2026.06.24.

人の魅力は、どこから生まれる?  vol.6095

人の魅力って色々だとは思うんですが、
たくさんの方々に会ってきて思うのは、
本当に深い魅力を持っている人には、
どこかに「傷をおってきた気配」があるんですよね〜。

これは、単に「苦労した人が偉い」とか、
傷ついた経験が多いほど
人として深くなるとかいう話でもないんですよ。

傷ついて、ただ硬くなる人もいるじゃないですか。
人を信用しなくなる人もいるし、
「どうせ人間なんて」と斜に構える人もいれば、
被害者意識を鎧にしてしまう人もいる。

だから、傷そのものが
人を魅力的にするわけではないんですよね。

何が人の存在に厚みを与えるのかを
考えてみると、

それは、傷ついた経験を、
恨みや防衛だけで終わらせず、
そこから何かを受け取り直してきたこと
じゃないのかなと思うんです。

特に、経営者やリーダーのように
「決める立場」にいる人は、
常に自分の存在を試されるじゃないですか。

人に裏切られることもあれば、
お金のことで眠れなくなることもあるだろうし、
社員や同僚にわかってもらえないこともある。

批判され、孤独になることもあれば、
自分の判断で、
誰かを傷つけることがあるわけですよね。

それでも、翌朝にはまた決めなければならない。

立ち止まりたくても、現実は待ってくれないし、
自分の未熟さを感じても、役割は簡単に降りれないし、
心が痛んでいても、組織は動いているわけで、
誰かが次の判断を待っているんですよね。

こういう場所を通ってきた人の言葉には、
重みが出ると思うんです。

きれいごとを言っても、きれいごとに聞こえない。
優しさも、ただの甘さではなくなる。
強さも、威圧ではなくなる。
謙虚さも、自己否定ではなくなる。

そういう人は傷ついたあとに、
「それでも私は、どう生きたいのか」
「それでも私は、人とどう関わりたいのか」
「それでも私は、何を信じていくのか」
を問い直し、
もう一度立ち上がった人だと思うんですよ。

その「それでも」が、人の存在を深くする。

そんな姿に、
人はその人のbeingの厚みを感じるんじゃないのかなと。

傷ついたあとに、
その人が何を選び直し、再び歩いているかに
惹かれるんだと思うんですよね。

2026.06.23.

希望を持ち続けるために  vol.6094

苦しみを生むのは、出来事そのものだけではなく、
「そんなことが起こるはずはない」「そうじゃないはず」
という、自分の中の“固い前提”なのかもしれないと思うんです。

私たちは無自覚のうちに、

人は分かり合えるものだ。
問題は、いつかすべて解決する。
結果が出ないのは、努力が足りないからだ。

そんなふうに考えていたりします。

もちろん、分かり合おうとすることも、
問題を解決しようとすることも、
努力を重ねることも大切です。

けれど、
「実現できるはずだ」と信じている理想そのものが、
現実とかけ離れていたとしたら。

私たちは、
望んだ結果が得られなかったことだけではなく、
信じていた前提を裏切られたことによって、
深く落胆するんだと思うんです。

現実には、
人は、完全には分かり合えないし、
一つの問題が解決しても、また別の問題が起こるし、
どれほど努力しても、
自分の力だけでは変えられないことがある
じゃないですか。

こうしたことを「現実の標準」として知っていれば、
一度結果が出なかったからといって、
すべてを諦めずに済むんじゃないかと。

やり続けている人は

「努力しても、うまくいかないことはある」
「それでも、働きかけると必ず伸びる」

と知っているからこそ、
少し休んで、また関わることできてるんじゃないかと
思うんですよね〜。

リアルを知るというのは、
起こり続ける問題に、
長く伴走するための力を持つことなんだと。

立ち止まりながらでも、
また働きかけていくために。

苦しみが、現実そのもの以上に、
自分の前提を裏切られたときに大きくなるのだとしたら、

「希望を持って、最善を尽くす」と同時に、
現実とはどのようなものなのかを、
十分に知っておくことが、
希望を簡単には手放さずにいられるポイント。

私は、そんな気がしています。

2026.06.22.

努力は、苦しむことじゃない  vol.6093

決めたことを全部こなす。疲れていても続ける。苦しくてもやめない。
そうしていると、「私は頑張っている」という感覚を
持ちやすいんですよね。

苦しんでいると
努力している感じがしますしね。

ただ、
タスクをこなすことと、
考えることや学ぶことは、
同じじゃないんですよね。

立てた計画通りに進めることに集中しすぎると、
いつの間にか、
本来のゴールを考えなくなってしまう
ことがあるんですよね。

当然、計画が悪いわけではなく、
計画があるから動けることって、
多々ありますからね。

ただ、計画って、
今、どこに向かっているのかの、
全体図なんですよね。

地図を見ながら歩いていても、
アクシデントは起こるし、
すんなり通れるところもあれば、
苦戦するところもある。

だから計画には
余白が必要なんですよね。

ただ、計画を
キチンとこなすためのタスク
と見てしまうと
苦しくなってしまうと思うんです。

苦しむことが努力じゃないですからね。

大切なのは、
計画を守ることではなく、
目標に近づいているかどうかなんですよね。

2026.06.21.

