自分を優先する罪悪感 vol.6091
自分を優先する罪悪感ってありません?
インドの列車の中で、修行に向かう日本人の方と
一緒になった時の話です。
当時、20歳だった私の、
理想と現実のギャップの話をしていたら
その方が
「人は神様みたいになれるのかな?」
と言ったんですよね。
「そんなわけないじゃないですか!」と
すぐに答えたんですが、
「それを目指してませんか?」
と問われたのを思い出したんです。
子どもの頃に、どこかで
「いい人=自分の欲や都合を持たない人」
「正しい人=いつも人を優先できる人」
「成熟した人=怒らない、嫌わない、断らない人」
みたいなイメージを持ってしまうことってありますよね。
それって、ある意味で
“人間”ではなく“神様”を目指している
感じなんだと思うんです。
だから、大人になってから、
「私は何を大切にしたいのか」
「私はこれは嫌だ」
「私はこの人とは距離を置きたい」
「私はこれ以上は引き受けたくない」
と考えようとすると、
まるで自分がわがままになったような、
心が狭い人間になったような、
冷たい人になったような罪悪感を感じる。
素直な子ほど、
神様みたいに、誰にでも平等に優しく、
いつも正しく、いつも寛大で、
何も傷つかず、何も求めずにいることを
無意識に目指しちゃうんですよね。
そう求める周りの人の期待に応えたい
と思っているのかもしれません。
でもそれはできない。
人間だから、疲れるし、嫌だと思うし、腹も立つし、
大切にしたいものに優先順位が出る。
だから、
「私は何を大切にしたいのか」と問うと
罪悪感が出るのは、
心のどこかにまだ、
“自分を優先する私は、いい人ではない”
という古い基準が残っているからかもしれない
って思うんですよね。
でも本当は、
自分を真の意味で大切にすることと、
人を真の意味で大切にすることは、
繋がっていると思うんです。
自分の境界線がわからないまま人に尽くすと、
あとで疲れが出て、
相手への恨みや妬みにつながってしまうことって
あるじゃないですか。
今ならわかるんです。
人の成熟って
欲や感情を消すことじゃなく、
それを持ったまま、どう誠実に扱うかを選ぶこと
なんじゃないのかなって。
神様になることじゃなくてね笑。
自分を大切にすることを考えて
罪悪感が出たときは、
「他者の期待に応えるのではなく、
自分の期待にどう応えていくかを学んでいる」
神様になるのをやめて、
人として成熟するトレーニングをやっている。
くらいに見てあげると、
本当の意味で自分に優しくなれる気がします。
写真の金平糖みたいな丸い花は
ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)というらしいです。
よく見かけますが、初めて名前を知りました!
