
安定と不安
安定には多くの享受がある。
不安が減り、余裕が生まれる
どっしりと物事に取り組める
イライラも減るだろう。
一方、
不安定も実は享受がある。
感度が上がり、
感覚が研ぎ澄まされる
立ち位置を改めて確認できる
自分をより知ろうとする。
不安定ばかりじゃ疲弊するし、
安定ばかりじゃ人は鈍くなる。

安定には多くの享受がある。
不安が減り、余裕が生まれる
どっしりと物事に取り組める
イライラも減るだろう。
一方、
不安定も実は享受がある。
感度が上がり、
感覚が研ぎ澄まされる
立ち位置を改めて確認できる
自分をより知ろうとする。
不安定ばかりじゃ疲弊するし、
安定ばかりじゃ人は鈍くなる。

ずーっと頑張る必要は
意外と無いんだよね。
流れに乗るまで。
コツを掴むまで。
スイッチが入るまで。
そこまで頑張れば、
自動的に上がっていく。
頑張りはいっときでいいんだ。

大切な他者に抱いている感情は
自分への感情かもしれない。
頑張れ!と願うのは
自分が頑張れてないと思っているからかもしれない。
逃げるな!と思っているのは
逃げている自分がいるからかもしれない。
自信を持って!と祈るのは
自分が自信を持ててないからかもしれない。
だとしたら、
まずは自分が実践すること。
自分のことをまわりに投影するだよね、私たちは。

「気分の落ち込み」が
ダメなことのように感じている人がいる。
裏を返せば、
「いつも前向きに
意欲的な状態でなければならない」
ということだよね。
そりゃ、無理だよ。
いつもいつも元気に意欲的なんていうのは
ありえない。
気分が乗らない日があったり
妙に意欲的なときがあったりするのは
誰にでもある自然なこと。
実はこの「いつも前向きに
意欲的な状態でなければならない」といった考えが
気分の落ち込みを増長させる。
自分の自然な状態を受け入れず、
無理なことをやろうとしているんだよね。
つまり、
今の自分を受け入れていないってことでもあるよね。
そりゃ、いつも気分は落ちることになるさ。

どんなにじっとしていても
もう一人の自分が自分を責め続ければ
極端に疲労する。
横になっていても
動いていても
24時間365日つきまとうもう一人の自分が
何と言ってきているのか。
その声を意識できたなら
人生の流れを変えることができる。

そりゃ、自信も失うさ。
自分がどうしようもなくダメに思えてくる。
やれる感覚を思い出そう。
自分の得意や好きな分野、
頑張らなくてもやれてしまうものに
時々戻ってみる。
苦手なものに敢えて
取り組んでいたことを思い出す。
そんな頑張っている自分を労う。

ある出来事が
あなたを苦しめているように感じているかもしれないが、
そうじゃない。
あなたを苦しめているのは
出来事への解釈だ。
出来事を自分になんと
説明しているんだろう?
解釈の幅を広げると
どういう解釈があるだろう?

腹にストンと落ちる時がある。
逆に、
散々考え、
散々色々やっても、
腹に落ちない時がある。
頭でわかっているのに
腹落ちしていないのは
納得できていないからだ。
納得できるかどうかは、
そのことを受け入れているかどうかで、
別の言い方をすると、
事実を認めているかどうかだ。
それはある意味、
こうあってほしい自分を諦めれるかどうか。
こういった構造がわかっているのなら
とっとと諦めてしまえばいいと考えるかもしれないが
思考通りにいかないのが人の常で、
諦めるのには時間がかかるんだよねぇ。

苦手なものと得意なものでは
捉え方にずいぶん差がある。
例えば、
料理が苦手で、スポーツが得意なら、
料理がうまくできない時は
スポーツがうまくできない時に
置き換えて考えてみる。
失敗した時、
苦手な料理なら「才能がない…」になっても
得意なスポーツなら
「やりかたが違ったかな?!」となるはずだ。
辛抱が必要な時、
苦手なことは
「これやる???」と後ろ向きでも
得意なことなら
「これを乗り切れば!」と前向き。
やれることとやれないこと、
やれる時とやれない時は
思考がすこーし違っているだけ。
苦手なことを克服するには
得意なことと「思考」をリンクさせる。

傷ついてるのに
傷ついてることを自分に許さない人がいる。
傷ついている自分にさらに
追い討ちをかける人がいる。
傷つくことは誰だってある。
そうは見えない人たちだって傷を負っている。
あなただけじゃないし、
かすり傷も無数に受ければ
身体へのダメージは大きくなるさ。
だから、
傷ついていることは悪いことでも
ダメな証でもない。
痛みに許可を出そう。
傷の手当てをちゃんとしよう。