私たちはイメージに反応する vol.5421
やることやってるのに
目に見えた結果が出ない時は
イメージの力も借りてみる。
やれている状態や
すでにそうなっている私を
イメージの中で味わってしまう。
すると自分が想像したイメージに
自動的に自身も反応していく。
イメージの力は思っている以上にパワフルだから。
やることやってるのに
目に見えた結果が出ない時は
イメージの力も借りてみる。
やれている状態や
すでにそうなっている私を
イメージの中で味わってしまう。
すると自分が想像したイメージに
自動的に自身も反応していく。
イメージの力は思っている以上にパワフルだから。
そもそもあったのに
意識できてなければ無いのと同じ。
それは気持ちも同じで、
自分の思いに気づくと
自分の内的世界が広がる。
意識できた分、
あなたの世界が広がるんだ。
隅々まで見えていないことを
友人が「ろうそくの明かり」に例えたことがある。
大きな部屋なのにろうそくの周りだけが明るい。
私たちの心も広いのに
ほんの一部しか照らされていないのかもしれない。
言葉で理解し合うことには限界がある。
本人が自身の本当の気持ちを理解していなければ
そもそも言葉にならない。
また逆に、
言葉だけなら何とでも言える。
言葉にできない部分を感じるアンテナを
高くしておかないと物事を見誤ってしまう。
それに、
そこを理解すると互いの距離はぐっと縮まる。
「これでいい」と「この程度でいい」は違う。
「これでいい」は納得で
「この程度でいい」は折り合い。
どちらが良い悪いではなく、
適切に使うことが大切になる。
ただ、人は往々にして逆をやりがちだ。
過去の変えられないことに
「これでいいんだ」と納得しようとし、
まだまだやれる未来のことに対して
「この程度でいい」と折り合いをつけようとする。
過去は変えられないからこそ
「この程度でよかったんだ」と折り合いをつけるしかないが、
どうなるかわからない未来に対しては
「これでいい」と納得いくまでやろう。
場所や付き合う人、
やることが変わっても
そん人はその人の法則に則って行動する。
ただ、自身がその法則を
意識化できてないことが多い。
あなたの法則にはどんなものがあるのだろうね。
ピクニック、ハイキング、トレッキング、登山の違いは以下らしい。
ピクニック:自然の中で食事を楽しむこと。
ハイキング:自然の中で歩くのを楽しむこと。
トレッキング:山頂を目指すことにこだわらない山歩きのこと。
登山:山頂を目指し、山を登ること。
楽しみ方はいろいろだ♪
これは自然だけの話じゃないよね。
友達との時間だって、
仕事の楽しみ方だって、生き方だって、
目指すものはそれぞれでいい。
ただね、
他の人の楽しみ方に口出ししたくなったり、
自分の楽しみ方がベストだと強く主張したくなったら、
振り返ってみる必要がある。
自分の中の劣等感を。
自分が発する言葉のパワーは
私たちが思っている以上に大きい。
自分の声を自分が聞いているので
その自分の言葉をまた考えたり、判断したり、
またその言葉にとらわれたりしている。
このような機能をオートクラインというのだけど、
例えば、
適切な言葉やフレーズを持っているだけで出来ることもあれば
持っていないだけで出来ないこともある。
例えば、
自分の気持ちを言い表す言葉を知っていれば
気持ちの整理がつくが、
知らないばかりにモヤモヤが付き纏うこともある。
自分が発する言葉が最も影響を与えるのは自分だ。
だから、丁寧に使いたい。
何度も挑戦できるって
ありがたいこと。
努力が実るって
ありがたいこと。
緊張するほど真剣になれるって
ありがたいこと。
ほんと。
ありがたいことのオンパレードやな。
ご縁って、
仕組まれてる?としか思えない。
人とのご縁もそうなら、
出来事だってそう。
このタイミングでそれ起こる???
みたいなものもあって。
本当に、
私たちの意志でやってるの???
シナリオがあるんじゃないの???
心が触れるものも含めて
直接、自分に触れるものは大切にしたい。
例えば、言葉。
なんか…わざとらしく感じるから
アファメーションとかはあまり得意じゃないけど、
触れる言葉は大切にしたいと思っている。
影響を受けるとわかっているのに
それをぞんざいに扱う気にはなれない。
例えば、付き合う人。
断れない付き合いも当然あるけど、
誰と付き合うか、
誰と長い時間を共にするかは選びたい。
付き合う人によって変わる一面が
人にはあるのだから
良い影響を与えあえる人と付き合いたい。
例えば、環境。
ミニマリストではないし、
それを決して望んでもないけど
整理された環境でありたい。
気がかりがたくさんあるような状態では
エネルギーが削がれるので
どこに何があるか、
今、何が必要かがすぐにわかる自分でありたい。
普段、無自覚にいろんなものに触れている。
ひとつひとつ、整えたいね。