急いでいる時ほど  vol.6092

ここ2週間ほど、
「なんで、こんなことになるの?」
と思うようなことが、立て続けに起きてました。

いや、正確には、
いろいろなことが勝手に起きているというより、
自分で起こしている感じなんですよね〜笑。

まるで、
慌てて家を出たら携帯を忘れて、
結局、家に取りに戻って遅くなる。

「急いで出た意味、なかったじゃん!」
という感じです。

私はせっかちなので、
なんでも、どんどん進めたくなります。

たとえば、家を出る時間を決めると、
「その時間に出る」ことに
ロックオンされてしまう。

すると、
本来もっと大事なことが
抜け落ちちゃうんですよね〜。

時間どおりに家を出ることは、
本来の目的じゃないじゃないですか。

必要なものを持って、
余裕を持って目的地にたどり着くために、
出発時間を決めただけのはずなんですよね。

けれど、サワサワしていると、
いつの間にか
手段が目的に変わってしまうんですよ〜。

こういうときこそ、
意識して動きを遅くする。

一度、立ち止まる。

そして、
「そもそもの目的って、なんだったっけ?」
と考え直すことが大切。

慌てているときほど、
立ち止まる時間が大事なんですよね〜。

2026.06.20.

『The good doctor』  vol.6091

『The good doctor』 にハマってるんですよね〜。
自閉症の外科医、ショーンが成長していくドラマなんですが、
彼は正直で、人の感情が読めないんです。

その彼がさまざまな経験を通して、
社会性を身につけていくんですが、

同時に、
彼の周りの人たちも成長していくんですよね。

彼の存在によって、
周りの人たちは自分の中にある
偏見や防衛、見栄、優しさ、未熟さに気づかされていく。

ショーン自身が「変わる人」でありながら、
同時に周囲を変えていく「鏡」でもあるんですよね。

それは、見ているこちら側も同じ感じがするんです。

ショーンは、
気の利いたことを言おうともしないし、
相手に好かれるために過剰に話すこともない。

すべてを正面から見ていて、
必要なことを、必要なだけ言う。

ただただショーンとして
そこにいるんです。

その“不器用さ”が、
ドラマの中のショーンの周りの人だけでなく、
見ている人の人間性も刺激するんですよね。

人気な理由がわかる気がします。

 

2026.06.19.

W杯を何度も見てしまう… vol.6090

普段、私はほとんどサッカーを見ません。
選手の名前も、全くと言っていいほど詳しくありません。
けれど、ワールドカップが始まると、
なぜか夢中になってしまうんですよね〜。

国歌斉唱で涙を流す監督。

ほんの少し頭に触れたボールが、
ゴールへ吸い込まれていく瞬間。

日本代表として世界の舞台に立つ姿。

もう、涙なしには見られません。
そして、何度も繰り返し見てしまうんですよ。

それに普段、日本で暮らしていると、
日本のよさをわざわざ考えることって
少ないじゃないですか。

むしろ、自分たちの足りないところや、
改善すべきところのほうが目につきやすい。

けれど、海外の人たちが
日本人の姿勢や日本人選手のプレーを
評価しているのを見ると、

「日本って、すごいんだなぁ」

と、外からのまなざしを通して、
自国のすばらしさを感じるんですよね〜。

自分たちだけでは気づきにくいものを、
世界に教えてもらっているような感覚です。

国を誇るというと、
少し大げさに聞こえるかもしれませんが
ワールドカップを見ていると、
日本人であることをうれしく感じる。

頑張っている人を見ていると
俄然、応援したくなる。

自分ももっと頑張りたくなる。

こんな時間があることを、
とても幸せに感じます。

がんばれ!ニッポン!!!

2026.06.18.

原因がわからなくても、人は変われる  vol.6089

自分を変えたいと思ったとき、
私たちは、その原因や理由を知ろうとします。
「どうして、こうなったんだろう」
「なぜ、私はいつもこうなるんだろう」

ただ、原因を知ることは、
実はそれほど重要ではないのかもしれません。

原因がわからなくても、
できることを増やしたり、行動を変えることは
十分に可能だからです。

たとえば、自分が改善したいと思っている特徴を、
自分よりも強く持っている人がそばにいるとします。

その人を見ていると、

「私も、こんなふうに見えていたんだ」
「周りから見ると、こう感じるんだ」

と、まるで自分を外から観察するように、
自分のことが見えてくることがあります。

そうすると、原因を深く掘り下げなくても、
行動が変わり始めることがあるんですよね〜。

もちろん、原因がわかったほうが、
「だから私はこうなっていたのか」と腹落ちして、
変化が早く進むこともあります。

けれど、本当の原因が見えてくるのは、
意外と、少しできるようになってから
だったりするんですよ。

以前とは違う選択ができるようになり、
同じことに振り回されなくなった頃に、

「本当は、こう思っていたんだ」
「ああ、私はこれが怖かったんだ」

と、ようやくわかることって
少なくないんですよね。

その頃にはもう、
以前ほど原因を知りたいとは思ってないんですけどね。

原因がわかったから変われるのではなく、
変わり始めたからこそ、
原因が見えてくることがあるんですよね〜。

2026.06.17.

