不安定なとき

2026.04.13.

「立てるなら、立てばいいのに」  vol.6053

小学生の頃、アルプスの少女ハイジを見ながら、
私はクララに少し苛立ってたんです。

立てるんでしょ?だったら、立とうよ。
みんな応援してるじゃんって。

今思うと、ずいぶん乱暴な見方です笑。

クララは、立てる可能性があって、
何度も試して、それでも立てなくて。

そして、
追い込まれるような状況の中で、
自分の足で立つ瞬間が訪れる。

今の私なら、
時間がかかることを理解できます。

人には、
準備が整う時間が必要で、
無理に押しても動かないものが、
自然に動き出すタイミングがあるんですよね。

オンジは、
それを知っていたのかな?

なんだか、改めてハイジを見たくなりました。

写真はハイジの「モミの木」ではなく、
多分、杉の木です笑。

2026.04.11.

“ズレ”が明確になるとき  vol.6051

普段、薬などを一切、飲まないせいか、
病院から出された薬が強いからか、
腰痛の薬がよく効いてくれます。

そのせいか、
横になっておく方が良いと言われたからか、
ずっと寝ています笑。

少し疲れていたのかもしれませんね〜。

こういう、予定外の静止状態って、
“ズレ”が明確になってるんだと思うんです。

進めたいこともあるし、
やらなきゃいけないことは当然、あるんですが、
身体は強くブレーキを踏む、みたいな。

だから改めて
気持ちと身体のバランスを考えざる得ない。

無理が効いているうちは
無視できても、
実際、動けなくなることで
直視すべきものを見ざる得ない、的な。

目標を決めて一気に進むのがお好みの私ですが、
身体がブレーキを踏むことで
今の自分のバランスやリズムを
考えさせられる時間なんでしょうね。
ふーっ。

まぁそれも、きっと、
次に進むための準備のひとつなんだと諦めて(笑)。

写真はいただいたお菓子なんですが、
行列ができてるお店のお菓子だそうですが、
パッケージも可愛いし、めちゃくちゃ美味しかったです!!!

2026.04.10.

特に寝返りがやばい  vol.6050

立ち座りも、笑うのも、ちょっとモノを取るのも
腰を使うんですね。
特に寝返りがきつい。
寝返りなんて普段、無意識にやってるじゃないですか。

一昨日から腰が砕けちゃった感じで。

ウッと来る痛みを恐れながら、
そっと手を伸ばして、
「あ、やばい」と思ったら、静止。

そんなことを繰り返しているうちに、
なんだか、笑けてきて。

笑うと腰が痛いのに、
それでも大笑いしちゃったんです。

そんな自分がちょっといいなとも。

笑えれば
その笑いで吹き飛ばされることって
少なくないんですよね。

もちろん、外科的な痛みではあるものの、
痛みが消えるわけじゃないし、
現実が変わるわけでもないんですけどね。

でも、
ちょっと違うものに変わるんです。

ちゃんと向き合うことと、
深刻になることは、
たぶん、別なんですよね。

流石に辛すぎて病院に行くと
成長期にやらかしていた腰痛の復活でした汗。

ここ何十年も何もなかったのに?と問うと、
先生は「腹筋が弱まってお腹が出てくると…」と。

なるほどね。了解!って感じでした笑。

写真は沈丁花(ジンチョウゲ)。
病院の脇に可愛らしく咲いていました。

2026.04.07.

人が揺れるのはなぜか?  vol.6047

ワクワクすることって、だいたい少し怖いし、
安心できる場所って、だいたい少し飽きるって感じません?笑
これ、もともとそういう構造なんですよね。

人は、変わりたい自分と守りたい自分の
両方を同時に持っているから。

だから、
前に進もうとすると不安が出るし、
落ち着いた場所にいると物足りなさを感じる。

でもそれは、
両方の欲求がちゃんと働いている証で、

不安は「進もうとしているサイン」なら、
飽きは「次に向かうタイミングのサイン」。

この構造を理解していると、
揺らされる一方じゃなくて、
立ち止まり、問い直し、また選び直せます。

両方あるからこそ、人は揺れる。
その揺れはときに厄介に感じるけど、
その揺れこそが、
実は大切なサインなんですよね。

 

 

写真は夕方なんですが、
気づけば、陽が長くなりましよね。

2026.04.05.

