不安定なとき

2026.09.09.

自分に寄り添う  vol.6172

「自分に向き合うことが大事」と、よく言われます。
でも、それは弱い自分やダメな自分を見つけて、
そこに対峙することではないんですよね。

一生懸命な人や努力家な人ほど、
「ちゃんと自分に向き合わなくちゃ」と、
知らないうちに
肩に力が入ってしまってることがあります。

ただ、私たちは
自分で自覚している以上に、
たくさんのことを感じているんですよね。

なんとなく気になる。
理由はわからないけれど、うれしい。

そんな、まだ言葉になっていないものを、
私たちは日々たくさん受け取っているんですよね。

だから、ときには
答えを出そうとしなくてもいいし、
原因を見つけようとしなくてもいい
と思うんです。

ただ、
たくさん感じとっている自分のそばにいる。

自分に向き合うというより、
そんな自分に寄り添ってみる。

そうすると、
今までとはまた違った自分に
触れれる時があったりしますから。

 

 

2026.09.05.

「あの時」が今かも。  vol.6168

多くの時間がかかると言われて、
引いてしまうことってありません?
例えば、「3年くらいはかかります」って言われたら、
「そんなの無理!」って感じがするじゃないですか。

でも実際、
3年が終わるのなんて、
あっという間なんですよね〜。

だから、

「3年かかるって言われたから諦めたのに、
気づけば3年経ってる。十分できたじゃん!」

って思うことさえありますよね笑。

 

ということは、

今はすでに「時間が足りない」
と思っていることでも、

この先の自分から振り返ってみたら、

「あの時からでも、
十分、間に合ったじゃん!」

と思うことがあるのかもしれないんですよね。

 

と考えたら、
未来の自分がそう振り返る
「あの時」は実は
「今」なのかもしれません。

 

 

 

 

2026.08.28.

人が集まるエネルギー  vol.6160

周りに一体、どんな人がいるかって、
自分に強く影響するじゃないですか。
例えば、
しっかり前を向いて堂々と進んでいる人がいれば、
「私もやろう!」と思えるし、
逆も然りだと思うんです。

そして、影響を受けると同時に、
影響を与える自分のことも振り返れる。

私は周りに、どんな影響を与えているんだろう。

不安や弱さを言葉にできることは、
心理的な安全を考えると、
とても大事なことです。

でも、それで終わらずに、

不安があっても、もう一歩進んでみる。
その不安を安心へ変えていく。

そんな積極的な姿勢を
誰かが見せてくれることで、
「私もやれるかもしれない」と思えることがある。

そういう影響もまた、
人が集まる場には大切だと思うんですよね〜。

朝顔が咲いてました!
夏休みも終わりますね〜。

 

2026.08.26.

テストって嫌ですよね〜笑   vol.6158

テストって嫌ですよね〜笑。
今の状態を知るのには、ベストとわかっていても
先延ばしにしたいものです笑。

ただ、先延ばしにすると、
事実と向き合うのが遅れる分、
成果が出るのも遅くなってしまうんですよね。

テストが嫌なら、
本番はもっと嫌ですしね。

だから、もう逆に、
テストを日常にしてしまうんです。
「特別な日」にして緊張しないために。

これは、テストに限らず、
何でも同じだと思うんですよね。

時々しかやらないからドキドキするなら、
どんどんやって、
慣れてしまうのがいちばん。

逃げたくなるものには、
思い切って、
こちらから向かっていく(笑)。

まぁ、最初は疲れるんですけどね。

それでも、
1回目より2回目、
2回目より3回目と、
やるたびに何かを掴んでいきます。

やればやるほど慣れていくし、
やればやるほど、
やっぱり伸びるんですよね。

写真は福岡の夕方の太陽です。
妙にクッキリでした〜!

 

2026.08.06.

