
早とちり
見当違いのことをやっていたことに気づくと
心からがっかりする。
違う方向に進んでいた…
やる必要がないことを頑張っていた…
なんてこともある。
間違っていたことに気づいた時のダメージは大きい。
早とちりな私は
こういった無駄な時間も多い。
気づいた時がタイミングで、
このタイミングで気づく意味があるものだ。
だから、
流れを読んでいこう!
流れに乗っていこう!

見当違いのことをやっていたことに気づくと
心からがっかりする。
違う方向に進んでいた…
やる必要がないことを頑張っていた…
なんてこともある。
間違っていたことに気づいた時のダメージは大きい。
早とちりな私は
こういった無駄な時間も多い。
気づいた時がタイミングで、
このタイミングで気づく意味があるものだ。
だから、
流れを読んでいこう!
流れに乗っていこう!

押しボタン式信号に気づかず
歩道が青信号になるのをじっと待っていた私。
次は横断歩道の番だ!
と渡ろうとしたら、また車側の青信号。
えーーっ?!
順番を飛ばされたような気分の私は
ようやっと押しボタンを発見。
こりゃ、チャンスと同じだな。
ボタンを押さなきゃ、
いくら待っても信号は青にならない。
しかし、
押しボタン式信号ということに気づき、
そのボタンを押せば
いづれ青になる。
手を上げなければ巡ってこないチャンスと同じで
手をあげさえすれば
いづれチャンスは巡ってくる。

「自分が考えている自分になる」ということを
もう少し自覚したら
自分が今、何を考えているかに
もっと注意を向けるだろう。
自分が考えていることを吟味するだろう。
「自分は考えている自分になる」というのに
何を考えているかに、
私たちは意外と無自覚だから。

新型コロナの影響で、
疲れる移動や面倒な人間関係から遠のいて、
どこかちょっとした楽チンさを覚えてたけど、
それは楽しさとは別なんだよね。
ワクチン接種の広がりで
リアルな予定がどんどん入ってきて
妙にワクワクしてる!
さぁ、やるぞーってテンションが上がる。
あぁ…これこれ!この楽しさ♪
「楽」と「楽しい」は全く別物なんだよなぁ。

昼間の時間が一番長く、
夏に至る夏至。
折り返しだなぁ。
2021年も早いなぁ。
後半戦か…
さてどうする?

乗せていこう!
そのためなら
生産性が無いように感じることでも
楽しそうなら取り入れよう!
生産的に効率よくと思いすぎて
非生産的になってしまった経験を
散々してないか?
学んでいこう!

実際にやってみると、
想像していたのとは結構、違うことが多いんだ。
思ってたより
悪いこともあれば、良いこともある。
やってみないことには
どっちに転ぶかまた、転ばないかもわからない。
だから、
やってみない人は
いつまでも想像の世界にいて、
先に進めない。
やってみた人は
違いを知ってさらに先に進んでいく。

投げ出してしまった「もういいや」もあれば、
執着を手放した「もういいや」、
出来ない自分を受け入れた「もういいや」、
次に進むための「もういいや」…と、
「もういいや」にも色々ある。
「もういいや」と口にしてみよう!
本当に気が済んでいるのか、
もう少し足掻いてみたいのかがよくわかる。
今は気が済んでいても、
先々やりたくなったら、
また始めたらいいさ。

結果がダメだと
自分がダメと言われたような気がしてしまうが、
やり方がダメだっただけで
自身がダメということじゃない。
自分がダメと感じると
そこで全てが止まってしまう。
単なる情報不足なこともあれば、
やり方を変えれば難なくできた!
ということもよくあることだ。
ダメと自分が自分に終止符を打たなければ
やりようは色々ある。

wantとmustの違いは思っている以上に大きい。
だけど、
mustをwantと誤解していたり、
本人が自分のmustに無自覚なことも多い。
wantもmustも
同じような強い思いではあるが、
mustは脅迫的だ。
だから、願いが叶わなかった時に違いがハッキリする。
当然、wantだろうがmustだろうが
叶わなければ落ち込むし、がっかりもするが
wantはいずれ諦めがつく。
「仕方ない」を受け入れることができる。
しかし、mustは少し違う。
どこにも行き場のない絶望感を感じる。
この世の終わりのように感じるかもしれない。
なぜなら、mustの脅迫的さは、
生きるための「支え」や「基盤」を求めていて、
希望の範囲を超えて、
自分の存在価値を得れるのか失うのかといった
重大な案件になってしまっているからだ。
つまり
それほどセルフが脆弱であることを物語っていて、
取り組むべきはこの「セルフの脆弱さ」であるということに
本人が気づく必要がある。