
じんましん vol.6049
先週、人生で初めて蕁麻疹が出て、
病院で受けた血液検査の結果を聞いてきました。
反応があったのは、スギだけ。
今回の蕁麻疹の原因が
はっきりしたわけではありませんが、
やはり、わんこの生死に関わる出来事が
相当ストレスだったのだろうなと。
そして、花粉症であることも
明確になって、
ほっとしたような、
花粉症が残念だったような。
まぁ、健康体ということで、
お薬をちゃんと飲んで
終わりたいと思います。

先週、人生で初めて蕁麻疹が出て、
病院で受けた血液検査の結果を聞いてきました。
反応があったのは、スギだけ。
今回の蕁麻疹の原因が
はっきりしたわけではありませんが、
やはり、わんこの生死に関わる出来事が
相当ストレスだったのだろうなと。
そして、花粉症であることも
明確になって、
ほっとしたような、
花粉症が残念だったような。
まぁ、健康体ということで、
お薬をちゃんと飲んで
終わりたいと思います。

最初に好きなものから食べるか、
最後に残しておくか問題ってありますよね笑。
私は断然、最初に食べたい派なんですが、
小学生の頃、友人が
「昔、好きなものを最後まで残しておいたら、
食べられなくなっちゃったことがあって。
それからは最初に食べるようになった」
と話していたことを、ときどき思い出すんです。
食事の時だけではなく、
例えば、
午前中に何から始めようかと考える時。
やっぱり、脳が元気なうちに
今日、一番やるべきことから手をつけたい。
脳も身体も、時間とともに
だんだん疲れていきますしね。
突発的なことが起こって
予定通りに行かなくなるって
結構、頻発するじゃないですか。
これって、あの友人の
「残しておいたら食べられなくなった」
という話に似ている気がするんですよね。
お気に入りの服や靴だって、
大事にしておいたばかりに、
使うチャンスを逃してしまったってこと、ありません?
大切だからこそ、後に残しておく。
大切だからこそ、最初に手をつけちゃう。
最近、あの友人の言葉を
ちょくちょく思い出すんですよ〜。
あなたはどちら派ですか?

自分がやっていることの意味がはっきりわかる。
それが何に、どう役立つのかが明確になる。
実は、これがモチベーションにつながっていくんですよね〜。
モチベーションって、
何のためにやっているのかを理解し、
そこに向かって何をすればいいのかが
わかっていることなんじゃないかな、と思うんです。
何のために、
いつ、何をどうする。
文字にすると、
たった2行なんですけどね。笑
だけど、この2行がわかると
迷いや雑念が減っていく!
あれもやった方がいい⁉︎
これもやらなければいけない⁉︎
そんなふうに、
頭の中の思考に
振り回されることが減っていくんです。
やるべきことが明確になると、
やらなくていいことも明確になる。
だから、本当に大切なことに
時間もエネルギーも使えるようになるんですよね。
やるべきことの明確さが、
自分を動かす力、モチベーションになるのなら、
ちょっと手を止めて、
自分が何のために、何をするのか。
そんなことを整理してみるだけでも、
自分の中にある力が
自然と発揮されていくような気がします。

おぉ〜きな枠組みで捉えて、
人生の目的が「成長すること」だ、と考えたら
選択に悩みすぎることも、
起こっていることを深刻に捉えすぎることも、
それほど重要ではなくなるんじゃないか。
って思うんですよね〜。
選択に悩むのは、
その後がスムーズに進むように、
できれば自分の思い通りになるように、
と強く願うからじゃないですか。
起こっていることを
深刻に捉えすぎてしまうのも、
「このことによって、
良くない方向に進んでしまったら……」
と考えるからなんですよね。
ただ、大きな枠組みで
人生の目的が自分の成長にあるとしたら、
大切なのは、
どんな選択をしたか、
どんな出来事が起こったか、
ということだけではなく、
自分がその後、どう向き合うか。
出来事をどう捉え、
何を、どう考え、
そして、どう動くのか。
そうしたプロセスが
大切なんだと思うんですよ。
別の言い方をすれば、
何に気づき、
何を学び、どう成長したのか。
だとすれば、
結果って、すべての最終地点では
ないんですよね。
結果は、次の成長につながる通過点に
すぎないのかもしれないなって。

先週、毛布を出しました。
毛布にくるまって寝るのが心地よく感じるほど、
福岡も気温が下がってきたんです。
なんなんでしょうね。
ぬくぬくのお布団で寝るようになると、
朝、起きたくない!
気持ちいいんですよね〜♪
寒さが、温かさを最高の幸せにしてくれるんです。
それって、
苦難を経験することで、
何気ない日常が感謝に変わったり、
幸せを感じる感度が高まったりするのと
似ているなぁと。
毛布の幸せを感じながら考えていました。
単にお布団から出たくなかっただけかもしれませんが。笑
今日から11月ですね。

