
その人がはっきり出るとき
思い通りにいかない時に
その人の真価みたいなものが
問われるんじゃなかろうか。
イライラして誰かに当たってないか?
人のせいにしてないか?
無駄に落ち込んだり、無駄に騒いだりしてないか?
落ち着いているだろうか?もがいているだろうか?
思い通りにいかないシーンは誰もにある。
だからこそ、違いがはっきり出るんだろうな。

思い通りにいかない時に
その人の真価みたいなものが
問われるんじゃなかろうか。
イライラして誰かに当たってないか?
人のせいにしてないか?
無駄に落ち込んだり、無駄に騒いだりしてないか?
落ち着いているだろうか?もがいているだろうか?
思い通りにいかないシーンは誰もにある。
だからこそ、違いがはっきり出るんだろうな。

なぜ、それを選んだのかを
改めて考えてみる。
何を得たかったのか?
それを得ればどうなると思っていたのか?
本当の望みは何だったのか。

例えば、
ギャンブルにハマってしまってる人を見ると、
きっと過去に大当たりを経験した人なんだろう
と想像できる。
当たった時の興奮や
一瞬にして大金を手にする感覚などを知ってしまって
働くことが
とても面倒なことに感じてしまっているのかもしれない。
他人のことなら、
最初に当たったのがラッキーで、
「普通」を改めて
解釈し直さないといけないことがよくわかる。
「ラッキー」を「普通なこと」と思うと
「普通のこと」がしんどく感じるから。
こういうことが自分の人生にも起こっているとしたら
どうだろう?

シンプルだけど意外と難しいんだよね。
素直に感じることに慣れてなかったり、
正直を伝えることに対して恐れがあったり。
孤独になるんじゃないかという怖さが
自分の正直な気持ちを隠してしまったのかもしれないね。
ただ、
あなたがあなたの気持ちを素直に感じて
正直に伝えなければ
あなたは誰をやっているのだろう。

やるべきことに取り組めている自分は好きだ。
一方、やるべきことに取り組まない自分って
本当に嫌なものだ。
砂時計の砂が落ちる音が常に耳元で聞こえている感じだし、
頭の中では自分責めが止まらない。
解決に向かうには動き始めるのが一番。
そのきっかけを掴め!
ほんのちょっとだけでいい。動くんだ。

ふと頭をよぎる人や言葉、風景がある。
懐かしいシーンだったり、
ビクッとするような言葉だったり
思い出すたびにこちらも嬉しくなるような笑顔だったり、
冷たい視線だったり。
一瞬で消えてしまうのだけど
そこに私たちは反応する。
懐かしいシーンであれば気持ちが優しくなり、
ビクッとするような言葉であれば緊張が走り、
嬉しくなるような笑顔であれば思わず頬が緩み、
冷たい視線なら身が固くなる。
今、起こってるのことではないのにね。

どんな行動にも理由がある。
だから、本当の理由が自覚できれば
その時点で問題は8割解決する。
本当の理由を自覚すれば
正しい対処がわかるから。

人生は自ら作っていく側面と
与えられた課題をクリアしていく側面がある。
投げかけられた課題に対して
応え方を自ら選択し、
自らの選択したその先にまた与えられる課題があり、
その課題に応えていくといったことが繰り返される。
ふと振り返ると
流れができていて
あなたの大海への道となっている。

蕾から開花するまでの日数は
例えばバラなら25日±5日とか、
蓮なら40日と大体決まっているらしい。
例えば桜には「400°Cの法則」といわれるものがあり、
2月1日からの日々の平均気温を足して、
400°C に達した頃に桜が開花するというもの。
自然は法則を持っている。
なのに、
今年は3日で咲かせるぞ!と意気込んだとしても
その目標はうまくはいかない。
うまくいかないのはやり方や能力ではなく、
無謀な目標そのものなのかもしれないよ。

人生の達人は適切だ。
やれる時にやれることをやる。
結果が出れば真摯に受け止め、
そのまま進むか、諦めて別のルートに進むかを決める。
やる前から結果を勝手に予測して右往左往したりしないし、
諦めるかどうかにエネルギーを注ぎすぎたりしない。
つまり、
変えれるものと変えれないものを判断し、
変えれないものは受け入れ、
変えれないもの以外は変えていく。
ニーバの祈りそのものだな。