
恐れには段階がある vol.6076
恐れには、段階があるんですよね〜。
最初は、ぼんやりとした違和感です。
うまくいかない理由がわからない。
なぜか動けない。
なぜか周りの人が気になる。
そして薄々、
その奥にあるものに気づき始めます。
「もしかして、自分は優秀じゃないのかもしれない」
「成功できないのかもしれない」
「人としてどこか欠けているのかもしれない」
けれど、多くの人は
ここで無自覚に止まってしまうんですよね〜。
だって、その一歩先に進むことは、
自分の前提を揺るがすと思っているから。
「そんなはずはない」
「いやいや、きっと違う」
「まだ本気を出していないだけ」
内側では、
こうやって争い、抵抗し続けている。
——そうじゃない自分であろうとする力と、
——そうかもしれないと感じている現実との間で。
この“曖昧な葛藤”が、
最もエネルギーを消耗させます。
であるなら、あえて言葉にして
言い切ってしまうことが効果的です。
「私は、大して優秀じゃないかもしれない」
「私は、友達が少ない」
「私は、成功に時間がかかるタイプだ」
一見すると自分を下げているように見えますが、
実際には、その逆なんです。
曖昧だったものが、確定し、
争っていたことに終止符がつく。
すると驚くほど、
本来のエネルギーが戻ってきます。
それに、認めることは、
諦めることではないんですよね。
むしろ、現実に直面可し、
「起点」なるんです。
優秀ではないかもしれない。
だからこそ、どう戦おうか。
友達が少ない。
だからこそ、どんな関係を築きたいか。
時間がかかる。
だからこそ、どんなペースで進むのか。
こうやってやっと、
人は“自分の人生”をリアルに考え始めれます。
恐れの正体は、しばしば
「そうであるかもしれない自分」です。
そして多くの人は、その可能性と戦い続けています。
けれど、その戦いをやめれば、
恐れは力を失うんです。
もう争う必要がなくなりますから。
「私は、そうかもしれない」
認めることは、厳しくも諦めでもありません。
むしろ、
とても現実的で、強さを持っています。
そこには、どう見られたいとか、
過剰な期待もありません。
ただ、“今の自分”があるだけです。
その地点に立てたら、
「じゃあ、ここからどうする?」
という問いを、本当の意味で持つことができます。
恐れをなくそうとするのではなく、
恐れの核心まで言葉にする。
それができたとき、
人はようやく、消耗から抜け出し、
本来の力を発揮し始めるんですよね。
写真は麦畑です。
むぎが揺れる音がなんとも心地よかったです。









