
疑うな!ひるむな!
疑うな!ひるむな!
そこが弱くなる。
疑っているのなら
その疑いにきちんと向き合った方がいい。
疑いながら進むとそこが弱くなる。
ひるんだのなら、
そのことに向き合った方がいい。
ひるんだ自分を批判しながら進むとそこが弱くなる。
選択の間違いならリカバーすればいい。
問題はそこじゃない。
ミスを犯したくない、
ミスを犯したらリカバーできないかも…といった
あなたの自信の無さ、恐れが課題で、
それそのものがあなたを弱くする。

疑うな!ひるむな!
そこが弱くなる。
疑っているのなら
その疑いにきちんと向き合った方がいい。
疑いながら進むとそこが弱くなる。
ひるんだのなら、
そのことに向き合った方がいい。
ひるんだ自分を批判しながら進むとそこが弱くなる。
選択の間違いならリカバーすればいい。
問題はそこじゃない。
ミスを犯したくない、
ミスを犯したらリカバーできないかも…といった
あなたの自信の無さ、恐れが課題で、
それそのものがあなたを弱くする。

あなたのことはあなた次第。
私のことは私次第。
自分次第なら
相手が変わるのを待つ必要はない。
とっととバージョンアップしていこう。
変わった方が負けとか
譲るのは弱いとか考える人もいるが、
そんなことに人生を使っている暇はない。
とっとと変えていこう!

経験しないと
本当のところは分からない。
経験する以前は避難していたとしていても、
経験した後は大概、
その立場の思いがわかり、
避難していた言動に理解がおよぶ。
立場が変われば
感じるものは変わるし、
その立場に立てば共通して味わう思いがあるものなのだ。
選ばれた者だけが知ることができる感情があり、
その感情を感じることができるのは
選ばれているからなんだ。

達成感を無自覚に求めてしまうから
人は短期的な目標ほどハードルを上げやすい。
この程度でいいの?
と感じるくらい程度を落とすほど
スムースに目標に向かっていくことができる。
今月中に5キロ、10キロ痩せるぞと決めては挫折し、
とうとう1年中ずっと体重は変わらずじまいで
1ヶ月1キロでも痩せていた方が確実だったんじゃ???
なんてことはよくあることだよね。

とらわれていると感じる時は
もう一つ大きな枠組みを描いてみるといい。
例えば、
ひとつの「失敗」に囚われている時は
「成長」から捉えてみる
人との「関係性」に囚われている時は、
「どんな人生にしたいのか」から見直してみる。
大概は大したことじゃなくなっていく。

想定を軽く超えてしまうトラブルに
見舞われることもあれば、
やればやるほど周りに迷惑をかけてしまうこともある。
何もかもぜーんぶ、
思い通りにいくなんてあるものか。
それに、
迷惑をかけるのはお互い様。
起こることにはきっと意味があるんだよ。
デンと構えていきましょう!

そもそも持っている力の差通りの結果にならないことがある。
予測の精度は別にして、
予想した結果と違うのは
持っている力と発揮できる力に
差があるからだろう。
能力があることや力を付けることと
その力を最大に発揮することは
別のことで、
その両方を意識する必要がある。

七夕だし、
自分の願いを書いてみよう。
日々の対処に追われて
自分の想いが
意識から外れてしまっていることも多い。
「何をやりたいのか」と「いつまでに」を
今すぐ文字にする。

出し切って空っぽになってしまう
ことを恐れる人がいるが、
とんでもない。
空っぽになった分、
新しいものが入ってくる。
必ず次が始まる。
何かを得ることは何かを捨てること。
何かを手放せば
次の何かを掴むということ。

公正世界仮説とは
「人の行いに対して公正な結果が返ってくる」
といった認知バイアスのことだ。
そんなことをしたらバチが当たる的な考え方のこと。
因果応報と言った方が馴染みがいいかな。
もちろん、
因果応報としか思えないような出来事はある。
しかし、全てがそうじゃない。
どうしようもないことが
人生では起こる時があるものなのだ。
行きすぎた公正世界仮説も
偏りすぎた自責も健全とは言えない。