
やったことがないことはまるで霧の中 vol.5534
やったことがないことは大概、1回目は散々だ。
散々だけど、やれば理解が及ぶ。
2回目は1回目よりはうまくやれるが、
やはり散々に変わりはない。
ただ、1回目とは違うところに理解が及び、
理解する範囲が少し広がる。
やっと、ずっと言われてたことにリアリティをやっ持つ。
回を増すごとにどんどんつながっていく。
まるでその世界の霧が晴れていくよう。

やったことがないことは大概、1回目は散々だ。
散々だけど、やれば理解が及ぶ。
2回目は1回目よりはうまくやれるが、
やはり散々に変わりはない。
ただ、1回目とは違うところに理解が及び、
理解する範囲が少し広がる。
やっと、ずっと言われてたことにリアリティをやっ持つ。
回を増すごとにどんどんつながっていく。
まるでその世界の霧が晴れていくよう。

忘れたいのに繰り返し考えてしまう。
そういった固執した状態にある時は、
人は過去を向いて生活している。
現在が過去に覆われている感じだ。
この状態を打破するには意外とトラブルが役に立つ。
「過去を向いてる場合じゃない」と一気に今に向かう。
トラブルじゃなくても良い。
新しいことを始める、旅行の計画を練るでもなんでも良い
「こんなことやってる場合じゃない」が大事だ。
人の脳は同時に何個ものことを考えられない。
一つのことしか考えられないんだよ。
だから、その一つを何にするかを選ぶんだ。

昨日は妙に好きなものでトゥッカーナのことを書いた。
私は基本、動物が好きだ。
身近では犬好きで、
ぞうさんやお馬さん、ひつじさんも好きだ。
そう!ひつじと言えば「ひつじのショーン」。
いたずら好きでアクティブで
知恵が働くショーンのドタバタ劇がとても愛らしい。
福岡県立美術館では12月24日まで
ひつじのショーン展があってるんだよなぁ。
行きたいなぁ。

なぜか妙に惹かれるモノってあるよね。
私にとってその一つはこの鳥、トゥッカーノ。
ブラジルを代表する鳥らしく。
大きくて鮮やかな黄色いくちばしが特徴的で
果物好きで人懐っこいらしい。
瞳がとても愛らしい。
壁紙に使われてても目がいっちゃうし、
コーヒーもトゥッカーノが載っているだけで選んじゃう。
好きっていいよねぇ。

誰に相談するかも
どの意見を採用するかもしないかも
最後は自分で決めている。
どんなにたくさんのアドバイスをもらおうと
自分で決めていくしかない。
例えどれも選べなくても
それはあなたが選ばないことを決めたこと。
自分の人生の責任は自分で取るしかない。
だからこそ、
自分が本当にやりたいことをやろうよ。
あなたはどんな人生を選択たい?

伝え方は工夫が必要だが
正直に伝えることは大切だ。
人は分かり合えないものだから。
誰もわかってくれなければ、誰のこともわかっていない。
自分のことさえわかっているとは限らない。
分かり合えないものという前提を承知で
だから伝えてみる。伝えていく。

記憶は曖昧だ。
記録を見返すと
記憶との違いに驚く。
記録からは
記憶していたのとは違う話が出てきたり、
聞けば良かった…と後悔していたことを
ちゃんと聞いていたり。
記憶って当てにならないな。

子ども達が大学で家を出て行くまでは、
早朝便や深夜便を使って日帰り出張を
繰り返していた。
特に冬の朝、
真っ暗で冷たい風が吹く中を
ゴロゴロ引きながら歩くのが嫌だったな。
それが久々、早朝便を使うと
朝一だから遅延はないし、
空港までの電車は空いてるし、
悪くない。
頻度もさることながら、
そうせざる得ないか、
自ら選択したものかの違いが大きいのかもしれない。

イラっとする中には
本当のことが含まれていることが多い。
傷つくことの回避で、
見ないようにしてきた本質に
直面化させられるからイライラしてしまうのだ。
イライラはチャンスだ。
あなたが目を逸らしてきたものを
まざまざと見せられている可能性が高く、
見たくなかった事実を明らかに観ることが
あなたの可能性を広げることにつながるから。

自分のことが自分ではわからないものだ。
特にどう見えているのかはわからない。
自分の肉眼で自分の顔を見ることはでいないし。
だから「私」のことを尋ねてみるのことは大事で、
その際、尋ねる人は選ばなければならない。
リアルに時間を共にしている人や
ゴールに向かって共に歩いた人、
そして愛がある人がいい。