傘寿 vol.5638
生きていれば父の80歳の誕生日。
傘寿のお祝いとなるはずだった初盆。
14年前の母の初盆とは違って
白提灯を用意することも、
会食をすることもなく
ただただ父の誕生日として迎える。
子どもたちが帰省して賑やかな我が家で。
私の時もこんな感じでお願いしたい。
生きていれば父の80歳の誕生日。
傘寿のお祝いとなるはずだった初盆。
14年前の母の初盆とは違って
白提灯を用意することも、
会食をすることもなく
ただただ父の誕生日として迎える。
子どもたちが帰省して賑やかな我が家で。
私の時もこんな感じでお願いしたい。
親子も夫婦も友達付き合いも長い時間のなかで
関係性や相手への気持ちは変化していく。
親子なら
親が子を育てていたり、
子から親が育てられていたり、
親が高齢になれば
親と子の役割が逆転したり。
夫婦、二人だけの関係から子どもが出来、
教育方針で衝突したり、
親の介護で団結したり、
頼もしかったり、頼りなかったり
優しかったり、冷たかったり。
点で見ていたら気づけないことだらけ。
先日は息子の二十歳の誕生日。
あれから20年が経っちゃったんだ(汗)
いつまでも終わる感じがなかった子育ても
いよいよひと段落。
私にやれることはやった!
さぁ!
自分の人生をどうぞ謳歌してください。
おかげさまで四十九日も終わり、
無事に納骨まで行うことができた。
お墓に行くと
父の友人たちがたくさん集まっていてくれて驚いた。
みなさん口々に
「お父さんにはとてもお世話になった」と
おっしゃっていた。
脳梗塞になり経営から退いて20年、
熊本を離れて14年も経つのに…。
父の生き様が見える1日だった。
先延ばしにする、
物事を甘く見るという点において
相当よく似ている私たち親子。
息子が帰省した際、
買い物がてら一緒にバッティングセンターに。
バッティングセンターなんていつ以来だろう。
空振りに悔しがって
何度もチャレンジするところも似ているなぁ。
アルバムから父との思い出を振り返って
気づいたことがある。
写真のほとんどが母と私たちなのだ。
撮られる側ではなく、撮る側に常にいる父。
それはまるで見守る父と、
見守られている私たちを象徴しているようだった。
加えて、
父と私のツーショット写真が中学生ぐらいから無い。
照れ屋な父だ。
なぜ私から「お父さん、一緒に写真撮ろう」と
言わなかったんだろう。
私は今年56歳。
脳梗塞となって経営を退いたのは
父が58歳の時だからあと2年。
母がこの世を去ったのが68歳だからあと12年。
昨日、創業26周年日だったが、
終わりはいづれ来る。
何事も必ず終わる。
父の年齢で引退するとなればあと24ヶ月かぁ。
全てを出し切る気持ちでやっていこう。
写真は父が始めたお店。
裏にS44と書いてある。
父の葬儀は家族だけで。
棺の横で実家のアルバムを開いて
わんやわんやと賑やかだった。
母や父に抱かれ満べんの笑みの小さい私。
白黒写真だけどね。
人生初めての東京出張(?)は小学2年生。
明治神宮で行われた書道の表彰式に
家族で行った時だった。
熊本生まれ、熊本育ちの父は
東京のお醤油の色の薄さとしょっぱさに引いていたのを
覚えている。
昨日、父が亡くなりました。
イケイケの経営者で愛情深く、
ユーモアに溢れた大好きな父でした。
今頃はもう、
先に逝った母と美味しいお酒を飲みながら
語り合って笑っていると思います。
ブログは1週間、お休みさせていただきます。
近年、大切な人ばかりがこの世を去っていきます。
困ったものです。
①100:0で相手が悪い。
②50:50で互いに悪い。
次に来る③は0:100で自分が悪い
と思うでしょう⁈
違うんだって。
0:100で自分が悪いは①と同じで、
③は0:0で両方とも悪くない
人間関係には③がある。