中断。
再開したら、我が家が如何に不要なもので溢れていたかを
さらに思い知らされそう。。。