
届いたー!
拝読します!

拝読します!

アフリカも好きだけど、
なんなんだろう???
南米の写真をみるだけでワクワクしてくる。
こんなことしてていいのか?
とっとといかなくっちゃ!と妙に焦るほど。
何なんだ?
コロナが落ち着いたら
その理由を確かめにいかなくちゃ。

私の実家は中学校の隣だった。
受講生と話をしていて思い出したけど、
朝、よく時間ギリギリになっていた。
中学生の私は
「もう少し家から学校まで距離があったら
時間に余裕を持って行けるのに…。」
と思ったことがある。
当時の私を振り返るとよくわかる。
現状に感謝するどころか、
出来ないことを自分以外のせいにし、
「もっともっと」と幻想を追うとは、
これこそが幼稚で「甘えている」ということだ。
「甘え」とは
現状の有り難みに気づかず、
幻想と理想の境界線が曖昧で
事実が観えていない
ということなんだろうなぁ。

こんなんじゃダメ…
そう思い込んでいるんだよね。
本当に「ダメ」かどうか以上に
あなたがあなたをダメだと評価していることが問題で、
そんな自己批判が強まると、
いつもイライラ状態だったり、
やる気が起きなくなったり、
自己防衛のために人の悪口を言い出したり、
人間関係が歪んでいったり…。
本当に「なんかダメな自分」が付きまとい始める。
事実を観ることを抜きにした厳しいだけの自己評価は
決して成長には結びつかない。
だから、
「ダメだ」といった解釈をちょっと脇に置いてみよう。
今までやってきていないから怖いと思う。
その怖さに抗う必要はない。
怖いまま、そっと置いてみる。
事実を観よう。
自分はよくやっている。
充分やってきている自分を労ってみよう。
やってみる価値はあるはずだよ。

そりゃ、自信も失うさ。
自分がどうしようもなくダメに思えてくる。
やれる感覚を思い出そう。
自分の得意や好きな分野、
頑張らなくてもやれてしまうものに
時々戻ってみる。
苦手なものに敢えて
取り組んでいたことを思い出す。
そんな頑張っている自分を労う。

楽しいことが悪いわけじゃない。
苦しんだからって、
幸せになるとも成長するとも
約束されたわけではない。
むしろ、
純粋に「心からの楽しさ」を追うのは
なかなか手強いモノで、
『楽しかった思い出ほどわびしいものはない。
苦しかった思い出ほど楽しいものはない』と言ったのは
確か、ウィリアム・ジェームスだった。
さぁ!
心から楽しいことに
本気で向かってみよう!

行為は見えても、目的は目に見えない。
同じ行為でも
「なぜ、それをやるのか?」
「何のためにやっているのか?」
といった目的は違っていたりする。
目的には方向があって、
相手を思う方や愛を向いていたり、
成長する自分に向いていたりするし、
はたまた、
周りの人の目や親の顔色に向いていたり、
自分がどう思われるかばかりに向いていたりする人もいる。
同じ行為でも、
その目的によって感じるものは違ってくる。
あなたのそれは
何のためにやっているのだろう。

やらなければならないけど
先延ばしにしていることってあるよね。
気が乗らないこと。
先延ばしを繰り返していると
段々と自分がダメな人に思えてくる。
もっともマズイのは
自分を出来ない人間と思い込むこと。
この思い込みは
出来るもの、出来てたものさえ、
出来なくしてしまう。
気乗りしないがやらなければならないことには
5分だけ取り組んでみる。
たった5分。
1日5分だけ。
その効果は思っている以上に強力だ。

どうせなら、
勘違いしないように
格の差を見せつけられた方がいい。
木っ端微塵の方が
潔く次に行ける。
格段に違うとなれば
違う戦略が打てる。
だから、
事実を見ることが大事なんだよねぇ。

ある出来事が
あなたを苦しめているように感じているかもしれないが、
そうじゃない。
あなたを苦しめているのは
出来事への解釈だ。
出来事を自分になんと
説明しているんだろう?
解釈の幅を広げると
どういう解釈があるだろう?