休めば休まるわけでもないんですよね〜。
実際、休んでいるようで休んでいないことって、
あるじゃないですか。
例えば、気がかりなことがあるとき。
身体は休めていても、
頭の片隅ではずっとそのことを考えている。
何もしていないのに、なんだか疲れる。
そんな経験、ありませんか?
一方で、
「もうヘロヘロだけど、
今これを片づけてしまった方が、
メンタル的には楽!」
ということもありますよね〜。
実際、気がかりなことに取り組んで、
一区切りついた途端に、気持ちが楽になるし。
ようやく休めるんですよね。
つまり、身体を休めることと、
心が休まることは、
必ずしも同じではないということ。
もちろん、
疲れているときに
無理をする必要はないんですが、
休息って、心の負担を軽くすること
でもあるんだと思うんです。
大切なのは、
何をすれば自分が本当に休まるのかを
知っていることなんでしょうね。

5日間、何も食べられず、
わんこが4度目の危機を迎えました。
私も半ば諦め、
息子を呼び、娘にも帰省を促した翌日。
なんと、わんこが自分からご飯を食べ始めたんです!
実はその前日、
夫がわんこの口に、
ほんの一口ですが、
無理やり食べ物を流し込んでいました。
私の中には、
「もう逝かせてあげよう」
という気持ちもあったんです。
それが、無理やり食べさせた一口をきっかけに、
回復に向かうとは……。
これ、私にとっては結構、複雑な出来事でした。
無理はさせたくない。
わんこの望むままにしてあげたい。
そんな私の思いとは真逆の、
「無理やりにでも食べさせる」
という夫の行動。
そして実際に今回、
わんこは回復に向かっているんですよね。
「諦めてはいけない」と「もう諦めよう」。
その境界線って、
実はとても曖昧なものですよね。
しかも、どこで線を引くかは、
自分で決めなければならない。
同じわんこを大切に思っていても、
諦める境界線は違っていて、
もし私一人だったら、
あの一口はなかったかもしれない。
人が集まって何かに向き合う意味というか、
異なる考えや判断を持つ人がいることの価値を、
まざまざと感じた出来事でした。
写真は昨日のわんこ。
なんと散歩に行けた上、駆け出してました〜!!!

適切なタイミングをつかむって言ったらいいのかな。

例えば、体力をつけるとか、新しい技術を身につけるとか。
ある程度続けないと、なかなか結果が目に見えないものって、
苦手じゃありません笑?
私は苦手です。。。
少しずつでも変化が見え始めると、
俄然、やる気が湧いてくるのに、
そこにたどり着くまでが、なかなか続かない。
というか、
「変化が見えるまで」のやる気を保つことが、
難しいんですよね〜。
でも、他者を見ていればわかるんですよ。
変化が見えないことと、
変化していないことは、違うって。
昨日できなかったことが、
今日もできない。
だからといって、
昨日と今日がまったく同じかというと、
そうとは限らない。
目に見える結果にはなっていなくても、
その間に積み重なっているものは、
きっとあるんです。
私たちは、
つい結果で判断してしまいますが、
結果が出ていない時期も、
結果につながる大切な時間なんですよね〜。
だから、
なかなか変わらないなぁと思ったときこそ、
今日もやった。
そこをしっかり見ていく。
目に見える変化は、
いつも少し遅れてやってくるものですから。

「事実は何なのか」が最優先だと思うんですよね〜。
評価やジャッジは、いったん脇に置いて。
例えば、
今、何が起こっているのか。
誰が何と言ったのか。
何がどうなったのか。
意見や評価を取り除いて、
事実だけを語ってみると、それだけで
意外と冷静になれたりするんです〜。
例えば、
「相手から返事が来ていない」
というのは事実。
でも、
「きっと嫌われたんだ」
「私のことを軽く見ているんだ」
というのは、事実の「解釈」ですよね。
私たちの頭の中には、
いろんな自分がいて、
いろんな意見を言ってきます。
楽観的なものもあれば、
悲観的なものもあって。
それが、事実だけを見ることを
邪魔していたりするんです。
だからこそ、
「わかっていること、起こったことはここまで!」
と、いったん線を引いてみる。
そのうえで、
「私はこれをどう感じているのか」
「私はこれをどう評価しているのか」
と、分けて考えてみる。
自分の感じ方や評価が
間違っているわけではないんです。
ただ、それが事実とは限らない。
事実と、自分の解釈を分けて考える。
これだけで
見える世界は随分、違ってきますから。