
手と手を組んでみる
手と手を組んだとき、
どっちの親指が上になる?
右親指が上の人は左親指を、
左親指が上の人は右親指を上にしてほしい。
つまり、いつもと違う組み方をしてみる。
とっても気持ち悪いよね。
手を組むことで言えば
どっちの親指が上だろうが、
手を組んでいるということ自体に変わりはない。
しかし、異様な気持ち悪さがつきまとう。
不慣れな選択のチョイスはこれと同じで、
あなたにとってベストな選択だとしても
いつも選ばない方の選択をすれば
気持ち悪いものなんだ。

手と手を組んだとき、
どっちの親指が上になる?
右親指が上の人は左親指を、
左親指が上の人は右親指を上にしてほしい。
つまり、いつもと違う組み方をしてみる。
とっても気持ち悪いよね。
手を組むことで言えば
どっちの親指が上だろうが、
手を組んでいるということ自体に変わりはない。
しかし、異様な気持ち悪さがつきまとう。
不慣れな選択のチョイスはこれと同じで、
あなたにとってベストな選択だとしても
いつも選ばない方の選択をすれば
気持ち悪いものなんだ。

人が人と慣れていくまでに感じがちな4つの不安が言語化されていた。
無能と思われる不安
無知と思われる不安
邪魔してると思われる不安
ネガティブと思われる不安
感じている不安はみーんな同じやん(笑)。
なら、
不安がる必要もないし、
不安じゃないフリも必要ない。
「相手もわたしと同様の不安をもっている」といった視点で
周りを見渡してみてもいいかもね。

思い通りにいかない時に
その人の真価みたいなものが
問われるんじゃなかろうか。
イライラして誰かに当たってないか?
人のせいにしてないか?
無駄に落ち込んだり、無駄に騒いだりしてないか?
落ち着いているだろうか?もがいているだろうか?
思い通りにいかないシーンは誰もにある。
だからこそ、違いがはっきり出るんだろうな。

別の選択をしていたら違う今があったのかも…と考えがちだが
それは存在しないのかもしれないな。
何をどう選んでもこうなっていたというか。
これをやる必要があったというか。
この人生で避けては通れない、
必達課題だと考えると逃げていても仕方ない。
あなたがクリアーできない課題は来ないはず。
とっとと課題に向き合って
終わらせて次に行こう!

なぜ、それを選んだのかを
改めて考えてみる。
何を得たかったのか?
それを得ればどうなると思っていたのか?
本当の望みは何だったのか。

例えば、
ギャンブルにハマってしまってる人を見ると、
きっと過去に大当たりを経験した人なんだろう
と想像できる。
当たった時の興奮や
一瞬にして大金を手にする感覚などを知ってしまって
働くことが
とても面倒なことに感じてしまっているのかもしれない。
他人のことなら、
最初に当たったのがラッキーで、
「普通」を改めて
解釈し直さないといけないことがよくわかる。
「ラッキー」を「普通なこと」と思うと
「普通のこと」がしんどく感じるから。
こういうことが自分の人生にも起こっているとしたら
どうだろう?

気にし過ぎてしまっている時は
志を上げてみよう。
例えば
地域のことが目標だったら日本全体へ。
日本のことが目標だったらアジアへ。
アジアのことが目標だったら世界レベルまで引き上げてみる。
高くしてみたり、幅を広げてみたり。
細かいことなど構ってられないぐらいまで
志をうーんと高くしてみる。
すると、
気にしてることが意味の無いことに思えてくる。

苦しむと苦しんでいる人の気持ちがわかり、
損なうと損なった人の気持ちがわかる。
強い立場になると強い立場の人の気持ちがわかり、
弱い立場になると弱い立場の人の気持ちがわかる。
どんな気持ちだろうが
その気持ちになる人にも
ちゃんと理由があるんだよね。
経験しないと本当のところは掴めないし、
掴めたからって通り過ぎれば忘れてもしまう。
ココんとこ、忘れないようにしていたいね。

自分を変えるやり方にはいろんな方法がある。
そのひとつは
「自分が求めているものを先に周りに与える」
という方法。
打算的ではなく、
「自分が欲していることならきっと周りの人も欲しているだろうから、
なら、お先にどうぞ!」的な感じ。
遠回りに思えるかもしれないが
以外と近道なんだよねぇ。
それに、
今まで見えなかった世界が回見えるし、
その効用は想像以上に大きい。
お先にどうぞ!は副交感神経も有利にするらしいしね。

いやいや無理でしょ。
そこまでは…
きっとダメなんだろう。
みたいな声を頭の中で聞いてないだろうか。
そうなんだよなぁ、
自分が自分をできないままにしてるんだよ。