変わりたい時

2018.12.19.

自分で決めたルールに人は縛られる

反面教師か、
はたまた誰かを守るためだったのか
自分をがんじがらめにしているルールは
自分で決めていることが多い。

加えて
人はやったことをやり続けてしまう癖がある。

私たちは日々、
年齢や経験を重ねているし、
その当時の自分には必要だった掟も
今は不要になっていることも実は多い。

力がある人ほど、
難なくやれる自分に慣れてしまうからこそ
時々チェックする必要があり、
そのサインは誰かの行為に感じた
「イライラ」や「怒り」だったりする。

「イライラ」や「怒り」を感じる時は、
自分に禁止している行為を
相手がやった時に感じる一面があるから。

「イライラ」を感じた時は
今の自分に必要なルールのか
少し緩めるタイミングじゃないのか?!と、
見直す必要がある。

2018.12.18.

もう一人の自分の目

新しい自分にチャレンジする際に大切なことは、
チャレンジした結果より、
チャレンジする前後の自分の思考や感情の動きを
観察すること。

そのためには
少し離れたところから自分を観察する
もう一人の自分を持つといい。

冷静に自分を評価するもう一人の自分の存在により
無自覚に抱いている負のイメージを正しく把握でき、
把握するほどに望むイメージに書き換えることが
容易くなる。

2018.12.11.

人生の工夫

まるで刺す勢いで
自分が悪いと責めているんじゃない?

誰のせいにしても事は進まない。
だから自分が悪かった、自分が変わればいいんだと
自分ばかりを責めていないか?

だからって怒りは収まるどころか
ずっと自分に向けられている。

そんなふうに思う必要はない。
大丈夫。
あなたがあなたを大切に扱っても
誰かが傷ついたり、落ち込んだりすることとは関係がない。

大切な人を守る工夫だったんだよね。
そこに気づいたら
本来の自分を取り戻していこう。

2018.12.08.

復活するための時間を早めるには

よし!と覚悟を決めた後に挫かれるのに
私は非常に弱い。

強い気持ちをどこに向けて良いか、
覚悟を弄んでしまう。

復活するのに何日かかかる。

その復活するまでの数日を
仕方ないと諦めきれるとまだ復活は早いが、
焦ると長引く。

この差は事実を直視する力だと思う。

事実を見て、
やればどうにかなることと
やりたくても出来ないことの
自分の心の境界線を明確にしておくと
取り扱いがラクになる。

2018.12.07.

問題の原因の見立ては

問題の原因の見立てが
最初からドンピシャ!ということは
そうそうない。

きっとこうだろうをやってみては違い、
じゃぁ、これは?!を繰り返すうちに
どんどん精度が上がっていく。

だからこそ、
とっとと手をつけないと
繰り返す時間がなくなってしまう。

2018.11.29.

始め良ければ終わり良し

結果を分けるのはスタート時の想いだと思う。

どんな思いで始めるのか?!
誰をみているのか?
何のためにしているのか?
といった最初の想いは結果に作用する。

じゃぁ、「終わり良ければすべて良し」は?

途中、うまくいかなくなった時にきっと、
スタートした心根を修正した場合、
終わりが良くなるのだと思う。

想いのエネルギーは強力だ。
何のためにやっているのかといった心根は必ず結果に影響する。

2018.11.28.

キャラ変え

セルフのB(自己認知)を緩めるときは
キャラ変えが必要となる場合がある。

これってちょっと辛い。
というか恥ずかしい。

今まで慣れ親しんだ自分のキャラクターは
面倒なところもあるが、
助かってきたから使い続けている訳で。
愛着もある。

これがなぜかいつもの自分に戻ってしまう、
揺り戻しの正体。

キャラ変えか…。

変わる前から考えても仕方ない。

自己認知を緩めながら変わり、
変わりながら自己認知を緩めていく。

2018.11.25.

やり方とあり方

なぜ痩せないのか?
なぜ走れないのか?
なぜ英語ができないのか?

どうやったら痩せるのか?
どうしたら走れるのか?
どうやれば英語が勉強できるのか?

やり方ばかりが気になっている時は
力がないと言っているようなもの。

前に進めないときは
無自覚の「できない」自己認知が足を引っ張っている。

そこにすでに力があることに気づけない。

2018.11.24.

まずは一歩

経験を積むほど勘が冴える。

成功したからわかる勘所があり、
失敗したからこそ知り得る勘所もある。

何事をやってみないことにはわからない。

出来る出来ないより
まずは一歩前に進むこと。

一歩進むことだけに注力する。

2018.11.22.

あなたの認知は現実に映し出される。

前回、初打席で自打球を受けた時に
監督が慌てて駆け寄ってきて
自打球を受けない方法を説くことなく、
「自打球は怖くない」と言ったことで
自打球が怖くなって野球をやめてしまった話を例に
認知は出来事をどう解釈したかで決まる話を書いた。

今日はこの話を監督の立場から見てみよう。

監督は初打席に入った子どもが
自打球を受けたのを見てマズイ!と思ったはずだ。

初打席で自打球を受けるなんて
怖がって野球を辞めてしまうかもしれないと。

だから、
駆け寄ってきて「自打球は怖くない」と言ったが
案の定、少年は野球をやめてしまった。

監督がもし、
「自打球を受けたからって野球をやめるわけない。
慣れれば、上手に打てるようになる。」
と考えていれば、
冷静に、
「バットの出し方を変えれば自打球にはならない」
とレクチャーできたかもしれない。

監督には過去に
自打球を受けて野球をやめた少年がいて、
自打球を受けた=野球を辞めてしまう
といった認知が発動したのかもしれない。

認知は現実に映し出される。

監督の認知が
「自打球を受けた少年が野球をやめる」現実を
作り出した。としたらどうだろう。

起こっている現実を見ることで
無自覚なあなたの認知がわかる。