
その人の本質がわかるのは vol.4890
生きていれば
良い時もあれば、悪い時もある。
良い時はたくさん人も寄って来れば
良い話も集まってくるが、
その人の本質がわかるのは悪い時だ。
流れが悪い時にどういった態度を選択するかが
ポイントで、
その後の流れにも影響する。

生きていれば
良い時もあれば、悪い時もある。
良い時はたくさん人も寄って来れば
良い話も集まってくるが、
その人の本質がわかるのは悪い時だ。
流れが悪い時にどういった態度を選択するかが
ポイントで、
その後の流れにも影響する。

変化の期間が習慣の変容ではなく
我慢で乗り切るスタイルであれば、
そりゃ、終わったら元通りさ。
自分の「普通」を変えていくことなんだよなぁ。

問題を深刻化するクセがあるのかもしれないね。
行きすぎた内省は
そこから導かれる教訓を歪ませる。
さっきまで深刻だった問題も
もっと深刻な問題が出てくれば
些細なものに様変わりする。
それに当時、
問題だと深刻になっていたことの多くは
10年後、問題じゃなくなっている。
実際、大抵のことは乗り越えてきているし、
そう大問題にもならなかったじゃないか。
事実を見直してみよう。

見ていたのに
意識では見ていないということがある。
知っていたのに
意識では知らなかったということがある。
私たちは意識しないと
見えないし、わからない。

「気づき」には恐ろしい一面がある。
気づいてしまったら…
気づく以前には戻れない。
変わらなければならない。
以前の自分を否定することになるかもしれない。
だからだよね、
何を気づかないように扉を閉めているの?

海は荒れているように見えても
深いところではゆっくりと流れている。
そんな海で例えるなら、
チャンスや運を引き寄せるといったことは海面で、
自分を最大に発揮するといったものは中深層で
自身を引き受けるが深海。
自分を引き受けることが
理解を超えて分かっているか。
それは成熟の一面だな。

心根は大概伝わる。バレる。
だから、バレないようにしよう!ではなく、
だから、バレても良いようなピカピカの心根にしよう。
そっちの方が気持ちいよ。

「結果、そうなんだから仕方ない。」と
事実を受け入れてみようじゃないか。
受け入れた時は落ちても次には必ず浮上してくる。
そして、
浮上した「わたし」は既に
バージョンアップした「わたし」になっている。
だって、
「受け入れたくないことを受け入れること」自体が
力が付くことだから。

いろんなものが重なる。
例えば、道を通る時に
自転車と電柱と歩行者で重なったり、
離合する車にバイクも重なったり
ちょっとタイミングがズレればスムースなはずなのに
なぜか狭い道に2つ3つ重なる。
そんな感じで
出来事も重なれば、
人も重なり、日付も重なる。
来る時は一緒くたんにやってくる。

高校の入学式も体育祭も修学旅行も
縮小だったり無しだった息子は
3年越しで長野県菅平でのラグビー合宿へ。
8泊9日を終えて今日、帰ってくる。
参加できて、よかったね〜!