
特別と普通
特別なことをしている自分に憧れている人がいるが、
必要ないんじゃないのかな?!
あなたの普通が大切。
日常がどうなのか。
普段、何を感じているか。
なにも、特別なことをする必要はない。

特別なことをしている自分に憧れている人がいるが、
必要ないんじゃないのかな?!
あなたの普通が大切。
日常がどうなのか。
普段、何を感じているか。
なにも、特別なことをする必要はない。

事実を受け入れる力は
合理性が影響していると感じる。
時間がない人は
非合理なことに時間を割いている暇はない。
合理的にやるには
どうしたらいいのか?を考える。
しかし、
辻褄が合わないことを言い出したり、
論理的でない考えをしている時は
合理的に考えられていない。
合理的というと冷たく感じるかもしれないが
自分を大切にすることや
人生の目標からズレずに向かうためや
時間をうまく活かすためには
必要な力だ。

例えば、
優しさとうざさ、
強さと傲慢さ、
弱さと危機管理の強さ
片方だけはないんだよね。
いつも両面がある。

時間を奪われようが
居場所がなかろうが
あなたの頭の中は誰も奪えない。
あなたに主導権があって
感情も思考も
あなたに決定権がある。
頭の中は誰も奪うことができないんだよ。

過去の自分を正当化するために
現在、自分が感じていることを認めない
というのはどうだろう。
今の正直な自分で
いいんじゃないのかな。
「以前の自分が間違っていた」で
いいんじゃないのかな。
過去にこだわりすぎると
歪みを生むよ。

見えないものは信頼しない
と言う人がいる。
納得できないとやらない
理解し難いからしない
といったものも同じかもしれない。
自分が全て見えていると言えるの?
そんなにわかってる人なの?
私たちは知らないことだらけの中に居て、
わからなくてもやったほうがいいこと、
納得できなくても真理だったりすることは
よくあること。
せめて自分が信じれると思えた人の言葉は
理解しがたくても
飲み込んでみてもいいんじゃないか。

自分が発揮しやすい環境は
自分で整えるんだ。
環境は作っていける。
今すぐは無理でも
ロングスパンで考えておくんだ。
どういった人といると
どういった場だと
自分が発揮しやすいか、
自分を深く知る必要がある。

子どもの頃は環境を選ぶことは
難しいところが多い。
どうにか適応せざる得ない。
よくやってきたと思うわないか。
スムースじゃないにしろどうにか
乗り越えてきた。
ただ、もう子どもの頃とは違う。
大人になった私たちは選べる範囲が増えている。
環境も付き合う人も選ぶことができる。
選べる自分に気づこう。受け入れよう。
自分の幅を広げていこう。

何事にも良い面とアカン面の両面あるのに
良い面だけで生きていくって…
そんな器用な生き方、
できるのかなぁ⁈
そんな都合よくいけるのかなぁ⁈
もちろん、
上手い人はいるだろうけど
いつもいつも完璧なんて無理だよ。

今日のことは今日しかできないように
あの日のことはあの日しかできない。
あの日の自分ができる最大をやったということ。
もっと上手くできたかもしれない…と
考えることは
未来に有効かもしれないが
そのために今を台無しにするのはやめよう。
そうしかできなかった自分を受け入れよう。
仕方ない。
私たちは聖人にはなりえない。
私は不完全な人なんだ。