2026.07.09.

どうにかなる  vol.6110

「どうにかなる」って、結構、強い言葉だと思うんです。
未来って、いつだってわからないじゃないですか。
どれだけ計画を立てても、
どれだけ準備をしても、
その通りに進むとは限らない。

でも逆に、予定通りに進むということは、
それはそれで、
自分の脳が想定できる範囲の中で物事が進んでいる、
ということで、
こじんまり治ってる可能性もあるんですよね。

もちろん、
予定通りに進むことは大切です。

準備が甘いまま、
「どうにかなる」
と言ってしまうのは違う。

でも、
考えられるだけ考えて、
整えられるだけ整えたあとに、
それでも予定からはみ出る出来事が起こる。

実は、大きな転機や、
規格外のビッグヒットって、
そういう“予定外”のところから
生まれることが多いんじゃないかと思うんです。

思ってもみなかった流れ。
予想外の一言。
予定が崩れたからこそ開いた道。

予定通りに進むことだけを
正解にしてしまうと、
そういう出来事を
「失敗」や「トラブル」としか
受け取れなくなってしまう。

でも、その時に心の中で、
「どうにかなる」
と思えるかどうか。

ここが、ものすごく大きい気がします。

「どうにかなる」は、
できることは全部やった上で
自分の想定を超えた出来事が起きた時に、
それを怖がりすぎず、閉じすぎず、
受け取ってみるための言葉なのだと思います。

未来は、いつもわからない。

だからこそ、予定する。
でも、予定にしがみつきすぎない。

やれるだけやったなら、
あとは、はみ出した出来事も含めて、
「どうにかなる」と思ってみる。

もしかすると、
人生が大きく動くのは、
予定通りに進んだ時ではなく、
予定外の出来事に出会った時なのかなぁと
思ったりします。

2026.07.08.

うまくいく人の真似だけでは、うまくいかないこともある  vol.6109

物事の進め方って、本当に人それぞれなんだなぁと思うんですよね〜。
例えば、大人と学生では、物事の進め方って違うじゃないですか。
学生の頃は、時間を長く確保できるし、
決められた範囲を、
試験に向けて一気に覚えるようなやり方が
成り立ちやすい。

でも大人には、
仕事があり、家庭があり、
まとまった時間が取れないことはしばしばで、
疲れ果ててる日も当然あれば
予定外のことに惑わされる日もある。

その代わり、
大人には大人の強みがあるんですよね。

これまでの経験と結びつけて理解できたり、
現場の具体的な場面に置き換えて考えられたり。

だから、例えば
初めてのことに取り組む時なんかは

まずは、
すでにできている人の言うことを素直に聞いて、
その通りにやってみる。

すでにできている人の知恵には
驚くことが多いですからね。

ただ、真似ても真似ても
自分がなかなか上手く出来ない部分は
自分の得意な進め方に合わせて調整していくことが
大切だと思うんですよね。

大人はすでに自分自身の特徴を
経験として理解してたりしますから。

誰かのやり方を真似ることは、
成長の近道です。

でも、最後に自分を動かしてくれるのは、
自分に合ったやり方なんですよね。

人の知恵を借りながら、
自分の得意を活かしていく。

大人の学びや挑戦には、
そういう進め方が必要な感じがします。

2026.07.07.

自分のリズムを取り戻す  vol.6108

締切や気がかりがない状態って、やっぱり伸び伸びしますよね〜。
そういうものが頭の中にないだけで身体も心もゆるみますからね。
ただ、その状態がずっと続いたら、きっと飽きちゃうんですよね。

平穏ではあるけど、
何かを達成した感じもなければ、
やり切った感じもない。

それはそれで、
少し物足りなくなると思うんです。

だからといって、
ずっとテンションを張りっぱなしだと、
今度はすり減ってしまう。

高級懐石料理ばかりでは疲れてしまうし、
お茶漬けばかりでも物足りない。

ゆるむ時間があるから、
また頑張れるし、
頑張る時間があるから、
休む時間が味わい深くなる。

集中する時間と
ぼーっとする時間の両方が必要で、

そうやって
自分にとって心地よいリズムを
取り戻すことが大事なんだろうと思います。

 

2026.07.06.