“いい人”がしんどくなる理由  vol.6045

我が家のわんこは、ジャック・ラッセル・テリアです
元気で手に負えない、とよく言われる犬種ですが、
うちの子は女の子で、どちらかというとおとなしいタイプです。

「ジャックなのに、いい子ですね」

そんなふうに言われることも多くて、
実際、手がかかるどころか、とても扱いやすい子です。

ただ、最近ひとつ変化があったんです。

出張が少ない時期、
私が家にいる時間が少し長くなった頃から、
前足を乗せたり、吠えたりして、
私に要求するようになったんです。

「遊んで」
「構って」
「これが欲しい」

その対象は私だけ。
今でも夫には、そんな態度はとりません。

これはきっと、
「訴えればどうにかなる」を学習したんだな、と。

で、この「理解」は、
もともと私が与えちゃったんですよね。


時間があるから付き合ってあげる。
喜んでくれるのが嬉しいから、つい応じてしまう。

その積み重ねが、
いつの間にか
「これはやってもらえて当然」に変わっていく。

こっちは「してあげた」と思っているのに、
相手は「してもらえるもの」と受け取るんですよね〜。

ここに、少し不条理を感じますが、
冷静に見れば、
私が「学習」させちゃったんですよね。

すると、今度は逆のことが必要になるんです。

「吠えても応じない」
「境界線を引く」

つまり、少し厳しくしなくちゃいけなくなる。

ここで考えるんですよ、
自分は本当に優しかったのか。

それとも、
「厳しくするのが嫌だっただけ」
だったのか。


・機嫌よくいてほしい
・喜んでほしい

そんな自分の都合が、
優しさの形をしていただけなのかな?と。

だから、関係が崩れ始めたとき、
今度は
「なんでこんなふうになるの?」
と、なんか嫌になる。

でも本当は、
境界線を私がゆるめすぎちゃったから、
「厳しさ」を引き受けることになっただけなんですよね。

これって、わんこの話だけじゃないと思うんですよね。

人間関係でも、子育てでも
まったく同じようなことが起こるじゃないですか。

優しさは、ときに関係を歪めます。

与えすぎた優しさは、
「感謝」ではなく「前提」になり、
やがて「要求」に変わる。

優しさだけでは、関係は続かないんですよね〜。

本当に関係を守るために必要なのは、
「境界線」なんですよね。

相手のためにも、
自分のためにも。

優しさは、
してあげることではなく、
関係が壊れない距離を守ることなのかもしれません。

そんなことを、
我が家の小さな先生に教えてもらっています。

写真はご近所の桜です。
福岡は現在、さくらが満開です!

2026.03.24.

やめたら、やりたくなる  vol.6034

嫌いになったはずなのに、
手放したら逆にやりたくなる——そんな経験、ありません?

スランプに陥ったアスリートが、
一度そのスポーツから離れて別の活動をしていたら、
また意欲が湧いて戻ってくる。
そういう話を聞きますよね。

長い期間じゃなくていいんです。
たった3日、1週間。
それだけで、見え方がずいぶん変わることってあります。
長くやってきた人ほど、なおのこと。

いつの間にか「〜したい」が
「〜しなければ」になっていたりするから、
それを手放したとき、
開放感があってちょっと気持ちよかったり、
同時に「本当にやらなくていいのかな」と思ったり。

そのあいだに、
頭と心が、少しずつ整理されていきます。

そして気づいたら、
あんなに嫌だったことが、
またやりたくなっている。

追い詰められているとき、
「もっと頑張らなきゃ」と思いがちです。
でも、そういうときこそ、少し離れてみる。

手放すことが、
戻るための近道になることがあるんですよね〜。

 

2026.03.10.

ただただ淡々と  vol.6290

実際、心理学でも、
後悔はより未来を整えるための感情で、
次の選択をより良くしていくことが分かっていますし、
ポジティブ思考の方が
物事が上手く運ぶこともわかっています。

ただ、
こういうことを考えること自体に
疲れてしまうことってありますよね。
前向きに考えることに疲れてしまうこと。

そういう時は、
無理に意味を見つけなくてもいいんです。
無理に前向きにならなくてもいい。

こういう時に効くのが
ただただ淡々と日常を過ごすこと。

ただ普通にご飯を食べて、
普通に仕事をして、
普通に眠る。

それだけで十分です。

人は、
ちゃんと時間と一緒に
少しずつ整理されていくようにできています。

2026.03.03.

マトリックス  vol.6283

1999年公開のマトリックスで、
「未来はすでに決まっている。ただ、それを理解するためにここにいる」
みたいな台詞があるんですよね〜。

もし本当にそうだとしたら、
少し肩の力が抜けません笑⁉︎

「未来はあなた次第」と言われると、
今この選択が正しいのか、
この時間を無駄にしていないかと、
緊張が走りますが、

すでに物語の大筋が決まっていて、
私たちはその意味を知るために生きているのだとしたら、

私たちは主人公でありながら、
同時に観客でもある。

目の前の出来事に一喜一憂しながらも、
「これはどんな伏線だろう」と眺めてみると
失敗さえ、物語の演出に思えてくるんですよね〜。

この物語を味わう視点があっても
悪くないかもしれません。

2026.02.09.

1分だけ  vol.6261

手をつけるだけで良いんです。
その先は考えなくて良い。
1分だけやってみるだけです。

これって、
想像以上に強力だと思うんですよね〜。

大概、私たちは成果を求めてるんですね。

結果を出さなきゃ。
やるなら完璧に仕上げなきゃ。
1時間くらいは最低でもやらなきゃ。

って考えてフリーズしてしまうんですよね。

だから、着手なんです。

1分やったら、やめてもいい。
続いてもいい。
どちらでも正解。

大事なのは、“触れてみること”。
今日も触れること。

写真は昨日の雪です。
福岡にも雪が降っていました!

2026.02.07.

短距離走の基準で、長距離は走れない  vol.6259

短距離走の基準で、長距離を走っていると、
「まだ足りない」
「もっと早く結果を出さなきゃ」
と苦しさが増すんですよね。

1週間で変わらないと意味がない。
1ヶ月で結果が出ないと遅い。
そんな物差しで、
自分を測り続けてる状態なんです。

でも、本当に大きな変化は、
ゆっくりなんですよね〜。

1日では見えないし、
1週間でも分からないけど
1年経って振り返ると、確かに進んでいる。

そんな感じなんです。

短距離走はスピードが武器。
長距離走はリズムと持久力が武器。

この物差しを間違えると、
進んでいるのに「止まっている」と錯覚してしまって、
せっかく力がついてきていても、
投げ出したくなります。

大切なのは、
距離に合った基準で見ることなんですよね〜。

あなたの今日の一歩は小さくても大丈夫。
一年後に振り返れば、
それはちゃーんと「前進」になってますから。

写真はお土産にいただいた厚揚げです。
厚くて美味しかったです!