自分への理解
自分の本質を自分で理解していないのだから
他人がわかるはずがない。
わかってもらいたいのなら
まずは自分への理解を
自分が深める必要がある。
自分の本質を自分で理解していないのだから
他人がわかるはずがない。
わかってもらいたいのなら
まずは自分への理解を
自分が深める必要がある。
うまくいかないことにちゃんと向き合えること。
整っていないのに
うまくいってしまうことは
後々考えれば恐ろしいことだ。
不具合は自分を鍛錬できるチャンスで
幸運の訪れなんだ。
自分自身との付き合い方が
すべてのベースとなる。
出来事をどう解釈し、
過去を、今を、これからを
自分にどう説明するかも自分だから。
自分とうまく付き合うことができれば
安定した状態の自分でいることができる。
私にとって「新鮮」は大事。
飽きたら離れ、
別の興味があるものに取り組み、
それに飽きたらまた別の夢中になるものに取り組む。
そうしているうちに
当時は飽きてしまったものが
新鮮に感じられ改めて取り組む。
長い時間をかけてローテーションすると
私の中の「新鮮」を保てる。
振り子は右に大きくふれば、
左に大きくふれる。
するとまた、
右に大きく揺れ戻りだんだんと揺れ幅は小さくなり、
自然と中央に収まる。
空気抵抗や重力でそうなるんだろうが、
揺れている振り子が突然真ん中で
ピタッと止まることはない。
それは不自然。
自然には抗えない。
徐々に徐々に。
事実は何なのか。
本当のところは誰にもわからない。
当事者だってちゃんと理解していない可能性も高い。
例えば、偉人。
基本、調べた人や本を書いた人からの二次情報。
印象を得た人のフィルターを通った印象でしかない。
あの世で当事者は「違うんだよなぁ〜」と
思ってないかな。
直接的な一次情報でさえ、
その人の本質を捉えたものとは限らない。
人は多面で変わっていくものだし、
自分の知り得る範囲でしか判断できない。
わかっていないということを
心に留めておかないといけない。
わからないなりに進むとなると
自分のwantしか頼れるものはない。
が、
自分のwantさえも本当のところはわかっていない時がある。
やっぱり、
本当のところは誰にもわからない
というのが本当のところじゃなかろうか。
人は比べて出来事を判断する。
優しいことと比べれば
何だって難しことになるし、
難問と比べれば
ちょっと難しいことだって簡単なことになる。
比べるものの重さによって
天秤は上がったり下がったりする。
人は達成感を求めるあまり、
早急にゴールしようとし無力感を味わっている。
満点を追わず8割程度を目指す。
コツコツと日常に取り入れる。
達成感を求める理由を考えてみる。
感情を丁寧に扱うことには
たくさんのヒントがあるが、
放っておくことを意図的に選ぶ感情もある。
放っておいた方がいいもの、
すぐに対処できないもの。
仕方ないと時間がかかることを
諦めなければならないものがあり、
時間が解決するもの、
時間をかけなければ理解が及ばないものがある。
そのまま放っておけるのも力なんだよなぁ。
嘆き悲しむ状況には出来れば遭遇したくない。
ただ、嘆くことは避けたいことだが悪いことではない。
嘆きは心を洗い流してくれる。
今日は大きく嘆いてみよう。
平気なフリをする必要はない。
あんな過去やこんな出来事、
辛かった、残念だった、嫌だった…。
自分の一部を切り離さないことで
自分の全てを受け入れることにつながる。
昔のドラマではよく海に叫ぶシーンがあったけど
あれは嘆きだったんだろうな。
人が成長する時には嘆くのかもしれない。