
程度の問題 vol.5399
やらなければ始まらないし、
やり過ぎれば嫌になるし、
どの程度やるかといった程度を考える必要がある。
努力だって
足りなければ結果には結びつかないし、
やりすぎたら身体を壊して
元も子もなくなるかもしれない。
それになぜか不慣れなものほど
やりすぎちゃったり、
全然足りなかったり程度がわかんないんだよね。
うまくいってないことがあれば
才能ややり方のせいではなく、
程度の問題なのかもよ。

やらなければ始まらないし、
やり過ぎれば嫌になるし、
どの程度やるかといった程度を考える必要がある。
努力だって
足りなければ結果には結びつかないし、
やりすぎたら身体を壊して
元も子もなくなるかもしれない。
それになぜか不慣れなものほど
やりすぎちゃったり、
全然足りなかったり程度がわかんないんだよね。
うまくいってないことがあれば
才能ややり方のせいではなく、
程度の問題なのかもよ。

マインドセットを変える実験をしてみる。
例えば、
気が重いことだけどやらなければならないことや
やった方がいいとわかっているけど
気乗りしないことに対して、
「嫌だなぁ、疲れるなぁ、これは本当に意味があるのか?」
などと考えがちだが、
「楽勝さ!どんなことが起こるか楽しみだ〜🎶」
といったように真逆から捉えてみる。
もちろん、演技だよ。
そのつもりでやったらどうなるかの実験。
完全後ろ向きに始めるのとは違ってくる気がするんだよねぇ。

ミスはしていいんだよ。
ミスしない人などいない。
ミスした後が大切なんだ。
ミスを受け入れれるか?
迷惑かけた人に謝れるか?
リカバーできるのか?
同じミスを繰り返さないためには?
これは「ミス」だけの話じゃない。
「失敗」や「間違い」「部屋の片付け」だって
あなたが避けようとして行き詰まっていること全般に
使えるはず。

考えることとリアルは違う。
こう書くと当たり前のことなんだけど
私たちは考えた通りになると
どこか疑わないところがある。
例えば面倒と思っていたことが
実際にやってみるととても良かったり、
ベストだろうと思っていたことが
リアルでは全然ダメだったり。
だからリアルではいつも驚く。
やってみないとわからないもんだなぁって。

誰かの得意なことに助けられたり、
自分の力が誰かの役に立ったり。
プロフェッショナルとは
何とありがたく、
何と嬉しいことだろう。
時間とエネルギーをかけて
身につけてきたことが誰かを救う。
プロフェッショナルっていいよなぁ。

スイッチの入り方は色々だ。
希望や夢もあれば、怒りや屈辱もある。
何によってスイッチが入ったかは問題ではない。
その後のプロセスのなかで
どういった私に変化していくかが大切なんだ。
始めた当初に
こだわる必要がある時もあれば
そうじゃない時もある。
スイッチは偶然でも、
その後はあなたが選択していく。

車のウィンドウに桜の花びら。
福岡では曇りや雨が続いていて、
こういった菜の花が咲く季節の長雨を菜種梅雨とか
桜の花びらが落ちてしまう桜雨とも言うらしい。
ずっと続くように感じていても
全ては変わっていくんだよなぁ。

昨年のワールドカップの快進撃に今回のWBC優勝と
強さとはなんと誇りを醸成するのだろう。
このままじゃ日本はダメになっていくように言う人は多い。
確かに解決しなければならない問題は多いかもしれない。
しかし、あの準決勝の逆転劇に
決勝戦の舞台裏を見たら
どんな問題も乗り越えれないとは思えない。
ただただ強いだけじゃない、
向かう姿勢や普段の考え方の美しさには
日本という国の素晴らしさが反映されているように感じる。
相当なビビりーなのでオンタイムでの観戦を避けて、
勝敗が決定した後
ニュースや動画で確認しては涙している私は
深くそう感じるんだよあぁ。

見えちゃいないんだよね。
見えていると思っていること自体が
見えていない証なんだ。
見えていないことが見えてるか⁈
って禅問答みたいになっちゃうけど、
そこなんだよねぇ。

本当に欲しいものほど
欲しくないことにしてしまうことがある。
手に入らなかった時のことを考えると
怖いほど欲しんだよね。
小学生が好きな子を嫌いというのに似ている。
あなたの好きを言葉にしよう。
好きを意識できれば
手に入るものは以外と多い。