
自分という樹
人の顔色や反応を見て判断していると
自分がどうしたいのかわからなくなる。
良いと言われたり、
望む反応であれば自信が湧き、
反応がなかったり、
期待した反応でなければ
考えすぎ落ち込んで、
自信を失くしてみたり。
あなたほどあなたに関心がある人はいない。
あなたがあなたの人生をどうしたいかが最も大事。
どうしたいのかを
いつも意識しておけば、
どんどん自分という樹は育っていく。

人の顔色や反応を見て判断していると
自分がどうしたいのかわからなくなる。
良いと言われたり、
望む反応であれば自信が湧き、
反応がなかったり、
期待した反応でなければ
考えすぎ落ち込んで、
自信を失くしてみたり。
あなたほどあなたに関心がある人はいない。
あなたがあなたの人生をどうしたいかが最も大事。
どうしたいのかを
いつも意識しておけば、
どんどん自分という樹は育っていく。

息子の部活はラグビー。
先日は福岡県の決勝戦だった。
今回も講座開催時間を1時間遅らせてもらい応援へ。
ボールを持った大きな相手に必死に
食らいついていく。
ユニフォームをつかんだら
振り回されても手を離さない子どもたち。
我が子でなくても涙が出る。
負けたら部活は終わり。
先制され、追い上げているものの残り時間も少ない。
攻めては相手も必死に防御する。
行けー!
がんばれー!
と声が枯れるほど声援を送っていたが
こうもギリギリになると
思わず手を組んで祈ってしまう。
どうか、どうか。
結果、最後の1トライが勝敗を分け、
息子たちは県大会優勝!
私も含めて、
抱き合って喜びあう父兄も涙している。
表彰式では肩を震わせて泣いている
相手チームの姿が印象的で、
我が息子達にも終わりが来ると思うと苦しくなった。
オリンピック選手やプロのスポーツマンの親御さんは
一体、どんな思いでプレーを見ているのだろう。
どこのチームだって中学三年間、
泥だらけになって、
怪我しながら一生懸命やってきた集大成が
この大会なんだよな。
息子達は全国大会出場をかけて
次の九州大会に臨む。
彼らの力の全てが発揮されますように。
あっ!接戦で祈っている時に
私の運を使ってください!って神様に
お願いしたんだった…。
息子よ。
その運、将来どっかで返してね。

今朝、無いことに気づいたiPhoneは
届けられていて、
今しがた連れ帰ってきました。
連絡をくれていた皆さま、
遅くなってごめんなさい。
今から取り掛かります!

「考える」を考えてみる。
「考える」最初のステップは
事実と解釈を分けること。
事実が明確になったら次は、
考えれば結果が変わるものと
考えても結果が変わらないものに分ける。
考えても結果が変わらないものでも
心配でつい考えてしまうものはあるが、
ある程度の時間を費やしたら切り捨てる。
最後は考えれば結果が変わることの中には
自分が作用できることと
自分が作用できないものがあるので
自分が作用できるものに集中する。
すると
今やれることだけを取り扱うことになり、
結果、決断する。
つまり、
考えるとは、
考えれば結果が変わることで
自分が作用できることを決断すること。

マラソン大会によっては水だけではなく、
フルーツやおにぎり、ぜんざいといったものを
給水エイドごとに設けている大会がある。
マラソン中のこういった給水エイドは
本当に楽しみで、
何かを食べるために走っているようだった。
目標達成においても給水エイドの設定は大切で、
その小さなゴールを刻んでいくと
大きな目標も達成しやすくなる。
何かを成そうと思えば、
我慢や努力は必須で、
そこを積み重ねるのもいいが、
女子は特に注意が必要で、
我慢しすぎるとブスになる。
ただただ我慢するのではなく、
我慢や努力を楽しめてしまう工夫が
目標達成のポイントのひとつなんだよなぁ。

眠い時、他のことに気が散る時、
どうも集中できない時、
それは自分がダメだからじゃない。
飽きてるんだ。
さぁ!荷物を片付けて
とっとと帰ろう!
そういう日もある。
諦めない時もあれば
さっさと諦める時もあって自然。

誰かと比較することが悪いことのように言われるが、
それは違う。
比較することが自分らしく生きることを
邪魔する訳でもない。
誰かと比較しなければ
今の自分の立ち位置はわからないし、
比較するのは自然なことだ。
ただ、比較後どんなの行為を選択するかは
人によって別れる。
比較することで
意欲がさらに湧いたり、
目指す所がはっきりしたりする人もいれば、
落ち込んで何もやらなくなったり、
自分をダメだと決めつけたりする人もいるだろう。
比較そのものが悪いわけでは無く、
比較した後、その人が何を選択するかによる。

幼少期から学生時代は未熟ゆえに、
親や先生といった大人の保護の元にあり、
ある種、安全な枠の中にいる。
その枠内でどう生きるかが
子どもの頃のゲームであり、
それゆえのルールがある。
大人になるとその枠は取り払われ
自分で自分の人生をデザインし、
未熟から成熟へ歩を進めてゆく。
デザインした人生のために計画、決断し、
実践しては軌道修正する力が必要となる。
ゲームが違うのだ。
だから、ルールも変わってくる。
枠の中にいる子どもの頃や学生時代に
うまくいった手法が
枠が外れた大人になってもうまくいくとは限らない。
子どもと大人ではゲームが変わっていて、
ルールが違うことを
理解しなければならない。

うろたえることが起こってるのではなく、
うろたえる癖があるだけかもしれない。
大変なことが起こっているわけではなく、
大変に捉える癖があるだけかもしれない。
失敗ではなく、
失敗だと思う癖があるだけかもしれない。
単純に癖だったら、
変えないともったいないね。

自分を責めすぎる人がいる。
責めすぎる時がある。
そんなにダメなんだろうか。
本当に何も出来てないのだろうか。
何と比較しているんだろう?
実際、よくやってる。
十分にやっていると今を認めたら
何がそんなにまずいのだろう。
一体、何を恐れているのだろう。