隣の老女  vol.6107

以前住んでいたマンションのお隣に、お一人暮らしの老女がいらっしゃいました。
ある日、その方が肋骨のあたりをとても痛そうにされていたので、
「大丈夫ですか?」と声をかけたんですよね。

すると、高校生の自転車と
ぶつかった話をしてくださいました。

驚いたのは、
その方が病院に行っていない
とおっしゃったことです。

理由を尋ねると、こう言われました。

「今から未来のある高校生に迷惑をかけちゃ可哀想でしょう」
「医療費を、もう未来のない自分に使うのはもったいないから」

私は時々、この話を思い出すんですよね〜。

その方は、
若い頃はきっとバリバリ働いてらっしゃったんでしょうね、
マンションを自分で買ったけど
東京に転勤になって、やっと住めてるのよ!と
おっしゃってましたから。

昭和の時代に、女性が仕事を持ち、
社会の中で自分の場所をつくってきた感じの、
優しいけど、凛とした雰囲気を持ってらっしゃいました。

で、先ほどの会話。

「自分の利益を優先するのは恥ずかしいことだ」
と私には聞こえたんですよね。

日本人の生き方だなぁって思ったんです。

相手の未来を思う。
迷惑をかけないようにする。
自分よりも、若い人を、社会を、まわりを先に考える。

それを何の悲観的な雰囲気もなく、
あっけらかんと実践なさっている。

もちろん、病院に行ってくださいと
お願いはしたんですが、
美しいなと、
そうありたいなと感じたんですよね〜。

2026.07.05.

偶然出会った言葉に、背中を押されるとき  vol.6106

偶然出会った言葉に、勇気をもらった。
そんな経験、ありません?

たまたま耳に入ってきた誰かの言葉や
ふと目にした文章。
おみくじに書かれていた一文。

「今の私に言われているみたい」
「やっぱり、この方向でいいのかもしれない」
「もう少し進んでみよう」

そんなふうに感じることってありますよね。

でもそれって、
その言葉が未来を予言しているというより、
自分の内側にある問いや葛藤と結びついて、
「進んでいい」という感覚を
取り戻させてくれてるんだと思うんです。

その結果、自己効力感や希望が
少し回復するんですよね。

心理的に言えば、
そうした偶然の言葉は、
今の自分が前に進むための意味を与えてくれる
“象徴的な資源”になると思うんです。

大事なのは、
言葉が人生を決めてくれるんじゃなくて、

その言葉をきっかけにして、
自分の内側にあった問いや不安に光が当たるって
ところなんですよね〜。

というのも、
そもそも自分の中に問いがなければ、
その言葉は素通りしていたと思うんですよ。
気づかなったはずなんですね。

だから、偶然の言葉が耳に入るときって、
自分の中にすでにあった願いや答えに、
もう一度触れているんだろうなって感じがするんですよね。

偶然出会った言葉に背中を押される。

それは、
自分の内側の声を受け取る力なんだろうな
って思います。

 

2026.07.04.

