
自然な感情
落ち込むことも、
傷つくことも、
ショックを受けることも、
後悔することも、
怒りが治らないことも、
決して悪いことではない。
あなたが特別ダメなことでもない。
生きていれば自然なことで、
そう感じれるのは力なんだ。
人がそういったネガティブな感情を避けるのは
そう言った感情への対処を知らないだけ。
対処を知るには
まずはネガティブな感情を自然なことだと
受け入れることから始まる。

落ち込むことも、
傷つくことも、
ショックを受けることも、
後悔することも、
怒りが治らないことも、
決して悪いことではない。
あなたが特別ダメなことでもない。
生きていれば自然なことで、
そう感じれるのは力なんだ。
人がそういったネガティブな感情を避けるのは
そう言った感情への対処を知らないだけ。
対処を知るには
まずはネガティブな感情を自然なことだと
受け入れることから始まる。

記憶を呼び起こすことは想像することで
回想することではない。
と言ったのはベルクソン。
私たちの記憶は事実だけではない、
多くの想像が含まれている。
そんな想像が含まれる過去に
今のあなたの考えが縛られて
生き辛くなっているとしたらどうだろう。

「現実は自分の自己概念が作り出している」
と考えると大きなヒントを得ることができる。
それは単純な『自己責任』といった考え方とは違う。
今までの生き方は
環境適応的に工夫して作り上げたやり方に他ならないだけで、
どんな不器用に見える生き方だとしても実は
努力の賜物でもある。
ただ、長い人生だから
今では不要のもの、
それどころか、悪影響を及ぼすものが含まれていたりする。
子どもの頃は有効だったものでもね。
だから人生には価値観の見直しのタイミングで
様々なトラブルがおとづれる。
やっぱり、起こることは全てギフトで
応援されてるんだよ。

例えば、パソコンの画面の埃は
OFFの状態で真っ暗だとよく見えるけど
ONして画面が明るくなると見えなくなってしまう。
例えば、
掃除してない時は全く見えなかったのに
掃除が進むほどに小さなゴミがよく見えるようになる。
普段は見えなくても
ある条件下になるとはっきりと見えるものがある。
辛い時期だから見えること。
うまくいっている時期だから見えること。
日常と違うから見える日常の細部があるんだよなぁ。
その時々に見えるものに向き合っているだろうか。
光が当たってしまえば、
例え埃があってもまた見えなくなってしまう。

私たちは人と付き合わずに生きてはいけない。
だから、
他人との付き合い方を学んだり、
トレーニングすることは大切だ。
それと同様、
またはそれ以上に大切なのが
自分との付き合い方を学び、トレーニングすることだ。
自分が何を知りたがっているかをよく知ろう。
自分が何を心配しがちか考えよう。
自分がどうやったら飽きるかを振り返り、
どうやったら夢中になりやすいかを理解しよう。
自分が何をしている時が最も幸せで
何を失ったらダメなのかを判りましょう。
変わりゆく自分と変わらない自分を分けて捉えよう。
一番自分を知っているのが自分で、
一番理解していないのも自分。
あらゆる自分に通じましょう。

手段と目的が入れ替わることはよくある。
例えば、成績を上げることが目的なのに、
手段である計画を立てることに凝ってしまい、
実践に移せないような計画を作ってしまう。
例えば、頑張ってる自分が好きだから
頑張る為に目標を作るが、
手段の為の目標だから頑張れない。
そして、
頑張れない自分を許せず更に頑張るための目標を探す。
目標と手段が入れ替わると、
目標は達成できない。
もし目標を達成出来ない事が続くなら、
理由は目標と手段が入れ替わっているからかもしれない。

時間や空間の持ち方や目標、
どんなペースでどんな期間で何をしたいのか。
何ができたら嬉しい?
何を失ったら嫌なのか?
何を成せば十分なのか?
何をしなかったら後悔するか?
あなたの望みを叶えるためには
あなたがどうしたいのか、
何が嫌なのかを様々な角度から見てみて、
あなたがあなたの望みを知る必要がある。
知らないものは追えないから。
ただ、
自分の望みを明らかにしてそこに向かったからって
決して叶う訳じゃない。
自分の望みを明確にした分、
得れないことも明確にわかって傷つくかもしれない。
しかし、
自分の望みを明らかにして
向かったとしても叶わないことがあるのに
自分の望みを明らかにもせず、
向かうことがなければ叶う可能性は無くなってしまう。

視点が変わるだけで
全く違って見えるものがある。
例えば、
「過去」のgoodを見るか、badを見るか。
「今日」を気分で見るか、成したいことで見るか。
「未来」を不安で見るか、希望で見るか。
例えば、
「わたし」の無いをみるのか、有るを見るのか。
その視点の違いが与える影響は
想像以上に大きい。

どう生きたら良いかの正解はわからないけど、
どう生きたいかは
自分で選ぶことができる。
あなたはどう生きたいんだろう?

愛情を示すことと
世話を焼くこととの境界線は曖昧だ。
律しているラインと厳しすぎる境界線も、
賢さとずる賢さの境界線も、
優しさと甘さの境界線も、
自分のためのと他者のためのの境界線も
全部あいまい。
境界線は曖昧すぎると自分が犯されたり、
相手を犯してしまったりするし、
厳密すぎると苦しくなったり孤独を感じたりしてしまう。
その時々で変わる境界線もあれば、
一旦引いたら、変わらない線もある。
ただ、
そんなあいまいな境界線をどこに、
どの程度の強さで引くのかを決めるのが常に自分であることに曖昧さはなく、
そこはハッキリしている。