
2022年が明けました
新年、明けました!
今年もよろしくお願いします。

新年、明けました!
今年もよろしくお願いします。

今年も1年間、ありがとうございました。
来る年もよろしくお願いします。
良い年を〜!

過去は恥ずかしくて到底振り返れない。
そりゃそうだ。
いや、この先もずっとそうでありたいぐらいだ。
だって日々、進化しているはずだから
現時点から見た「過去の自分」が
恥ずかしいのは自然なはずだ。
過去が恥ずかしくなくなってしまったら…
逆に嫌だろうなぁ。

あれが手に入れば!
これさえ無ければ!
と努力して思い通りになっても
全く満足できない人がいる。
満たされないのは
こっちを選んだからで
あっちを選んでれば…
と思いがちだが、そうじゃない。
十分に満足して
問題なんて一切起こらない選択があると
無自覚に思っているから悔やんでしまうが、
この問題が起こってなかったとしたら
別の問題が起こっていただけで、
何を選んでも問題は必ず起こるんだ。
それが自然なんだよ。
だったらきっと今だって
これ以上ないベストを選択しているんじゃないの?

最後の最後が良かったら
オセロの角が取れたみたいに全部、
ひっくり返る。
終わりよければすべてよし。
だから、まだわからない。
まだ終わってない。

出版、おめでとーう♪
出版日した日に増刷決定❗️
すごーい♫
やっと手元に届いたヨォ。
じっくり拝読しまーす!

一日や二日、休んでしまっても
継続には影響がないことがわかっている。
また始めればいいんだ。
三日坊主を週に二度ほどやり続ければ
十分、習慣になっていく。

自分の可能性をどう評価するか、
これは結構な課題だ。
低い評価は
「どうせ」という言葉とセットで、
やらない言い訳にはなるが、
成せることは限られてしまう。
高すぎる評価は
「思いがけず」「ひょっとしたら」といった言葉とセットで、
努力をし続けなければならないが、
意外な良い結果になる可能性がある。
「自分の可能性の評価は難しい課題」と書き始めたものの、
こりゃ、低い評価より高い評価の方が良いのは明確だな。

同じことをやっていても、
「やりたくてやっている」か、
「やる必要を感じてやっている」か、
「やらなければならないと思ってやっている」か、
では、
結果は随分と違ってしまうだろう。
本人が自覚していなくても
周りから見ればその違いは一目瞭然だ。
ただ、
「やりたくてやっている」のに
「やらなければならない風」でやっている人もいれば、
「やる必要」を感じてやっているが
その先の「やりたい」に目を向けている人もいる。
どうだろう。
一度、やらなければならないと嫌々腰を上げているものをやめてみて、
やりたいことだけを残したらどうなるか想像してみたら。
あなたは日々、
どのやり方にエネルギーを費やしているんだろう?
もし、やりたいことだけをやるように決めたら
日常はどう変化するんだろう?
それともほとんど変わらないのかな。

あなたの中に浮かんでは消える、
意識できていない思考がある。
自分の心の内に感情は反応するが、
その考えを言葉にできていない状態。
そんな自分の心の内を意識し、
改めて言葉にすることは大きな発見につながり、
自分を深く学ぶきっかけとなる。
思いや感情に良いも悪いもない。
意識を向けてみよう。
あなたは何を避けたがっていて、
何を望んでいるのだろう。