SNSが、私の関心を「世界観」に変えてしまう vol.6138

いろんなSNSがあるじゃないですか。
InstagramやFacebook、XにYoutube…
流れてくる情報がSNSによって偏ってて
ビックリしたんですよね〜。

世の中にある情報の中から、
それぞれのSNSが理解した“わたし”に
合うものを並べているから
そういう違いが生まれてるらしいんですよね。

“わたし”に合うものっていうのは、
ちょっと立ち止まった投稿や動画て、
そこから、
「あなたが見たい世界は、きっとこれですよね」って、
世界の続きを先回りして
つくり始めるからなんですって。

これって、ちょっと怖いですよね〜。

そうやって先回りされると
更に関心が深まるだけではなく、
世界そのものがその一色でできているように
感じられてくるから。

しかも、
SNSが見ている「私の関心」は、
必ずしも自分が大切にしたいものとは
限らないんですよ。

不安で繰り返し確認したもの、
違和感があってコメントまで読んだものも、
トイレに立って、
たまたま長く開いたままになっていた画面さえ、
「関心がある」という判断材料になり得るんです。

こちらは嫌だから見ていても、
たまたまその画面が開いたままでも
SNSは「もっと見たいんでしょ?」
と判断してしまう。

何が怖いって
一つの窓から見えている景色を、
世界のすべてだと思ってしまうことが
怖いんです。

だって、
その違いに気づかないまま、
集中を「世界観」に
変えてしまう可能性があるんです。

一つに集中することは深さを生みますが、
視野まで一つになると、
ほかの可能性が見えなくなる。

だからこそ、改めて
リアルが大事になると思うんです。

リアルな場所に出ることや、
自分とは違う人と直接話すことは、
アルゴリズムがつくった“私”から、
自由になる働きでもあるんですよね。

2026.07.20.

ケンカって  vol.6121

ケンカって、あまりしたくないですよね。
穏やかに話し合えたら、その方がいい。
でも、ケンカだからこそ見えてくるものもあるんですよね〜。

感情が高ぶると、
人は普段なら
飲み込んでしまう本音を口にします。

相手を傷つけないように選んでいた言葉も、
その瞬間だけは
抑えきれなくなることがあるじゃないですか。

もちろん、相手を傷つける言葉が
良いわけないんですが、
その言葉の奥には、
長い間しまい込まれていた気持ちが
隠れていることがあるんですよね。

「本当はずっと寂しかった。」
「ずっと我慢していた。」
「わかってほしかった。」

そんな思いが、
不器用な形で噴き出してしまうことも
決して少なくありません。

ケンカそのものに価値があるというより、
ケンカの中で表に出てきた”本音”には、
大切な意味があると思うんです。

特に、普段から人に気を遣い、
言葉を選ぶ人ほどそうです。

ケンカは単なる衝突ではなく、
お互いを理解するきっかけになります。

大切なのは、ケンカのその後なんですよね。

関係を壊す出来事になるか。
それとも、
関係を深める出来事になるか。

その違いは、感情が落ち着いたあとに、
本音と向き合えるかどうかな気がします。

 

2026.07.03.

言葉に全てできるほど、人生は単純でもない。 vol.6104

言葉にできるほど、人生は単純ではないんだと思うんです。
言葉にするということは、複雑な現実の中から、
ある部分を切り取ることじゃないですか。

切り取らなければ、人には伝えられない。
けれど、切り取った瞬間に、
こぼれ落ちるものがある。

言葉は、
経験を理解するための入口にはなるけれど、
人生の結論にはならないんですよね。

ラベルは、人を守ることがあります。

自分に起きていることを理解できたり、
苦しみから抜け出すきっかけになったりすることもある。

一方で、
その人が生きてきた時間や、
選んできたこと、
愛憎や葛藤、そこで獲得した力まで、
一枚の言葉で覆ってしまうこともあるんですよね。

自分の人生を、
他人が理解しやすい単純な物語にしてしまうことは
危険です。

同じように、
他人の人生を、
自分が理解しやすい単純な物語にしてしまうことも
危険だと思うんです。

人の中には、
相反するように見えるものが、
いくつも同時に存在しています。

好きだけれど、許せない。
苦しかったけれど、得たものもある。
逃げたかったけれど、自分で残ることを選んだ。

どちらか一方だけが、本当じゃないんですよね。
いろいろなものが共存している。

そのすべてが、
その人の人生なんじゃないかと思うんです。

2026.06.30.

