
レッテルがレッテルを強化する。
レッテル貼りをすると、
あれやこれやと考えを巡らす必要がなくなる分、楽になる。
あの人はこうだから。
あれはそういうものだから。
しかし、
そのレッテルには
バイアスがかかることを
知っておかないといけない。
レッテルがレッテルを強化する。
事実がみえなくなる。
レッテルを貼っている自分に気づけなくなる。

レッテル貼りをすると、
あれやこれやと考えを巡らす必要がなくなる分、楽になる。
あの人はこうだから。
あれはそういうものだから。
しかし、
そのレッテルには
バイアスがかかることを
知っておかないといけない。
レッテルがレッテルを強化する。
事実がみえなくなる。
レッテルを貼っている自分に気づけなくなる。

私はフルマラソンや100キロマラソンに
チャレンジしていた時期があったが、
「5キロ走れるようになったら
僕も大会にエントリーしようと思っています!」
と言う人がよくいた。
こういう人は
一生、大会には出れない。
なぜなら、
順番が違うから。
走れる走れないは置いといて
まずはエントリーする。
エントリーしたら
嫌々でも
走れるようになるんだ。
荒っぽい?
準備が出来てから…
やることが終わったら…
この問題が解決できたら…
そんな時は一生訪れない。
無謀に聞こえるかもしれないが、
やってみたらわかる。
始めれば必ず始まる。

「ココに忘れたんだよね〜」と思いながら
同じところに財布を置き、
「先日は有難うございました。」
とごあいさつをして
再度、財布を置き忘れたことに気づいたのは
ご挨拶から1時間後。
気づいて1時間かけて取りに戻ると
つめた〜くなった財布を
お地蔵様たちが守ってくれていた。
なぜ、繰り返すかなぁ…。
〜自己分析してみる〜
私にとっての最優先は
その時、考えていること。
その他の全ては
大差をつけられて下位となる。
考えだすと他のすべてが無くなるというアタシを
私が随分、甘えさせている。
絶対変えたいとも
絶対変えないとも思ってない。
つまり、「忘れものをする、問題ある私」を
問題にしていないということが問題なんだろうなぁ。
自分がハッとしなければ
人はいつまでも変わらない。
*写真は前回のものではありません。

今の講座のスタイルをやり始めて丸2年。
基礎講座にマスター講座、
そして夜間学校と
2週間に1回の2時間を5回の10時間から始まり、
月に1回の6時間を3回、
そして2ヶ月に1回の2時間。
すべての時間を通して
気づき、許し、受け取るを
螺旋階段状に進める。
受講生の変化は基礎講座から
目に見えて現れてくるのだけど、
腹の深いところに落ちたなと
実感するのは
1年半を過ぎたあたりから。
すべては「気づき」から始まるが
「気づき」には力が必要で
深い気づきを得るためには
小さな気づきに手をつけていくしかない。
残念ながら
乗ったら成熟の地に連れてってくれる
魔法の飛行機はない。
成熟に真摯にチャレンジした人なら
わかるだろう。
時間がかかるのだ。
今まで時間を無駄にした…と
後悔しても仕方ない。
すべて諦める。
そして、
だから、今を大切にする。
もう二度とは帰ってこない今、
精一杯やれることをやる。
それしかないんだよ。

昔は、こういうことはやれなかった…。
写真が載るのもイヤだった。
羞恥心旺盛というか
自意識過剰だったのかもしれない。
それとも
だいぶ、年をとってしまったからかな。。。

最初に知った世界を
全てと思ってた。
ところが、
同じ世界だと思っていた中にも
いろんな世界があった。
これじゃ、
生まれて最初に見た動くものに
ついて動くアヒルとおんなじだ。
他に思い込んでるものはないか?わたし。

100年後を待たずとも、
私の存在さえ誰も知らなくなる。
ましてや
歴史に名が残るわけじゃなし。

残り少なくなった2016年。
やることは決まっている。
ひとつひとつ、
1日1日、しっかり走って行こう。

金賞の発表では担任の先生が一番に立ち上がりガッツポーズをし、
子どもも親たちも泣いていた。
校内のコンクールであって
世間に通用するタイトルではない。
しかし、確実に残る出来事で、
その人を作る一部になる。

合唱コンクールでは、
指揮者の娘は練習中、悩んでいた。
クラスをまとめることに頭を抱えていた。
それが金賞を受
トロフィーを娘に早く渡せと指示したのは、
彼女の
人は一面じゃ、語