
出会うとは
出会っている人とは
何らかしか意味があるものだ。
ご縁と言うのだろうけど
これだけの人が世界中にいるのに
出会える人、言葉を交わす人、心を交わす人は
ほんの一握り。
意味を感じていきたいねぇ。

出会っている人とは
何らかしか意味があるものだ。
ご縁と言うのだろうけど
これだけの人が世界中にいるのに
出会える人、言葉を交わす人、心を交わす人は
ほんの一握り。
意味を感じていきたいねぇ。

1ミリや1グラムを変えていけば
必ず大きな変化につながっていく。
やる前からどこかで諦めているのは自分。
何でもいい、手をつけてみる。
要らないかな…と思うものに手を出してみる。
まだ先かな?!と思うことを今、やってみる。
いつもは選ばない道を選んでみる。
結果は必ずついてくる。

自分の実力を思い知ると未練がなくなる。
良い感じで書けば「やりきった」と表現されるのかもしれない。
無理なことが無理だとわかったら諦めて次に行く。
次回に活かせばいい。
それでいい。

音楽や匂い、会話やシチュエーションなど
ちょっとしたことをきっかけに
蘇ってくる感情がある。
あぁ…そうそう、
こんなこと感じてたよなぁ的な。
それが微笑ましく振り返れる場合もあれば
未処理なまま抑圧していた場合もある。
抑圧した感情であれば
それは処理を進めるタイミングが訪れたサイン。
ここで処理しとこ。

時間がかかるものは少なくない。
別の言い方をすると
時間しか解決できないものもあり、
時間さえかければ解決するものがある。
渦中は先を急ぎがちだが
抜け出たあと振り返ると大概、
急ぐ必要がなかったことに気づく。
慌てる必要はない。
じっくり構えて大丈夫。

「こうせざる得ない」
「これしかできない」と考えるときこそ
誰かに相談してみよう。
選択肢が一つしか思い浮かばないときは
あなたの中の強い「こうあるべき」が
思考を不自由にさせている。
そこが緩むと可能性はいっきに広がるから。

手と手を組んだとき、
どっちの親指が上になる?
右親指が上の人は左親指を、
左親指が上の人は右親指を上にしてほしい。
つまり、いつもと違う組み方をしてみる。
とっても気持ち悪いよね。
手を組むことで言えば
どっちの親指が上だろうが、
手を組んでいるということ自体に変わりはない。
しかし、異様な気持ち悪さがつきまとう。
不慣れな選択のチョイスはこれと同じで、
あなたにとってベストな選択だとしても
いつも選ばない方の選択をすれば
気持ち悪いものなんだ。

人が人と慣れていくまでに感じがちな4つの不安が言語化されていた。
無能と思われる不安
無知と思われる不安
邪魔してると思われる不安
ネガティブと思われる不安
感じている不安はみーんな同じやん(笑)。
なら、
不安がる必要もないし、
不安じゃないフリも必要ない。
「相手もわたしと同様の不安をもっている」といった視点で
周りを見渡してみてもいいかもね。

思い通りにいかない時に
その人の真価みたいなものが
問われるんじゃなかろうか。
イライラして誰かに当たってないか?
人のせいにしてないか?
無駄に落ち込んだり、無駄に騒いだりしてないか?
落ち着いているだろうか?もがいているだろうか?
思い通りにいかないシーンは誰もにある。
だからこそ、違いがはっきり出るんだろうな。

クッキー好きに
ハイジ好きも重なって、うれしーい♪
子ヤギのゆきちゃんは最後だなぁ。
私のことを考えて選んでくれたのがわかるなぁ🤗