
そもそもは見落としがち
話す、動く、意識する、
それそのものに意味がある。
そもそも出来ること、
そもそも備わっているものに
人は特別感や成功法則を感じたりしない。
自分にはないもの、
欠けてるものを見たとき、
触れたときに
これだ!と感じ、意識し、動き、話をする。
つまり、話をしている人が
どれほど自分を理解しているかはいつも別問題なんだ。

話す、動く、意識する、
それそのものに意味がある。
そもそも出来ること、
そもそも備わっているものに
人は特別感や成功法則を感じたりしない。
自分にはないもの、
欠けてるものを見たとき、
触れたときに
これだ!と感じ、意識し、動き、話をする。
つまり、話をしている人が
どれほど自分を理解しているかはいつも別問題なんだ。

人を傷つけた時は同時に、
自分も傷ついている。
人を大切にした時は同時に
自分も大切に出来ている。
誰かを深く愛せている時は同時に
自分も深く愛せている。
他者への想いのエネルギーは
決して一方方向に作用するだけではなく
同時に自分へも同じエネルギーがかかる。
ということは、
傷ついた時は同時に、
相手も傷ついていて、
大切にされた時は同時に
相手が自身を大切に出来ていて、
深く幸せを感じた時は同時に
相手も深く幸せを感じている。

苦手なこと、
尻込みすることに
自ら向かってみる。
イヤイヤではなく、
ノリノリで待ち構える。
たったそれだけで
大きいと思い込んで逃げ回っていた課題は
実物大の大きさとなる。

感情は、
あなたの中心にもどるためのヒントだ。。
自分がどう感じているかを
よく観察することで
自分を深く知ることが出来る。
時間の経過とともに
自分自身も変わるから
定期的に自分の棚卸が必要になる。
今の自分は何が嬉しくて、
何が誇らしくて
どんな事が嫌で
どんなことが最も楽しくて
何を成したいと思っているのか。
自分は自分をよく知っているが、
同時に、
自分は自分を全くわかってないものだ。

母は68歳でこの世を去った。
母の歳まで生きるとすれば、
桜が見れるのもあと18回。
この春も、この夏も
あと18回と思うと
わたしの中にしみいる。
また今度!
が最後の別れとなる人も
いるんだろうな。
薄っすら、
終わりが見えてきた。
丁寧に、丁寧に。
今日を今を過ごしていきたいな。

梅干しを見て唾液が出ることに
私たちは悔やみはしない。
なぜ、唾液を出してしまったんだろう…と
体の反応に対して
後悔の念に苛まれることはない。
しかし、
同じ反応でも
心の反応に対しては後悔する。
また、あんな風に感じてしまった…。
なぜ、いつもこう思ってしまうのだろう。
「梅干し→唾液」といった
体の反応と同じで
本当は心の反応もただの反応で
辞めれないだけなのかもしれないのに
心の反応には
敏感に後悔し、辞めれないものかと願う。
私たちは態度を選ぶことができる。
心が反応したからって
それに態度を従う必要はない。
梅干しを見て唾液が出たら
唾液を飲み込むのか、
唾液を吐くのか、
唾液を無視するのか、
その後の態度を選ぶことができるように、
心が反応したら、
心のままに従うのか、
違う方法を選ぶのか、
それとも何もせずに傍観するのか等、
その後の態度は選ぶことができる。

年頃の娘と年増の私は
体重がへらないか?!と体重計に乗り、
ラグビー部の息子は体重が増えないか?!
と体重計に乗る。
しかし、
脂肪という名のぬいぐるみは脱ぎ捨てたい
と思っている私たちの体重は一向に減らず、
ラガーマンになりたい息子の体重は一向に増えない。
どういうこと???
どちらも、思い通りにいかないみたい。
ストレスへの対処は立ち向かうというのも一つの手だが、回避するというのも一つの手だ。
ストレスは取り扱いの選択が大切でその際、wishがclaimになってないかチェックする必要がある。
私たちにとって、体重はclaimになっている!
体重計はもう隠してしまおう。

息子がチョコをもらって帰ってくるかは
母としては気にならないことはない。
沢山もらってきてもアレやし、
0でも…ねぇ。
彼にとってドキドキな今日は
テスト開始日。
好きな子から貰ったチョコレートは
同じチョコでも
ママのチョコとは
きっと味が違うんだろうな。
取り急ぎ、
テスト頑張ってらっしゃい!

すれ違う犬と目が合う。
互いに立ち止まるほどすごく目が合う。
何か繋がってる?
もしくは
以前、繋がっていた?
通り過ぎて思う。
まさかあいつ、振り返らないよね?!
と振り返ると、
あいつも振り返ってたー!
ご近所でも話をしない人がたくさんいるのに
東京や大阪、海外の人と密接につながるのって
何なんだろう?と思うことは
しょっちゅうだが、
人と繋がらないのに動物と繋がるって…。
コミュニケーションは
言葉だけでは決してないことが
わかるよねぇ。

先日は娘の16の誕生日。
16年も母をさせてもらっている故か、
思春期は大切だと思いすぎているからか、
母は娘を前にすると
変なスイッチが入ったりする。
何だろう…ときどき、
落ち着いて話ができなくなったり、
望む姿を押し付けてしまったり、
普段、
自分にかけている様々な制限が
娘を通して見えたりする。
もっともっと頑張れ!とも思えば、
心地よさが最優先でいいんだ!とも思う。
矛盾だらけとわかりながらも
どれも本心だし、
母として大丈夫か?と
私が私を疑ってもいれば、
こんなものだと良く諦めてもいる。
私の人生は私の責任であり、
あなたの人生の責任は
あなたが取るしかない。
あなたの責任まで勝手に背負おうとして
時々、冷静でいられなくなっているよう。
母の立場になると、
そんなシンプルで単純明快なことがふっと
わからなくなるんだよ。
いつもそうだけど、
祈るしかないね。
素敵な16歳になりますように。
良い出会いに恵まれますように。
笑顔で毎日を過ごせますように。