
ばっかり…
娘は言う
「弟ばっかり…」
息子は言う
「お姉ちゃんばっかり…」
私にも記憶がある。
「妹ばっかり…」
ばっかりのあとに続くのはきっと
「それに比べて私は…」だろう。
そういう意味ではみんな、
自分ばっかりなんだね。

娘は言う
「弟ばっかり…」
息子は言う
「お姉ちゃんばっかり…」
私にも記憶がある。
「妹ばっかり…」
ばっかりのあとに続くのはきっと
「それに比べて私は…」だろう。
そういう意味ではみんな、
自分ばっかりなんだね。

白の中に黒が混ざれば白だと気づけるが、
白だけだと今が白だと気付けない。
例えば、
家庭環境は生まれた時からそこなので
それ以外の家庭環境に触れることなしに
自分が生まれ育った家庭環境は当然すぎて
異変があったとしても気付けない。
息子がまだ小さい頃、
TVの中でサザエさんが言った
「会社がお休みの土日に…」のセリフに心底驚き、
すごいスピードで私を振り返り
「土日休みの会社ってあるの?」と
尋ねてきたことがあった。
私の仕事は土日休みではない。
だから、
仕事のお休みは平日だと思い込んでいたらしい。
上記同様、
生きづらさでさえ、
その中に長くいたら気付けないことがある。
自分の生きづらさに気づけることは大切で、
生きづらさに気づくことで
生きづらさの改革へのチャレンジが始まってゆく。

たくさんの付箋に
たくさんの書き込み。
嬉しいなぁ♪
本は一生、出会えなかったであろう人との
ご縁を繋いでくれる。
私が一緒に取り組める人の数に限りはあるが、
どんどんいらっしゃい。
出会った意味が必ずあり、
きっとお役に立てれるはず。
ただ、驚かないでね。
私はみなさんが本を読んで思い描くイメージとは
違うタイプらしい。

健康や学習、成長といった終わりが明確でないゴールを
目指す際には特に、
プロセスを信じることが鍵となる。
ゴール達成のための必要なタスクを見据えたら、
経過チェック時以外は
ゴールを目指すより、
ゴールに向かうプロセスの遂行状態だけに注力する。
例えば、資格取得なら合格に必要な学習を
1日1日遂行することにフォーカスする。
例えばダイエットなら
ベストな運動や食事を淡々とやることにフォーカスする。
ゴールまで道のりが長い…とか、
ゴールに辿り着けるか?とか
効果的な別の方法があるんじゃ?とか
余分なエネルギーを使わず
淡々と淡々とプロセスに注力することは
安定的にゴールを近くする。

放っておくと
やりすぎる傾向にある私。
小さい頃、
初めて食べたシーチキンの美味しさに心奪われ、
連続で2缶食べ、。
うんざりしてしまい、
それから2年、シーチキンを食べることができなかった。
シーチキンに限らず
好きになったら嫌いになるまで
そればかりを食べる。
ハマると飽きるまでやる。
やりすぎは良くない。
好い加減を意識しておかないと。

未成熟の大豆を枝豆と言う。
この季節、未成熟の大豆は最高に美味い。
未成熟な私たちの今も、
当然美味しいはずだね。

寺田屋事件の詳細を綴った坂本龍馬の手紙が見つかったというNEWSを見た。
その手紙には
「寺田屋で襲われた後、西郷隆盛と会い、大笑いした」という記述があり
龍馬が寺田屋事件を振り返り
「うれしかったのは、京都の藩邸にいた西郷隆盛がこの事件の一報を聞き、
短銃に弾を込めて、私を伏見まで助けに来ようとしてくれたこと」といった内容の記載もあるらしい。
そうだよね!
やっぱり、そうだったんだよね。
と勝手に嬉しくなる。
そういうエネルギーだよね。

私たちが比較する時、
目的に合わせて比較する対象を変えている。
休みたいと思えば
「あの人も休んでいるし…」と休んでいる人を持ち出し、
頑張りたい時は
「あれだけやっている人がいるから私だって」と
よく頑張っている人を持ち出し、
自分と比較している。
つまり、
比較という道具を使って得たい感情を得ている。
比較して落ち込むということはよくあるが、
落ち込みたいために比較しているとも言える。
落ち込みたい為なんて一体、どんな目的なんだ?と思うかもしれないが、
「比較」は感情目的を達成する為に結構使える道具なんだ。

集中でき、仕事が一気に進んだので
時間を確かめると
たったの3分しか経ってない。。。
集中すると
時間があっという間に過ぎてゆく感覚があるが
さらに集中すると、
集中力が時間を追い抜く時がある。
時間の流れが一気に遅くなる。
それとも
私が早回しになっているのか?

こころが急に固くなる時がある。
クッと締まってしまい、
緩まらない。
こころがふわーっと緩む時がある。
あぁ…と言葉にならない。
時には涙が溢れる。
こころには人それぞれの傾向がある。
ある場面だと
硬くなりやすかったり、
柔らかくなりやすかったり。
その傾向を自身で理解するだけで
自分のこころは理解しやすくなる。