一生懸命に変わりはない  vol.6101

たとえ、それが軽率な行動に見えても、
慎重すぎて、進みが遅いように見えても、
その人が一生懸命であることに、変わりはないんですよね〜。

その人の中で何が起こっていて、
何を考え、
どうすべきだと思っているのかなんて、
簡単にはわからないじゃないですか。

人にはそれぞれ、
歩いてきた過去がありますから。
それぞれの現実に向き合い、
悩み、考えながら、
自分なりのやり方をつくってきたんですよね。

もちろん、そのやり方が
その時の状況に合っているかは、
考える必要がありますが、

その行動だけを見て、
一方的に決めつけることはできないなぁと思うんです。

例えば、軽率に見える人も、
動けないように見える人も、
その人なりに悩み、考え、選択している。

表れ方が違うだけで、
一生懸命であることに変わりはないんですよね。

2026.06.02.

心の声  vol.6073

自分の心の声って、影響力半端ないのにないのに
思っている以上に意識できてないんですよね〜。
その声に慣れ親しんでしまっているからなんです。

私たちが考える時、
少なくとも、もう一人の私と会話をしていて
私たちの感情や思考に大きく影響しているのに
意識できてないって勿体無いですよね。

例えば、
上司に注意された時、

冷たく「これで昇格できないな」
と言ってくる自分がいた場合と、

「注意するって思ってくれている証だぞ」
と言ってくる自分がいた場合には

そりゃ、注意されたことへの反応は
変わるじゃないですか。

同じ出来事でも、
その後の気分や行動がまったく変わってしまうのは、
その出来事をどう意味づけてするかに
心の声が関係しているからなんです。

ただ、この心の声は厄介です。

だって、あまりにも慣れ親しみすぎていて、
それが「自分の声」なのか、
過去に誰かから言われ続けた言葉なのか、
社会や環境の中で身につけた思い込みなのか、
区別がつきにくくなっているからです。

「ちゃんとしなきゃ」
「迷惑をかけてはいけない」
「もっと頑張らないと認められない」
「どうせ私には無理」
「弱さを見せてはいけない」

こうした声が、
いつの間にか自分の中に住みついていて、

しかも、それを意識することなく、
反応してしまっている。

だからこそ、まず必要なのは、
「ポジティブに考えよう」
と無理に思い込むことでも、
心の声を消すことでもないんですよね。

自分の心の声に気づくことです。

そこに気づくと、
自分の反応を
少しずつ変えていくことができます。

すると、自分との関係も
少しずつ変わっていくんですよね。

 

2026.05.28.

「自分を認める」って  vol.6098

「自分を認める」って、単に“私はこれでいい”
と肯定することではなくて、
自分がどこで納得し、どこで違和感を覚えるのかを、
自分の感覚で確かめ直すこと
なんじゃないかと思うんですよね。

子どもの頃に教わる道徳って、
基本的には美しいんですよね。

「人の悪口を言わない」
「嫌なことでも頑張る」
「友達は多い方がいい」
「自分がされて嫌なことは人にしない」

どれも間違ってはない。

ただ、大人になってわかるのは、
こちらの誠実さや優しさを、
ちゃんと尊重してくれる人もいれば、
善意ある人だけじゃなく、
利用する人もいるってことですよね。

だから、成熟って、
「いい人でいること」ではなくて、

自分の善意を、
どこまで差し出すかを選べるようになること

なのかもしれないなって思うんです。

たとえば、悪口を言わないことは大事だけど、
「問題のある人について、必要な情報共有をすること」
まで禁止してしまうと、
自分や誰かを守れなくなるじゃないですか。

嫌なことでも
頑張ることは尊いけれど、
「自分を壊してまで我慢すること」
まで美徳にしてしまうと、
人生が苦しくなる。

友達が多いのは良いことかもしれないけれど、
「誰とでも仲良くしなければならない」と思うと、
自分の境界線がなくなる。

だから、
どの線で気持ちよさを感じ、
どの線で気持ち悪さを感じるのか
という自分の境界線って大事だと思うんですよね。

これはたぶん、
自己信頼の問題なんですよね。

“私は何を大切にしたいのか”っていう。

写真は紫陽花です。
もう咲き始めていますね〜。