“自分”は自分が思っている以上に深い vol.5562
深いところには学ぶべき自分がまだまだいる。
だから面白い。
活動を通して、自分の心模様を観察していく。
自分の選択を精査する。
その時大切なのは、
深刻になったり自分をジャッジしたりしないこと。
知りえた自分を仕方ないと認めてあげること。
深いところには学ぶべき自分がまだまだいる。
だから面白い。
活動を通して、自分の心模様を観察していく。
自分の選択を精査する。
その時大切なのは、
深刻になったり自分をジャッジしたりしないこと。
知りえた自分を仕方ないと認めてあげること。
人はなぜか
誰もが抱く気持ちを
自分だけだと感じてしまう。
それも自然に。
例えば、発表会があって緊張している時。
「そういうものです。」と言われれば、
本当だ!私だけじゃないと気づけるものだ。
長々言う必要はない。
「そういうものです。」で一気にその地点に行けてしまう。
基本的に、
「はっ」とする気づきや学びを得れる時間になるように!
といった想いで講座はやっている。
出来れば「面白く楽しく学べる」がいい。
感情を扱う以上、
笑い飛ばしてばかりでは成り立たない場面も多いが、
大して重要でもないことを深刻に伝えるなんて
好みじゃないし、
よくよく本質を理解していなければ
面白楽しく話はできないと思っているから。
大切なことが心の折にすーっと入るように、
笑いは交えていきたいなぁ。
忘れたいのに繰り返し考えてしまう。
そういった固執した状態にある時は、
人は過去を向いて生活している。
現在が過去に覆われている感じだ。
この状態を打破するには意外とトラブルが役に立つ。
「過去を向いてる場合じゃない」と一気に今に向かう。
トラブルじゃなくても良い。
新しいことを始める、旅行の計画を練るでもなんでも良い
「こんなことやってる場合じゃない」が大事だ。
人の脳は同時に何個ものことを考えられない。
一つのことしか考えられないんだよ。
だから、その一つを何にするかを選ぶんだ。
自分を本当に大切に扱うとは、
どういうことなのだろうね。
時には頑固に、時には柔軟に。
時には太陽のように、時には月のように。
あなたはあなたを大切にしていますか?
問題はひょんなことから解決したりする。
考え、調べ、意識的にどんな手を打っても
ベストな方向になかなか向かなかったのに
なぜか急に良い方向に向かいはじめたりする。
どうやって解決に至ったか明確に理解できないまま。
実際にそういった解決の仕方は少なくない。
私たちの理解する範囲を世界の全てだと考えるのは
やはり危険なんだよなぁ。
何につけ両面ある。
良いこともあればアカンこともあるし、
やってあげたこともあるが、
やってもらったこともあるはずだ。
もし悪い方に偏って感じているなら
共生的課題があるはずだから
人との距離感を見直す必要がある。
何を課題とするかで
その先の未来は随分と変わってしまう。
問題の原因をどこに求めるかの傾向、
トーカスオブコントロールを提唱したのは
ロッターだったかな。
原因を自分の内に求めるのか、外に求めるのか、
何が変わるもので、何を変えれないものとするか
などをどう考えるかで課題が変われば、
やることも随分と変わってしまうから。
諦めは肝心だ。
出来ないものはしょうがない。
わからないものは仕方ない。
全てが可能なわけじゃない。
やれることをやったら後は手放すしかない。
何か起こればその時はその時で。
なぜ、あの人はあんなにも努力できるんだろう?
なぜ、あの人はすぐに行動できるんだ?
なぜ、あの人はあんなにも成功しているんだろう?
などが刺激になって自分が奮起できるならいい。
しかし、比較することで
自分のダメさを深める人がいる。
けど、そんなダメを感じている自分に
実は同じようなことを感じている誰かも居て、
結局は誰もダメじゃなくて。
人と比べないと自分が確認できないこと自体が
それでいいのか?って感じがしてこない?