自分との会話
人はなぜ、
伝えたいことを伝えれず、
言いたくもないことを言ってしまうんだろう。
時間が経って、
ひとりになって、
自分の本当の想いに気づくことは少なくない。
本当の想いに気づけるよう、
自分と会話をし、
伝える術を得ていこう。
人はなぜ、
伝えたいことを伝えれず、
言いたくもないことを言ってしまうんだろう。
時間が経って、
ひとりになって、
自分の本当の想いに気づくことは少なくない。
本当の想いに気づけるよう、
自分と会話をし、
伝える術を得ていこう。
女子のミニスカートと男子のホワイトジーンズは同じだ。
女子はミニスカートに憧れがあり、
着たいと思っているが、
足が太いからとか、もう少し痩せたら…と条件づけて躊躇する。
男子はホワイトジーンズに憧れがあり、
着たいと思っているが、
足が太いからとか、もう少し痩せたら…と条件づけて躊躇する。
ミニスカート姿のかわいい女子に憧れているのは女子で、
ホワイトジーンズ姿のかっこいい男子に憧れているのは男子。
その服装に同性として憧れていて、
躊躇する理由もほぼ同じで、
対異性から言わせると
どうでも良いというか実はあんまり興味がなく、
自分の中で右往左往してるところまで同じ。
結局、異性だから対象が違うだけで
同じことをしているかもしれないね。
立場を相手に置き変えてみると
よく見える。
手段と目的が入れ替わることはよくある。
例えば、成績を上げることが目的なのに、
手段である計画を立てることに凝ってしまい、
実践に移せないような計画を作ってしまう。
例えば、頑張ってる自分が好きだから
頑張る為に目標を作るが、
手段の為の目標だから頑張れない。
そして、
頑張れない自分を許せず更に頑張るための目標を探す。
目標と手段が入れ替わると、
目標は達成できない。
もし目標を達成出来ない事が続くなら、
理由は目標と手段が入れ替わっているからかもしれない。
『可能性』には希望があり、
意欲も期待も生まれる。
しかし、
キラキラしたものばかりでもない。
例えば、チャレンジを避け
「やればできる」といった可能性の枠の中に居続ければ
出来ない自分に直面化するショックからの回避ができてしまう。
無理とわかれば諦めもつくが、
可能性があるとなれば諦めがつかない。
『可能性』には、諦めるか、諦めないか。
どこで区切りをつけるかを意識的に
自ら選ばなければならない辛い一面がある。
耐えれない事実には
どうにか痛みを和らげる工夫をし、
人は生きていこうとする。
工夫によっていつの間にか
気になっていた自分を忘れ、
事実を見ない自分に慣れてしまう。
しかし皮肉にも、
その必死の工夫が未処理の感情を生み、
不具合を引き起こす。
とても気にしていた自分や
敏感に意識していた自分を思い出すことによって
どんどん自分を取り戻し、
人は強くなっていく。
大丈夫だよ。
あなたはあの頃のあなたとは違う。
同じ出来事でも
デンと構えている人もいれば
ソワソワ落ち着かない人もいる。
ストレスの大きさによっても当然違うが、器の違いもある。
器とはその人のキャパみたいなもので、
キャパが小さければ
どんな些細なストレスでも
アップアップになるだろうし、
結構なストレスでも
キャパが大きければ、落ち着いて乗り越えることができる。
キャパは自分の器を少し超える程度のストレスを
乗り越えるごとに大きくなっていく。
あなたは何をするだろう?
もっと健康的な生活をする。
勉強して、たくさん本を読む。
愛する人と結婚する。
子どもとの時間をもっと大切にする。
もっと生きたいように生きる。
全部、今からやるんだ。
始めるのに遅いものなど一つもない。
なぁなぁにしたい訳ではないんだよね。
どうしていいかわからず考えているうちに
話題が変わってしまっていってる感じでしょ。
もう一度掘り返して
伝えるべきことなのか、それともそのままにすべきかどうかも含めて
考えていたら全然違う話題に既になっちゃってたみたいな。
「やっぱり違う」と改めて伝えることも、
「違う」とわかっていて敢えて訂正しないことも、
どちらも大切。
つまりは何を選んだか以上に
自らの意思で選ぶことが大切なんだ。
ひとつは、
その場の空気や目的を優先的に考えるから
周りの人の意見が気になったり、
自分にとって大したことないものは歩調合わせてしまう
といったもの。
もうひとつは、
自分がどう思われるかが気になるというもの。
これは全然違う。
上記は周りにベクトルが向いていて
下記は自分にベクトルが向いている。
自分への叱責は恐れからきている。
悪い予測をしているから敏感に反応する。
自分に無駄に厳しくなる。
でんと構えてみる。
自分を疑うことをやめる。
どんな結果であろうが意味があると
自分を信じてみる。