囚われている時 vol.5017
囚われている時はなぜか
一つの解釈以外を考えられない。
解釈を事実だと思い込む。
出来事をどう捉えるかによって
その人の事実は変わってしまう。
どこを見て、どう感じ、
何と比較し、どう考えるのか。
同じ出来事を見ても
失敗と捉えるのか成功と捉えるのか。
進んでいるのか停滞か。
理想を追っているのか幻想なのか。
解釈には幅がある。
別の見方をしたらどう解釈できるだろう?
囚われている時はなぜか
一つの解釈以外を考えられない。
解釈を事実だと思い込む。
出来事をどう捉えるかによって
その人の事実は変わってしまう。
どこを見て、どう感じ、
何と比較し、どう考えるのか。
同じ出来事を見ても
失敗と捉えるのか成功と捉えるのか。
進んでいるのか停滞か。
理想を追っているのか幻想なのか。
解釈には幅がある。
別の見方をしたらどう解釈できるだろう?
自分の意思で決めていくことと
流れに身を任せることの両方が大切だ。
前者は主体的と言い、
後者は積極的受け身とでも言おうか。
決して自暴自棄な受け身ではない。
全てが自分の努力でカバーできるわけはなく、
仕方ないことが起こるもの。
仕方ないと諦めたことが全て
将来もずっとダメなわけではない。
それどころか、
あれがあってよかったと振り返れることも多い。
感謝とは恵まれていることにいかに気付けるかだ。
最悪だと思っていたのに
もっと最悪なことが出てきて
「以前のは全く最悪ではなかった、
いやむしろ、よかった方かもしれない」
と気づく経験をしたことがあるだろう。
つまり、
感謝できる力は気づく力に比例する。
十分恵まれているといった視点から
今を見ると有難いことだらけなのかもしれないよ。
高3ラガーマンの息子が試合で骨折。
急遽、入院手術となった。
花園に向けて頑張っていたのに
この怪我は彼の高校ラグビー引退を意味する。
彼の高校でのラグビーは終わったのだ。
終わりは始まりだから
彼は次が始まったということでもある。
次々と区切りがきている2022。
きちんと終わらせて
次をしっかりスタートしていこう。
doingが出来ないことの言い訳に
beingを持ち出す人がいるが
doingが終わっていないのにbeingに進むことはできない。
beingを扱えば
全ての問題が解決することもない。
beingとdoing、thinkingにwillと
行き来しながら
総合的に深めていく。
自分の本当の気持ちを理解していないことは
思っている以上に多い。
自分が何を望み、何を恐れ、
どこに向かいたいのか、
はっきり出来たらそれだけで進むのにね。
進まなかったとしても
落ち着いてそこに居ることができる。
台風14号が迫る最中、
浜松で毎年恒例の4nessコーピング合宿を開催。
今年はbeingではなく
thinkingを深める合宿。
優秀な受講生たちは多くの気づきを得、
ヘトヘトになると同時に楽しんでいた。
学ぶ楽しさは格別だ。
それも良い仲間達との学びは心に刻まれる。
毎年合宿をやっているが
同じ内容の合宿は一度としてない。
毎回が2度とない貴重な時間。
台風のおかげで浜松に1泊足止めとなったが
鰻も餃子も堪能!
今年もありがとうございました!
レアらしい!
単純にうれしい♪
しかし、
急に寒くなったから
アイスも食べ収めかな。
部類の運動会好きな私としては
我が子たちの運動会が終わりを迎えるのは
本当に寂しい。
新型コロナの影響で
高校の体育祭観戦は最初で最後となったが
先日、息子の体育祭が行われた。
とても良い運動会だった。
子ども達が入園して始まった
私の運動会のセカンドステージは終わりを迎えた。
運動会のサードステージは
孫のそれなのかな⁈
あぁ…いろんなものが区切られていく1年だな。
結果を出すために変わることは大切だ。
しかし、
今のままでも結果を出すにはどうしたらいいかを
考えることも大切だ。
例えば、
こんな自分だからダメなんだ!
と責めるばかりではなく、
こんな自分でも結果を出すには?
と考えてみるといった具合に。