
目標と目的
貴重な人生という時間を
あてもなく迷ってしまわないためには
明確な目標や目的が必要だ。
目標と目的は違う。
目標は
「どうしたいか?」
「どう在りたいか?」
で、
目的は
「何の為に?」
だ。
目標に向かうには
大きなエネルギーを必要とするからこそ、
明確な目的がエネルギーの源となる。

貴重な人生という時間を
あてもなく迷ってしまわないためには
明確な目標や目的が必要だ。
目標と目的は違う。
目標は
「どうしたいか?」
「どう在りたいか?」
で、
目的は
「何の為に?」
だ。
目標に向かうには
大きなエネルギーを必要とするからこそ、
明確な目的がエネルギーの源となる。

経典「阿弥陀経」では地獄と極楽はこうらしい。
ーーーーー
人に対し怒っている時の心
つらく当たっている時の心
それが地獄。
人に対して優しくしている時の心
他人の喜びを心から祝福している時の心
それが極楽。
極楽は西にもあらで東にも
北(来た)道さがせ
南(みな身)にぞある。
ーーーーー
現代では地獄や極楽を
不幸や幸せと言ってるんだろうが
本当だな。
昔、人に道を譲るうような、
全然大したことじゃない優しい自分に出会って
喜んだことがあった。
優しい自分が嬉しかったのと同時に
どれだけ気を張ってたんだ…と思ったら、泣けた。
極楽も地獄も全部自分の中のことか。

東洋では
太陽が陽なら、月は陰
男性が陽なら、女性が陰
といった具合に陰陽という考え方がある。
陰陽どっちが良くて
どっちが悪いといったものではなく、
陽があれば、陰があり
陰があれば、陽があるという考え方です。
私たちはどちらかで考えがちです。
特に囚われるのは陰のもの。
陰には陽がある。
陽にも陰がある。
どちらも見れる自分でいたいな。

賢いとずる賢いの違いは何?
わがままと自己主張、何が違うのか?
良い質問だなぁ。
さて、何が違うと思う?
目的のベクトルが違うんだ。
何の目的のために賢さを利用しているのだろう?
あなたの心のベクトルはどこを向いてるか?
周り?それとも自分?
ベクトルの違いは
ほんのちょっとの角度の違いでも
大きな違いとなってくる。

ここ最近、立て続けにawayに身を置いた。
決して意図していたわけではなく、
気づけばawayだったという感じ。
なんと心細いというか
疎外感があるというか、
慣れ親しんだ場所じゃない居心地の悪さを味わった。
homeがいかにラクちんかもわかったが、
awayに身を置くことで
若い頃の自分と出会った。
よくわからない世界で
しかし、どんどん進んでいっていた若い頃の自分。
若い私はタフだった。
もちろん、
常識から外れたこともやってしまっていたんだろうが
自分の未来にキラキラしたものを持っていた。
それを希望と呼ぶのかもしれない。
いつから諦めたんだろう。
身の程を理解しているといったら聞こえはいいが、
いつからこの程度でいいやと思うようになったんだろう。
このタイミングで若い自分と出会えた意味は
一体なんなんだろう。
時にはawayに身を置いてみると
大切な気づきを得られるかもしれない。

枠組みがあると枠組みの中は安心の場となる。
安心な分、
枠組みから踏み出ることは恐ろしい。
枠組みから踏み出ると思うと
その一歩が踏み出せなくなる。
だから、楽しいことをやる。
楽しそうに思えたことに手をつける。
それはいずれチャレンジにつながり、
気づけば枠組みからはみ出している。
いや、あなたの枠組みが広がっている。

楽しい♩美味しい♫酔っ払う♬
講座は無事に終了したが、
帰りの飛行機が4時間遅延したあと欠航。
帰国が1日伸び、
見知らぬ中国人女性とホテルが同室。
地球の歩き方一冊を持ってバックパッカーしていた頃と違って
iPhoneがある分、当時と事情は違うけど
なんか…懐かしい。
バックパッカーしていた当時の気分を思い出す。
こういうアクシデントが
たまんないんだよなぁ!

「恐れ」は意識できれば取り扱うことができる。
が、
「恐れ」に気づかなければ
「恐れ」に飲み込まれてしまう。
常に考えている方向に人は向かうから
恐れにに囚われていると
無意識に恐れに突き進んでしまう。
頭では嫌だと思っていても。
理想の自分に近づくためには
今の自分の感情に気づき、
その感情を丁寧に扱うことがスタートとなる。
自分の感情に気づかなかったからといって
その感情が生まれなかったわけじゃないから。

楽しく仕事をしている人と仕事をすると
こっちも楽しくなる。
好きなことをやってる人といると、
こちらもワクワクしてくる。
私はそんな人たちと時間を共にしたいと思う。
空気感はその場を包んでしまう。
あなたはその場で
どんな空気を作っているだろう。

自己認知によって自分を探れるように、
相手の行動から
相手の自己認知も探ることができる。
激しく自己主張してくる人、
強く責めよる人は
一体、どんな自己認知を持ってるんだろう?
相手の自己認知に
考えを巡らせてみよう。
そういう人たちは
自分は認められてないと
自分を認知している場合が多い。
誰だって
認められたいもんね。
その人が自分のことを
どう認知しているかを考えると、
その人たちの真意がわかる。