「小さな効果」は、本当に小さいのか ―研究でわかることと、人生が教えてくれること  vol.6105

「ありがとう」と感じたり、言葉にしたり、
感謝できることを具体的に振り返ったりする習慣には、
ウェルビーイングを高める効果がありますが、

2025年の大規模なメタ分析では
平均的な効果は小さい程度だったんですよね。

魔法のように、人生が一変するわけではないんです。

感謝する習慣によって、
注意を向けるものや出来事の受け取り方が、
少しずつ変わっていく。

そのくらいに考えるのが、
適切なのかもしれません。

でも、だからといって、
そうした習慣が無駄になるわけではないと思うんです。

この「少しずつ」が、
後になって大きく効いてくることを、
私たちは経験的に知っているじゃないですか。

研究で測定された一回一回の「小さな効果」と、
人生の中で何度も繰り返された結果としての
「大きな変化」は、
同じものではないんですよね。

このメタ分析も、
感謝する習慣が人生の中で長く繰り返されたとき、
その影響がどのように広がっていくのかまで
明らかにしたものではありません。

こう考えると、
少し不思議な気持ちもしてきます。

研究によって、
これまで分からなかったことが
明らかになることもあれば、

人が経験として知っていることを、
研究がまだ十分に捉えられていないこともある。

だからといって、
「研究しなくても分かる」と切り捨てるのも違うし、

「研究で証明されていないから、存在しない」
と考えるのも違う。

研究が教えてくれることと、
人が生きる中で知っていること。

どちらか一方を正解とするのではなく、
「偏らない」というのが、
必要なのかもしれませんね。

先日は満月でしたね〜!

2026.07.03.

言葉に全てできるほど、人生は単純でもない。 vol.6104

言葉にできるほど、人生は単純ではないんだと思うんです。
言葉にするということは、複雑な現実の中から、
ある部分を切り取ることじゃないですか。

切り取らなければ、人には伝えられない。
けれど、切り取った瞬間に、
こぼれ落ちるものがある。

言葉は、
経験を理解するための入口にはなるけれど、
人生の結論にはならないんですよね。

ラベルは、人を守ることがあります。

自分に起きていることを理解できたり、
苦しみから抜け出すきっかけになったりすることもある。

一方で、
その人が生きてきた時間や、
選んできたこと、
愛憎や葛藤、そこで獲得した力まで、
一枚の言葉で覆ってしまうこともあるんですよね。

自分の人生を、
他人が理解しやすい単純な物語にしてしまうことは
危険です。

同じように、
他人の人生を、
自分が理解しやすい単純な物語にしてしまうことも
危険だと思うんです。

人の中には、
相反するように見えるものが、
いくつも同時に存在しています。

好きだけれど、許せない。
苦しかったけれど、得たものもある。
逃げたかったけれど、自分で残ることを選んだ。

どちらか一方だけが、本当じゃないんですよね。
いろいろなものが共存している。

そのすべてが、
その人の人生なんじゃないかと思うんです。

2026.07.02.

母に似てきたなぁと思う時  vol.6103

ときどき、鏡やショーウィンドウに映った自分を見て、
「母に似てきたなぁ〜」と思うんです。

顔立ちが似ている、というよりも、
皮膚の感じだったり、
目元や口元のシワの入り方だったり。

まぁ、簡単に言えば、
私も老けたということなのですが。

こうなっていくんですねぇ〜。

2026.07.01.

てんとう虫のさなぎ  vol.6102

気になった植物の名前をチャッピーで調べると
思いがけず「てんとう虫のさなぎです」と表示されたんです。
植物の名前じゃないじゃん!と、驚いたんですが、

よく見ると、
虫がついてたんですよね。

点々があって、ちょっと気持ち悪い…とさえ
感じたんですが、
これがてんとう虫のさなぎだったとは!

てんとう虫って幸運のシンボルじゃないですか。
それが、たーくさん生まれてました!

2026.06.30.

一生懸命に変わりはない  vol.6101

たとえ、それが軽率な行動に見えても、
慎重すぎて、進みが遅いように見えても、
その人が一生懸命であることに、変わりはないんですよね〜。

その人の中で何が起こっていて、
何を考え、
どうすべきだと思っているのかなんて、
簡単にはわからないじゃないですか。

人にはそれぞれ、
歩いてきた過去がありますから。
それぞれの現実に向き合い、
悩み、考えながら、
自分なりのやり方をつくってきたんですよね。

もちろん、そのやり方が
その時の状況に合っているかは、
考える必要がありますが、

その行動だけを見て、
一方的に決めつけることはできないなぁと思うんです。

例えば、軽率に見える人も、
動けないように見える人も、
その人なりに悩み、考え、選択している。

表れ方が違うだけで、
一生懸命であることに変わりはないんですよね。