いつだって、やめていい  vol.6088

人って、不思議ですよね〜。
自分でやりたくて始めたことなのに、
いつの間にか、

「大変なことを抱えている自分」
「頑張らなければならない自分」

という感覚に陥ってしまうことって、ありません?

仕事も、恋愛や結婚も、
夢に向かうことだって、
最初は、自分が望んで始めたはずなのに

いつの間にか、
誰かにやらされているような気持ちになったり、
逃げられないもののように感じていたりするじゃないですか。

でも、冷静になってみれば、
大人になった私たちが、
本当に強制されていることは
それほど多くないんですよね〜。

仕事だって、学びだって、
恋愛や結婚、夢に向かうことだって、
いつだって、やめることはできる。

もちろん、やめれば何かを失うこともあるし、
責任を伴うこともあるけど、

本当に嫌なら、やめたらいいし、
もう違うと思うなら、手放したらいいんですよ。

それでも、最終的には
「続ける」と決めているのは
自分なんですよね。

だからこそ、
「いつ、やめてもいい」
という自分を持っておくことが
大切だと思うんですよね。

「絶対にやらなければならない」と思うと、
人は、苦しさや大変さばかりを
意識するようになるじゃないですか。

ただ、
「やめることもできるけど、私はこれをやる」
と思えていたら、
同じ行動が「義務」ではなく、
もう一度、自分の選択に戻ってくるんです。

「やめてもいい」は、
自分の人生の主導権を、
自分の手に取り戻すための言葉だと感じます。

写真はムラサキクンシラン(紫君子蘭)というらしいです。
シャンとしていて、君子という名前がフィットしてますよね。

2026.06.16.

必死な学びと、真剣な学び  vol.6087

学んでいる人たちを見ていると、
「必死な学び」と「真剣な学び」があるんだな、
と思うんですよね。

「必死」という言葉は、
一見すると良さそうに聞こえます。

もちろん、必死になる時期が
必要なこともありますが、

長く学び続けている人を見ていると、
結局いちばん集中していて、いちばん強いのは、
学んでいることそのものを楽しんでいる人
ではないかと思うのです。

余裕があるから強い、というよりも、
強くなるためには余裕が必要
と言った方が近いのかもしれません。

目の前のことだけを見て、
近視眼的な自分だけで走り続けるよりも、

少し離れたところから
自分を見ている自分がいた方がいい。

必死になっているときには、
できていないことばかりが目に入りがちですが、

俯瞰することができれば、
少しずつ進んでいることや、
以前とは違う自分にも気づくことができますからね。

何より、楽しんでいれば長距離を走れます。

何かを習得するって、
時間がかかるじゃないですか。

一朝一夕にはできないんですよね。

時間がかかるからこそ、
「楽しむ」ということは、
思っている以上に大切だな〜と思います。

楽しんでますか?

 

2026.06.15.

もう一度出会うための時間  vol.6086

弊社では、講座を受講された後に
リフレクションシートを書いていただいています。
振り返りを書くことはまるで
講座の中で心が動いた自分に、
もう一度出会うための時間だからです。

その場では確かに何かを感じていたのに、
まだ言葉にはなっていなかったこと。

自分の中ではわかっているようで、
実は、はっきり捉えられていなかったこと。

そういったものを振り返り、
言葉にしていくことで、
自分の体験が少しずつ、
自分にも見えるものになっていくんですよね。

オープンダイアローグの言葉を借りるなら、
リフレクションシートを書くことは、

自分の体験に、
誰かと共有できる言葉での表現を与える行為

だと思います。

 

ちなみに私は毎日、
ブログを書いていますが、

ブログを書く時間もまた、
心を動かされた自分に、
私自身がもう一度出会うことのできる、
貴重な時間です。

書こうとすることで、
私は、何に心を動かされたのか。
そこに、どんな意味を感じたのか。
本当は、何を伝えたいのか。
と、自分の体験をもう一度
たどることになるからです。

そして、私の内側にだけあった個人的な体験が、
言葉を得ることで、
みなさんと共有できるものになっていく。

リフレクションシートを書くことも、
ブログを書くことも、
単に起きたことを記録する作業ではないんですよね。

心が動いた自分に再び出会い、
その体験に言葉を与えること。

それは日々の出来事を、
自分自身で受け取り直す、
大切な時間だと感じています。