潔い生き方
自分で決めたのに
時間が経ってあっちがいい!とか
こうじゃない方が良かった!と
言い出すのは卑怯な生き方だ。
自分で決めたことの責任をとる覚悟して臨む。
責任を回避したいからって
「自分で決めない」ことを選んでも
「自分で決めない」ことを決めてるんだから
責任は発生する。
「自分で選んでない」責任を私は取りたくない。
どうせ取らなければならない責任なら
自分で決めたことに対して
前のめりに取っていくぐらいの覚悟をしているほうが
潔くて気持ちいい。
自分で決めたのに
時間が経ってあっちがいい!とか
こうじゃない方が良かった!と
言い出すのは卑怯な生き方だ。
自分で決めたことの責任をとる覚悟して臨む。
責任を回避したいからって
「自分で決めない」ことを選んでも
「自分で決めない」ことを決めてるんだから
責任は発生する。
「自分で選んでない」責任を私は取りたくない。
どうせ取らなければならない責任なら
自分で決めたことに対して
前のめりに取っていくぐらいの覚悟をしているほうが
潔くて気持ちいい。
物事をうまく進めるには
目標を明確にすることと同様に
手法を決める必要がある。
様々な手法の情報が手に入るからこそ
相反する手法も多く、
あれこれと迷っていると前に進まない。
自分の気質に合うもの、
自分の生活スタイルにマッチするもの、
これならやれる!と思えるものを
一時的にでも続けてみることが有効になる。
迷っているうちに
時間だけが過ぎ去ってしまったということは
避けたいね。
苦手なことや恐れていることに取り組むときは
まず1歩だけ踏み出すことに注力する。
成果や結果は二の次。
踏み出せただけで十分なんだ。
一歩だけ、半歩だけ、
進んでみることだけをゴールにする。
所詮、自分がどう思われるかは相手に寄る。
優しい見方をする人もいれば、
厳しい見方、意地悪な見方をする人もいるだろう。
その人の主観なんだから、
誰にどう思われるかを気にする必要はないんじゃないか。
気にするなら
自分が周りの人をどうみているかの方だ。
優しい見方なのか?
厳しすぎないか?意地悪じゃないのか?
自分が悪い、
魅力がないからだ、
やっぱりダメなんだ…等に
逃げるのはやめにしよう。
自己責任で終わらせることの一面には
工夫や対処の欠如がある。
自分に責任を求めるのなら
ちゃんと事実を見て、
二度と起こらないような工夫とセットだ。
ネガティブな自己確認の道具として使ってはいけない。
迷っている時は自分を弱く感じ
迷わない人を羨ましく思う。
しかし実は
迷わないことの一面には危うさがある。
「迷わない」ことには
疑問視という視点がない恐れがあるから。
迷いがあるというのは
平行棒を進んでいる時の左右揺れながら
上手くバランスを取ろうとしているような状態で
ある意味、健全なのかもしれない。
迷っている時は
迷っていることそのものを否定しがちだが
その利点を無意識に考慮して
敢えて迷う選択をしているのかもしれない。
あなたが自ら選んだ迷いであれば、
以下の3つが大切となる。
迷っていること自体に悩まないこと。
迷う目的を見失わないこと。
迷った先の目的から焦点をブラさないこと。
あまりの驚きや怒りに
言葉を失う時の脳内セリフはだいたい決まっている。
「何言ってんの?ばっかじゃないの?」
フリーズしてしまうほど驚いた場合は、
「はぁ?」
そんな風に考えている間に時が流れ去ってしまう。
あとで後悔することが多い人や
想定外の言動にフリーズしてしまう癖がある人は
脳内のセリフを豊富にして、常用セリフを変える必要がある。
慣れないうちは「あーーー!」など叫ぶだけでいい。
少し上手になると、「どういう意味?」
と尋ねることができるようになり、
もっと上手くなると
「あぁ…それはよくある間違いだね。違う点は3つある。」
とすらーっと出るようになる。
自信がないをどう捉えるか?は人によって違う。
自信がないことと自分の価値を結べば、
自信がないことは自分に価値がないこととイコールになる。
そう考える人は、
自信がつくと過信に触れやすい。
自信がないところがあるのは自然のこと。
そう考えている人にとっては
自信がないことは然程、意味を持たない。
自信は
『出来る』『出来ない』といった結果の影響も当然あるが、
出来るまでやれる自分に自信があるとか、
うまくいかなくてもチャレンジする自信があるとか
プロセスにも感じるもの。
自分を信じる、信じないの
ボーダーラインってその人によるからな。
息子が通う中学では
8時20分までに門を通らなければ遅刻となる。
その時間になると先生の大きな声が聞こえる。
「走らんと、遅刻になるぞー!」
そうだよね。
「走れば、間に合うぞー!」と言うのと、
同じ内容なのにフォーカスしているところが違う。
誰がどんな言葉を使おうが
心の中での変換は自由だ。
言葉は思考に影響する。
フォーカスするところは
自分の中で選ばなくっちゃ。
例えば自分の意見を主張するといった
変化への一歩を踏み出すと後味が悪かったりする。
相手の感情が気になって仕方ないし、
せっかく勇気を持って頑張ったのに気分が悪い。
それは主張したこと自体が正しいとか間違っているとか関係ない。
例えば規則正しい生活といった
変化への一歩を踏み出すと寂しかったりする。
周りは「どうした?」と尋ねてくるし、
せっかく勇気を持って頑張っているのに
付き合いが悪くなったようで後味が悪い。
こういった場合は
いつもの自分と違うから違和感を覚えていて、
ただ単に慣れてないだけ。
不慣れなばっかりに違和感を覚えるからって
間違っているわけじゃない。
初めてのことは
誰だって最初から上手にはできない。
つかまり立ちしたり転んだりしながら
少しづつ歩けるようになる赤ちゃんと同じで
練習するほど違和感も薄れ、
やればやるほどスムースになる。