
なんとなくやる気が起きない
意外と疲れているサインだったりする。
だから、
そんな時は寝てみる。
こんなんじゃダメだと自分の尻を叩くのも
ひとつの手だけれど、
休んでみるのも手。
疲れのジャッジって難しいから。

意外と疲れているサインだったりする。
だから、
そんな時は寝てみる。
こんなんじゃダメだと自分の尻を叩くのも
ひとつの手だけれど、
休んでみるのも手。
疲れのジャッジって難しいから。

ほんのちょっとした変化が
大きな変化の波を呼んでくる時もあれば、
劇的なショック療法みたいなものが
有効なときもある。
もういいや…と手放したら
意外と好転するケースもあったりして、
有効なやり方はさまざまあって、
これらは手段にすぎない。
結局は
あなたがどうしたいかなんだよ。
どうしたい?

下手な自己尊重感は重荷になるだけ。
本当の自己尊重感って
いざと言う時、
「大したもんじゃない」と
自分のことをさっぱり
捨てることができるかどうか、
じゃないのかな。
今の世の中の自己尊重感は
自己への固執で
本当の自己尊重感は解放なんだろうな。

誰だって傷つきたくない。
誰だって嫌な目に遭いたくない。
誰だって寂しい思いはしたくない。
けど、
嫌なことを避けるための生き方って
どうだろう?
そんな自分、好きになれるの?

「やるわよ!」と
私の中で聞こえる声。
「やる気あるなぁ~」と
側で眺めてるような私がいるが、
だんだんその気になっいく。
結局、自分とどんな会話をしているかなんだよね。

月が出てることを息子に伝えると
「日曜日の月はとても綺麗だったよ!」と
返してきた。
お、おとなになってる…
えーーーー⁈
いつの間に月を愛でるようになったの???

食わず嫌いはもったいない。
食べてみると
意外と美味しかったりする。
毛嫌いしていることも、
苦手だと思っていることも同じで、
やってたら結構良かったりする。
トライしてみないとわかんないんだよね。

過去に起こった出来事を
人は何度も解釈しなおす。
同じ解釈を繰り返す時もあれば
突然、全く違う解釈に
変わってしまうこともある。
解釈が変わると過去も変わる。
自分の理解の幅が広がるほどに
解釈の幅も広がっていく。

忙しいことが助かることがある。
忙しくしていれば、
手をつけなくていいこと、
嫌なこと、苦手なこと、やりたくないこと。
誰にだってそういうときはある。
それもいい。
何かを避けるために忙しくしていることを
意識できていればいいじゃない。

ゴールの設定が間違っていたら
いつまでも達成しないし、
仮に達成したとしても楽しくない。
あなたが設定しているゴールは
本当にそれでいいの?
それを得たいの?
得たらどうなると思っているの?
本当にそうなるの?