
やりすぎない。
放っておくと
やりすぎる傾向にある私。
小さい頃、
初めて食べたシーチキンの美味しさに心奪われ、
連続で2缶食べ、。
うんざりしてしまい、
それから2年、シーチキンを食べることができなかった。
シーチキンに限らず
好きになったら嫌いになるまで
そればかりを食べる。
ハマると飽きるまでやる。
やりすぎは良くない。
好い加減を意識しておかないと。

放っておくと
やりすぎる傾向にある私。
小さい頃、
初めて食べたシーチキンの美味しさに心奪われ、
連続で2缶食べ、。
うんざりしてしまい、
それから2年、シーチキンを食べることができなかった。
シーチキンに限らず
好きになったら嫌いになるまで
そればかりを食べる。
ハマると飽きるまでやる。
やりすぎは良くない。
好い加減を意識しておかないと。

未成熟の大豆を枝豆と言う。
この季節、未成熟の大豆は最高に美味い。
未成熟な私たちの今も、
当然美味しいはずだね。

寺田屋事件の詳細を綴った坂本龍馬の手紙が見つかったというNEWSを見た。
その手紙には
「寺田屋で襲われた後、西郷隆盛と会い、大笑いした」という記述があり
龍馬が寺田屋事件を振り返り
「うれしかったのは、京都の藩邸にいた西郷隆盛がこの事件の一報を聞き、
短銃に弾を込めて、私を伏見まで助けに来ようとしてくれたこと」といった内容の記載もあるらしい。
そうだよね!
やっぱり、そうだったんだよね。
と勝手に嬉しくなる。
そういうエネルギーだよね。

私たちが比較する時、
目的に合わせて比較する対象を変えている。
休みたいと思えば
「あの人も休んでいるし…」と休んでいる人を持ち出し、
頑張りたい時は
「あれだけやっている人がいるから私だって」と
よく頑張っている人を持ち出し、
自分と比較している。
つまり、
比較という道具を使って得たい感情を得ている。
比較して落ち込むということはよくあるが、
落ち込みたいために比較しているとも言える。
落ち込みたい為なんて一体、どんな目的なんだ?と思うかもしれないが、
「比較」は感情目的を達成する為に結構使える道具なんだ。

集中でき、仕事が一気に進んだので
時間を確かめると
たったの3分しか経ってない。。。
集中すると
時間があっという間に過ぎてゆく感覚があるが
さらに集中すると、
集中力が時間を追い抜く時がある。
時間の流れが一気に遅くなる。
それとも
私が早回しになっているのか?

こころが急に固くなる時がある。
クッと締まってしまい、
緩まらない。
こころがふわーっと緩む時がある。
あぁ…と言葉にならない。
時には涙が溢れる。
こころには人それぞれの傾向がある。
ある場面だと
硬くなりやすかったり、
柔らかくなりやすかったり。
その傾向を自身で理解するだけで
自分のこころは理解しやすくなる。

自分が自分になっていく今日を過ごすこと。
自分が成りたい自分に一歩近づく今日を過ごすには?
自分が成りたい人なら今日をどう過ごすか。
自分が成りたい自分になりきって今日を過ごしてみる。
すべては自分が自分になる今日を過ごすと決めるところから波及する。
判断の軸はここ一点だけで充分。

今度は左手の親指にほくろ。
しかし、確かこれは
何かに挟んだ記憶があるから血豆のはず。
右手と左手のひらにひとつずつ出来た!
ん?!
まさか老人性のヤツじゃないよね・・・。

あっちに行ったらダメだと見れば見るほど
そっちに行ってしまう。
意識が向いた方に自転車は進む。
自分の中も同じで
意識を向けたものが強化され、
強化されたことにより
現実に頻繁に見えるようになる。
頻繁に見えるようになったことにより
さらに強化される。
その仕組みを理解したら
さて、あなたは何に意識を向けようか。

そのまま帰るのが寂しくて、
ファーストフードで友人と一しきり話をして
家に帰ってた学生の時。
今もあんまし変わんないな。
何となくそのまま帰りたくなくて、
ちょっと呑む。
やってる行為の根本的なところって同じだよね。
きっと変わんないんだろうな。