忘れがちなのは
上手くいかないときに共通して、
忘れてしまっていることがある。
それは、
楽しむこと。
自己批判ばかりで、
気づけば、
眉間に皺が寄っていたり、
肩に力が入っていたり、
拳を握ってたりする。
今を楽しもう。
楽しむ余裕を意識しよう。
上手くいかないときに共通して、
忘れてしまっていることがある。
それは、
楽しむこと。
自己批判ばかりで、
気づけば、
眉間に皺が寄っていたり、
肩に力が入っていたり、
拳を握ってたりする。
今を楽しもう。
楽しむ余裕を意識しよう。
「これでいい」と今の自分を肯定する。
「これでいい」と
今の自分に言ってみる。
「これでいい」と思ったからって
停滞などしない。
今できる最大のことをやってるんだもん。
それでいい。
結局、どれもこれも、
終わる時には全て良い思い出になるんだな。
辛いことも、
もう2度と味わいたくないことも。
なら、
今もそう思って過ごしてみるか。
好きすぎて認めれない「好き」がある。
手に入らなかった場合を考えると恐ろしすぎて
無自覚に「好き」を抑圧してしまっているケース。
小学生的愛情表現にも近い。
1番好きなものを「好き」と認めなかったら
2番目に好きなものが1番好きに感じるかというと、
実はそうじゃない。
2番目以降の好きだったものさえ
色褪せはじめ、
好きなものがなくなっていく。
だから、
手に入るかどうかは別にして、
1番好きなものを「好きだ」と
ちゃんと自覚すること。
自分の気持ちに自分がOKすること。
努力することは素晴らしいことだ。
しかし、
努力で何もかもがどうにかなるかというと
そうはならない。
時間も限られるしね。
ただ、出来ないと「なんて私はダメなんだ…」と
自分を責めて、落ち込んでしまうが、
そうする必要もないんだ。
できないことがあることは自然なこと。
それに、
できることが増えるほど
あなたの価値が上がるものではないし、
できないことが増えるほど
あなたの価値が下がるものでもない。
価値って出来ることだけではかるものじゃないから。
自分と似てる部分が嫌なんだよね。
普通、互いの共通点は
親密になるポイントなのに
似てるから嫌いになるのは
自分が嫌悪している自分と似ている部分を
相手に見るからだよね。
嫌だと思ってるのは
自分が嫌だと感じている自分の一部を
相手に見ているからなのに
まるで相手自体が嫌に感じるんだよね。
その相手は自分が嫌っている自分の一部を意識化させてくれている
貴重な人でもあるんだよね。
誰にも負けない勝負がある。
それは
「私」になる勝負だ。
あなたになる大会では
あなた以上に強い奴はいない。
同様に、
誰かになる勝負ではいつも負けるはずだ。
私は「私」になるのが一番強い。
枯れたり、剥げたりしてる普通の芝生だけど、
隣から見た我が家の芝生だって
いつも青いらしい。
足を踏み入れてみれば
どこの家の芝生も
青かったり茶色だったり。
皆、同じなんだよねえ。
目を覚ましたら、
ベットの上で伸びをし、
トイレ、洗面所でのうがい、
そして、キッチンへ
電気ケトルのスイッチを入れたら、
コーヒーを入れる準備をし、
お湯が沸くまでストレッチをする。
といった具合に
目覚めてからのルーティンはある程度、
決まっている。
いちいち、
今日は歯を洗うべきか、それとも?
と迷ったりしないし、
一連の行動には他の選択の余地はない。
1日の大まかな流れが
このようになればいいんだよ!
ルーティンは
どの程度のやる気があるか?とか、
モチベーションは高いか?など
気分を詮索する必要がない、
考えることなく思わず行動している状態。
気分と行動を分けている状態がルーティン、
決まった手順とか、日課や習慣って言うんだよね。
それで大丈夫?
その程度じゃダメだ!
だから、伸びなんいんだ…。
そんな声に邪魔されてない?
だんだんとやる気が失われていくパターンになってない?
誰もそんなこと、
あなたに言ってない。
言われているように感じるかもしれないけど
それはあなたの声だよね。