
思考を止める
繰り返したくないと意識しては繰り返している時、
突破できない時などは
偏ってしまってることが多い。
そういう時は思考を止める。
思考を手放し感じる。委ねてみる。
思考を手放し、
感じることに委ねるとバランスを取り戻す。
やるべきことがはっきりとわかる。
すでに豊かな自分に隅々まで理解が及ぶ。

繰り返したくないと意識しては繰り返している時、
突破できない時などは
偏ってしまってることが多い。
そういう時は思考を止める。
思考を手放し感じる。委ねてみる。
思考を手放し、
感じることに委ねるとバランスを取り戻す。
やるべきことがはっきりとわかる。
すでに豊かな自分に隅々まで理解が及ぶ。

こうなりたい!と
こうはなりたくない!の両方が大事だ。
モデルは模範となり、
反面教師は杭となる。
どちらがより自分を動かす動力になるかは
人に寄るように感じる。
私の性格だと、
こうはなりたくない!が重い腰を上げてくれ、
少しだけ理想に近づいたら
こうなりたい!を強くしていくと
良さげに感じる。

『甘い考え』にどれ程「甘い」と伝えても伝わらないもんだ。
自分の甘さに気づくのは
ダメな事実に直面化した後。
辛さを乗り越えた人しか、
考えの甘さ度合いはわからない。
例え甘い考えであろうと、
甘いなりの自分の考えがあるから、
周りの意見に合わせてうまくいってしまうより
自分の考えで勝負してみた方が
痛い目にあう分、学び深いのかもしれない。
転ばぬ先の杖は
自分で用意したものでなければ活かせない。
ケースにもよるが
転ばぬようにと杖を差し出すのは
ただのお節介でしかないのかもしれない。

好かれる人って
やって欲しいことをやる人というより、
やってほしくないことをやらない人なんじゃないのかな。
人は快を求めるより、
不快を強く嫌う。
好かれようとして頑張ってもそうならないのは
やってほしくないことをやってしまっている可能性がある。

人は単純なものほど気づけない。
シンプル過ぎて
素通りしてしまうのかも。
知ってしまえば、
なーんだ!と思うことは多くって、
ただただ知らないだけ。
知識は力になるだよなぁ。

最近の始業式は9月1日じゃない。
私たちの頃より夏休みは早く終わる。
今週からは新学期。
我が家の二人の受験生は天王山を制したのか?
どう過ごそうが
1日1日は確実に過ぎていく。
さぁ!新学期。
博多は急速に秋に向かってる。

本音と建前ってあるけど、
建前を自分の本音だと思い込んでるケースもある。
そもそも本音には意識と無意識があって、
意識の本音と無意識の本音で言うと
それは意識の本音が建前寄りな場合も多く、
無意識の本音が本音中の本音ということになる。
何を望んでいるんだろうね。
どうしたいんだろう?
何を得たら最高で、
何を失ったら嫌なんだろう。
これがきっと良いはずといった『判断』を
自分の『本音』と思っていたら
無意識の本音が頭を持ち上げた時に
後悔するよ。
使い古された言葉だけど、
本当に私たちの人生は一回しかないからね。

ここ1年、運動から遠ざかっていた私だが
久々ちょっと動いてみた。
身体の隅々にまで酸素が入っていくようで
気持ちいい!
と感じると同時に
申し訳なかったと
自分の身体に思わず謝ってしまう。
身体は動かした方が喜ぶ。
半世紀使った身体は
何もしなければどんどんしなやかさを失っていく。
放ってたらダメね。
カチコチに固まるし。
終わりまでしっかり走ってね、私の身体。

段取り八分の仕事二分というが
『段取り』は道具を揃えたり、
スケジュールを組んだりするばかりじゃない。
段取りはゴールの設定から始まり、
ここが最も大切で、
ゴール設定が違えれば
揃える道具もスケジュールも変わってしまう。
ダイエットで言えば
体重が減ることを目標にするのか
健康的な体重で生活し続けることを目標にするのか、
良いプロポーションを目標にするかでは
準備するものも、
スケジューリングも変わってしまう。
仕事で言えば
生活のための資金を稼ぐことを目的にするのか、
自分の輪郭を明確にする目的か、
社会を良い方向に変える一助を目的にするかでは
やはり、段取りは変わってしまう。
変わるのは段取りだけじゃない。
あなたが紡ぐ歴史が変わる。

子ども達は私にいろんなものを見せてくれる。
親としての感情はもちろん、
楽しむことや頑張ること、
忘れてしまっていた10代の肉体的や精神的感覚。
自分の人生以上に大切にしたいと
感じる人生に触れることで
考えることや思い出すこと、
気づくことは多い。
親にさせてもらって、
本当にありがたい。