
すべて人生は自分で決められる
すべて人生は自分で決められることに
気付かなければならない。
既にお気付きなら、受け入れなければならない。
私たちは自ら決められる。
決めている。

すべて人生は自分で決められることに
気付かなければならない。
既にお気付きなら、受け入れなければならない。
私たちは自ら決められる。
決めている。

落胆やショック、喜びも
期待値の高さに比例する。
例えば、
せめてここまでは!といった最低のゴールも
こうなったらいいな!といった最高のゴールも、
事実とのギャップに一喜一憂する。
大切なのは
事実をそのままに見ることで
自分の力を受け入れた上で
どうするか⁉︎といったその後の選択。

楽な姿勢というとダラーとした姿勢を思い浮かべるが、
本来、楽な姿勢とは良い姿勢のこと。
ダラーっと座ることに慣れているだけのことで、
良い姿勢になれれば、
ダラーと座ることの方を辛く感じるものだ。
日常もこれとおなじで、
どっちに慣れているかで変わってくる。
エネルギーを必要としない日常を望んでいるようで、
実は本来、自分のエネルギーを存分に
投じる日々の方が充実感が増す。

自分に厳しくした方が
成長できると思い込んでいる人がいるが
それはネガティブな自分を強化する。
優しく、ていねいに
接する方が実は成長は早い。
「厳しさ」の反対は「甘い」ではない。
ていねいにだ。
子どもの自分を育てるように
ていねいにていねいに自分に接すると
強い自分が育っていく。

なぜ、いつもこうなるんだろう?
と考えてもさっぱりわからなかったのに
偶然うまくいって初めて
本当の理由がわかるといったことがある。
偶然うまくいくプロセスには
必ずと言っていいほど
イヤだなと思っていたことが含まれるのは
今まで避けていたことに臨むから。
もしかしたら、
面倒臭いと回避していることの中には
宝物が隠れているのかもしれない。

人生の楽しみごとは
自分の力を発揮することじゃないのかな。
それが認められる、
結果が出るといったことにつながれば
言うことないのだろうけど
そうならないことも少なくはない。
自分がやれる最大をやったら
あとは天に任せるしかない。
今やれる最大をやった時は
それだけで清々しいもの。
結果が伴わなければ決して
清々しさなんて感じれないと思うなら、
清々しさを感じれるぐらい、
自分に集中してやってみること。

これでいいのか?と生きてきたら、
これでいいんだ!と生きてみる。
疑い、迷うことも大切だけど、
信じて、突っ走ってみることも大切。
どっちもやってみたいじゃない。
両方をやってみると、
その時々で選べるようになる。

この一年、あなたが
最もエネルギーをかけてきたことは何だろう?
実を結んでいるだろうか?
まだ間に合う。
最後までやろう。
この一年無駄だった?ということには
しないと決めよう。
半歩でも少しでも前へ。

自分を応援する言葉を持つことは大切だ。
頭の中で、どんな言葉を自分にかけるかで
実際にやることは変わってくる。
この程度なの?と
声をかけた方が奮起するのか、
こんなにやれたね!とねぎらった方が
やる気が出るのか
自分の気持ちと照らし合わせながら言葉を選ぶ。
自分の言葉ひとつで
自分はポジティブにもネガティブにもなる。

そもそも今、
ストレスに感じていることは
本当にストレスなのか。
ストレスは感謝と反比例する。
ストレスの存在感は
有り難みが増すほど小さくなり、
有り難みが無くなるほど大きくなるとなると、
有り難みに気づく力によって変わってくる。
物事には見える面と見えない面があって、
人は失くしてから
見えなかった面の存在に気づくことは多い。
ストレスに感じていることへの
貴重さや価値といった見えない一面に
目を向けてみると
感じるものが変わるかもしれない。