
その「普通」は一体どこにかかるのか?
お弁当に新メニューを入れたので、
帰ってきた息子に「どうだった?」と尋ねると、
「普通に美味しかったよ!」と返ってきた。
うれしい♪
けど、母は悩む。
その「普通」は一体どこにかかるのか?
美味しさのレベルが「普通」だったということか、
それとも
“いつも通り”美味しかったといった「普通」か。
さらに尋ねたいところだけど
思春期真っ盛りだしなぁ、、、
親子といえどこちらも気を遣う。
“いつも通り”ならいいなぁ♪

お弁当に新メニューを入れたので、
帰ってきた息子に「どうだった?」と尋ねると、
「普通に美味しかったよ!」と返ってきた。
うれしい♪
けど、母は悩む。
その「普通」は一体どこにかかるのか?
美味しさのレベルが「普通」だったということか、
それとも
“いつも通り”美味しかったといった「普通」か。
さらに尋ねたいところだけど
思春期真っ盛りだしなぁ、、、
親子といえどこちらも気を遣う。
“いつも通り”ならいいなぁ♪

人には本当に
さまざまな思い込みがある。
思い込んでるから、
それが思い込みだとなかなか気づけない。
『蛸長者』だったっけ?!
長者が土地の坪数と蛸壺の壺数を
思い込んだまま話を進める日本昔ばなしを思い出す。
思い込んだら、
そうとしか見えないし、
そうとしか聞こえなくなるからなぁ。

「気分の落ち込み」が
ダメなことのように感じている人がいる。
裏を返せば、
「いつも前向きに
意欲的な状態でなければならない」
ということだよね。
そりゃ、無理だよ。
いつもいつも元気に意欲的なんていうのは
ありえない。
気分が乗らない日があったり
妙に意欲的なときがあったりするのは
誰にでもある自然なこと。
実はこの「いつも前向きに
意欲的な状態でなければならない」といった考えが
気分の落ち込みを増長させる。
自分の自然な状態を受け入れず、
無理なことをやろうとしているんだよね。
つまり、
今の自分を受け入れていないってことでもあるよね。
そりゃ、いつも気分は落ちることになるさ。

受験生なら
合格を得ようと思えば
日々の遊びを諦めているはず。
ダイエットして
快適な自分を得ようと思えば
今までの食事の仕方は諦める必要がある。
結婚して
パートナーとの関係を大切にしようと思えば
一人の時間はある程度諦めるということ。
自分を大切にしようと思えば、
誰かの期待を裏切ることもある。
何かを得るためには
何かを犠牲にしなければならない。
本気ですか?って覚悟を問われているんだよね。

時々、大切なことをわすれてしまう。
「楽しむ」こと。
wishがclaimになるといったのは、
カレン・ホルネイだったな。
最初は楽しみながらやっていても
気づけば必死になっている💧
二度と戻ってこない今日を楽しんでみよう♪

自分を好きになるには、
何かを達成しなければならないと思い込んでいる人がいる。
確かに、
やれることやできることが増えれば
自分を好きになりそうだ。
しかし、
達成以上に有効なことがある。
それはプロセスだ。
例えば、目標を達成するために
あれもこれも全部同時にはやれないと覚悟しているから
ガマンすることを心得ていて
普通以上の抵抗なくガマンを選択できる自分。
やってみたらわかる。
そんな自分をちょっと好きになるだろう。
それに、
目標達成するために
ちょっとしたガマンしている自分が
だんだんと誇らしく感じてくる。
そんな自分はかなり好きになる。
目標達成に必要なガマンを積み重ねているとそのうち、
必ず希望が見え始める。
ここまで来れば
自分を好きにならない方が難しくなる。

自分の本当の思いに蓋をし、
無視することが、
世の中や周りの人たちとの折り合いの付け方だと
誤解している人がいる。
それは違う。
どう折り合いをつけるかは、
自分の本当の思いを自覚した後だし、
折り合いの付け方は
自分に嘘をつくことじゃない。

どんなにじっとしていても
もう一人の自分が自分を責め続ければ
極端に疲労する。
横になっていても
動いていても
24時間365日つきまとうもう一人の自分が
何と言ってきているのか。
その声を意識できたなら
人生の流れを変えることができる。

感じないようにした感情は
生まれなかったわけではない。
消えたわけでもない。
残るのです。
未処理の感情として。
その未処理の感情はあなたの人生に影響を及ぼします。
例えば、人間関係。
うまくいかない人間関係には
未処理の感情が影響しているのです。

どれだけ熱を込めて伝えても、
自分のことだと気づかなければ響かない。
気づけないことには先に進まないし、
気づいたとしても
受け入れなければまた進めない。
進むって時間がかかるよなぁ。