やりようはある
結果がダメだと
自分がダメと言われたような気がしてしまうが、
やり方がダメだっただけで
自身がダメということじゃない。
自分がダメと感じると
そこで全てが止まってしまう。
単なる情報不足なこともあれば、
やり方を変えれば難なくできた!
ということもよくあることだ。
ダメと自分が自分に終止符を打たなければ
やりようは色々ある。
結果がダメだと
自分がダメと言われたような気がしてしまうが、
やり方がダメだっただけで
自身がダメということじゃない。
自分がダメと感じると
そこで全てが止まってしまう。
単なる情報不足なこともあれば、
やり方を変えれば難なくできた!
ということもよくあることだ。
ダメと自分が自分に終止符を打たなければ
やりようは色々ある。
そのままの自分で居れるような環境づくりを考える。
例えば、
優秀な人材とみなされると、
その期待に応えたいと人は考えるものだ。
だけど、
できないこと、苦手なこと、
弱音を吐きやすいなどを
最初から伝えておこう。
それは、
出来てない時に出来ないと言いやすい環境づくりになる。
苦手なことを苦手だと言いやすい環境づくりになる。
弱音を吐いても大丈夫な環境づくりになる。
怖い、不安、自信がないといったネガティブな感情が湧いたからって
あなたの価値を下げることにはならない。
自己価値には何も影響しないんだ。
誰だって怖いし、
誰だって不安だし、
誰だって自信がないことはあるんだよ。
ネガティブな感情を抱いて
さて、どうするか?が重要だ。
「ネガティブな感情を抱かない自分」を目指していたら
いつまで経っても達成できないよ。
それどころか、
その目標そのものが敗北感を生む。
だって、
恐れや不安や自信がないも
自然な感情だから。
「気分の落ち込み」が
ダメなことのように感じている人がいる。
裏を返せば、
「いつも前向きに
意欲的な状態でなければならない」
ということだよね。
そりゃ、無理だよ。
いつもいつも元気に意欲的なんていうのは
ありえない。
気分が乗らない日があったり
妙に意欲的なときがあったりするのは
誰にでもある自然なこと。
実はこの「いつも前向きに
意欲的な状態でなければならない」といった考えが
気分の落ち込みを増長させる。
自分の自然な状態を受け入れず、
無理なことをやろうとしているんだよね。
つまり、
今の自分を受け入れていないってことでもあるよね。
そりゃ、いつも気分は落ちることになるさ。
自分を好きになるには、
何かを達成しなければならないと思い込んでいる人がいる。
確かに、
やれることやできることが増えれば
自分を好きになりそうだ。
しかし、
達成以上に有効なことがある。
それはプロセスだ。
例えば、目標を達成するために
あれもこれも全部同時にはやれないと覚悟しているから
ガマンすることを心得ていて
普通以上の抵抗なくガマンを選択できる自分。
やってみたらわかる。
そんな自分をちょっと好きになるだろう。
それに、
目標達成するために
ちょっとしたガマンしている自分が
だんだんと誇らしく感じてくる。
そんな自分はかなり好きになる。
目標達成に必要なガマンを積み重ねているとそのうち、
必ず希望が見え始める。
ここまで来れば
自分を好きにならない方が難しくなる。
自分の本当の思いに蓋をし、
無視することが、
世の中や周りの人たちとの折り合いの付け方だと
誤解している人がいる。
それは違う。
どう折り合いをつけるかは、
自分の本当の思いを自覚した後だし、
折り合いの付け方は
自分に嘘をつくことじゃない。
どんなにじっとしていても
もう一人の自分が自分を責め続ければ
極端に疲労する。
横になっていても
動いていても
24時間365日つきまとうもう一人の自分が
何と言ってきているのか。
その声を意識できたなら
人生の流れを変えることができる。
感じないようにした感情は
生まれなかったわけではない。
消えたわけでもない。
残るのです。
未処理の感情として。
その未処理の感情はあなたの人生に影響を及ぼします。
例えば、人間関係。
うまくいかない人間関係には
未処理の感情が影響しているのです。
どれだけ熱を込めて伝えても、
自分のことだと気づかなければ響かない。
気づけないことには先に進まないし、
気づいたとしても
受け入れなければまた進めない。
進むって時間がかかるよなぁ。
私の実家は中学校の隣だった。
受講生と話をしていて思い出したけど、
朝、よく時間ギリギリになっていた。
中学生の私は
「もう少し家から学校まで距離があったら
時間に余裕を持って行けるのに…。」
と思ったことがある。
当時の私を振り返るとよくわかる。
現状に感謝するどころか、
出来ないことを自分以外のせいにし、
「もっともっと」と幻想を追うとは、
これこそが幼稚で「甘えている」ということだ。
「甘え」とは
現状の有り難みに気づかず、
幻想と理想の境界線が曖昧で
事実が観えていない
ということなんだろうなぁ。