
2019年の本番
この季節、ブログに使う写真にどうしても花や緑の写真が多くなる。
道々の花が咲き誇り、緑には勢いがあるから
目を奪われ立ち止まってしまう。
花たちも春を待ち望んでいたのがよーくわかる。
春が来る!
今までがリハーサルとは言わないが
2019年の本番がやってくよう。
春眠、暁を覚えないが
目を大きく開いて今日を丁寧に過ごそう。

この季節、ブログに使う写真にどうしても花や緑の写真が多くなる。
道々の花が咲き誇り、緑には勢いがあるから
目を奪われ立ち止まってしまう。
花たちも春を待ち望んでいたのがよーくわかる。
春が来る!
今までがリハーサルとは言わないが
2019年の本番がやってくよう。
春眠、暁を覚えないが
目を大きく開いて今日を丁寧に過ごそう。

長女が園児の時に作ったペンたてを今でも使っている。
改めて眺めると、小さかったなぁ…。
すっかり大きくなって随分、生意気にもなった。
この春から中3と高3、
来年は大学生と高校生となる。
わぁ…そりゃ、私も50代な訳だ。
これからこの子たちが紡いでいく時間を
真横で見ることはなくなる。
豊かなものであるよう願ってやまない。

香りや音楽で思い出が蘇ることもあれば、
久々通る道で当時を思い出すことがある。
子どもたちが通った幼稚園の近くを何年かぶりに車で走る。
園児だった子どもを送り迎えしながら
当時の私は一体、何を考え、
どこに向かおうとしていたんだろう。
中高になった子どもたちもギリギリの朝は車で送る。
今の道もいずれ通らなくなる。
久々通った時、
今の私を未来の私はどう思い出すんだろう。

環境対応的に作られた自己認知は
無意識の領域にある。
そんな無意識の領域を取り扱う弊社のセミナーは
自身の中心にどんどん近づいていくようなもの。
中心に近づくほど
大切な情報を見逃さなくなる。
気づけるようになる。
どんどん豊かさが増していく。
その豊かさは私たちの意識を超える。
意識と無意識を行ったり来たりしながら
環境適応的に作った自己と
本来の自己との統合が行われていく。
たのしい!
環境適応的に創られた自己は皆、持っているはずだから
今の自分との統合が進むと
新たな自己が創られていくという楽しみを皆、
持っているということで、
それは人生において
かなり興味深い、楽しみごとじゃないかと思う。

息子は部活の副部長をしている。
初の役回りに部をまとめるのに
いろいろ苦労しているようでアドバイスしたくなる。
「人はね、話を聞いた分しか
こちらの話を聞かない。だから〜」
云々カンヌンと続けていたら
息子は一言、自分で考えてやってるから!と。
そうだね…まずは人の話を聞けって言いながら
ママはあなたの話を聞いてなかったよ。
近しい人になればなるほど難しいなぁ。。。

自分で決めたのに
時間が経ってあっちがいい!とか
こうじゃない方が良かった!と
言い出すのは卑怯な生き方だ。
自分で決めたことの責任をとる覚悟して臨む。
責任を回避したいからって
「自分で決めない」ことを選んでも
「自分で決めない」ことを決めてるんだから
責任は発生する。
「自分で選んでない」責任を私は取りたくない。
どうせ取らなければならない責任なら
自分で決めたことに対して
前のめりに取っていくぐらいの覚悟をしているほうが
潔くて気持ちいい。

例えば、いつもと違う道を通ってみる。
持ち歩くバックを変える。
いつもより早く寝る。起きる。
など、小さいことでいい。
何かを変える。
何かを変えなければ何も変わらないし、
ささいなことでも何かを変えれば何かが変わる。

なぜ、このタイミングでこの曲?
どうして今、そのメッセージ?
とタイミングが良すぎて驚くことがある。
私たちの思考を超えた何かが作用してるとしか思えない
絶妙な出来事。
運が味方してくれるんだろうな。
自分が発揮できるように。
自分として生きれるように。
信じるってそういうところまで含めてなんだと思う。

自由を取り扱えるのは成熟した大人だけだ。
憧れた自由は
羽のように軽いはずだったのに
未成熟なまま自由を手に入れると
沼地のように足を取られて不自由にさえ感じる。
何をしようが、何もしまいが自由な時間は
与えられた人によって
活かすこともできれば、殺してしまいかねない。
自由をうまく活かすには
時間割が有効だ。
時間割というと学生の頃を思い出して、
苦笑いしてしまいそうだが、
あの村上春樹さんもフリーになった際、
時間の管理の軸として
マラソンを始めたと何かに書いてらした。
リズムが作れる大人の時間割は
自由を取り扱う鍵となる。
仕事量やタスクで
自由をマネジメントするのもひとつの手だが
リズムが刻みにくい。
その点、
ざっくりとでも時間割を作ってしまえば
自分のペースができ、
何より、いちいち選択するといった
エネルギーの無駄を回避することができる。

充実感はコンスタントに繰り返される日常にある。
達成感と充実感は別。
達成感は何かを成し得た時に味わい、
充実感は日々のプロセスに感じる。
自分が決めた、
ちょっとだけ背伸びしたようなことを
自分でやれている!
結果が出ているわけではないので
誰も気づかないのだけど
自分が「今日」に納得いく感覚。
良い1日を過ごした感覚は美味。
その味を充実感というのだと思います。