
バレーボールでいうところの
バレーボールで言えば
私の日々はレシーバーやセッターのよう。
受講生と私はひとつのチーム。
受けたボールを拾い、
受講生が打ちやすように良いトスをあげる。
もちろん、見逃すボールや
手が出ないボールもあるけど
せっかく人生の一部を
同じチームとしてご一緒しているのだもの。
いいゲームをするわよ。

バレーボールで言えば
私の日々はレシーバーやセッターのよう。
受講生と私はひとつのチーム。
受けたボールを拾い、
受講生が打ちやすように良いトスをあげる。
もちろん、見逃すボールや
手が出ないボールもあるけど
せっかく人生の一部を
同じチームとしてご一緒しているのだもの。
いいゲームをするわよ。

時間をあけることは有効だ。
集中して取り組めば解決するわけではない。
適度な空の時間が思考の角度を変えて
解決の糸口になることはよくある。
それは人間関係も同様に感じる。
時間や距離を取ることによって
密接している取り組んでいる時より
より良い効果を発揮する。

問題が起こっていても
気づかない間は問題ではない。
大した問題でなくても
その人が問題と扱えば問題となる。
問題ってなんだ?
問題だと捉えている枠を
今一度、確認する必要がある。

人の思考は面白い。
それぞれがそれぞれの過去の経験のもとに
それぞれの思考を持っていて、
私が持ち得ない発想があり視点がある。
話をすると刺激を与え合い、
私の中にもまた別の思考が生まれる。
そういうの、好き。

私たちはこうだ!と決めたことを
本当か?と疑うより、
やっぱりそうだ!と思う証拠を集めたがる。
確信を確認することに特に注意を払い、
違うかも?といった事実には
目を背けてしまう傾向があることを
意識しておかないと
事実が見えなくなってしまう。

結果が同じでも
そこまでのプロセスの違いは
これからに大きく影響する。
どんな目的のために
何を大切にしてきたのか。
今一度、考えたほうがいい。

「見えないものを見る力」は人生を分ける。
「暗黙のルール」や「しくみ」といった、
言葉では表しにくく、
目には見えないが
肝要なことが何事にもあるものだ。
「見えないものを見る力」は
大概それぞれの専門分野で磨かれ、
専門以外のものも見えるようになっていく。
『一芸に秀でるものは多芸に通ず』とは
こういうことなんだろうな。

崩れる時はある。
取り戻せない時もある。
誰にしもある。
過ぎたものは仕方ない。
これからだ。

パソコンの電源を入れてみる。
ノートをひらいてみる。
靴を履いてみる。
デスクに座ってみる。
着替えてみる。
何でもいい。
ほんのちょっと踏み出せば
変わり始める。
始めれば始まる。

いつの間にかそうなっていたというのが最も良い。
線を引くように
人の感情は切り変わらない。
区切りをつけたとしても
後ろ髪を引かれるし、
以前の懐かしさが付きまとう。
それは自然なこと。