
偽物感
私の虚しさを最も刺激するのは嘘。
誰に嘘をつこうと構わないが
自分への嘘はあかん。
自分へのごまかしや嘘は
偽物感につながる。
魅力が半減する。
それに、
ちゃんと生きれないじゃん。

私の虚しさを最も刺激するのは嘘。
誰に嘘をつこうと構わないが
自分への嘘はあかん。
自分へのごまかしや嘘は
偽物感につながる。
魅力が半減する。
それに、
ちゃんと生きれないじゃん。

人生に恐れを感じる時は、
自信を失ってるんだ。
自信を付けなきゃ!というより
取り戻さなきゃ。
やってきたじゃないか。
充分にやってきた。
そう!どうにかこうにかでもやってきた。
今に至るまでに色々あったけど
充分、やってきてるじゃないか。

意欲が続かないのは
結果が見えないから。
結果が出る感じがしないからで
意欲の問題じゃなくて、やり方の問題かもよ。
やり方を探ってみよう。
自分にフィットする方法を探ろう。
これだ!といった感覚があれば
随分と違ってくるかもしれない。

繰り返したくないと意識しては繰り返している時、
突破できない時などは
偏ってしまってることが多い。
そういう時は思考を止める。
思考を手放し感じる。委ねてみる。
思考を手放し、
感じることに委ねるとバランスを取り戻す。
やるべきことがはっきりとわかる。
すでに豊かな自分に隅々まで理解が及ぶ。

こうなりたい!と
こうはなりたくない!の両方が大事だ。
モデルは模範となり、
反面教師は杭となる。
どちらがより自分を動かす動力になるかは
人に寄るように感じる。
私の性格だと、
こうはなりたくない!が重い腰を上げてくれ、
少しだけ理想に近づいたら
こうなりたい!を強くしていくと
良さげに感じる。

『甘い考え』にどれ程「甘い」と伝えても伝わらないもんだ。
自分の甘さに気づくのは
ダメな事実に直面化した後。
辛さを乗り越えた人しか、
考えの甘さ度合いはわからない。
例え甘い考えであろうと、
甘いなりの自分の考えがあるから、
周りの意見に合わせてうまくいってしまうより
自分の考えで勝負してみた方が
痛い目にあう分、学び深いのかもしれない。
転ばぬ先の杖は
自分で用意したものでなければ活かせない。
ケースにもよるが
転ばぬようにと杖を差し出すのは
ただのお節介でしかないのかもしれない。

好かれる人って
やって欲しいことをやる人というより、
やってほしくないことをやらない人なんじゃないのかな。
人は快を求めるより、
不快を強く嫌う。
好かれようとして頑張ってもそうならないのは
やってほしくないことをやってしまっている可能性がある。

人は単純なものほど気づけない。
シンプル過ぎて
素通りしてしまうのかも。
知ってしまえば、
なーんだ!と思うことは多くって、
ただただ知らないだけ。
知識は力になるだよなぁ。

最近の始業式は9月1日じゃない。
私たちの頃より夏休みは早く終わる。
今週からは新学期。
我が家の二人の受験生は天王山を制したのか?
どう過ごそうが
1日1日は確実に過ぎていく。
さぁ!新学期。
博多は急速に秋に向かってる。

本音と建前ってあるけど、
建前を自分の本音だと思い込んでるケースもある。
そもそも本音には意識と無意識があって、
意識の本音と無意識の本音で言うと
それは意識の本音が建前寄りな場合も多く、
無意識の本音が本音中の本音ということになる。
何を望んでいるんだろうね。
どうしたいんだろう?
何を得たら最高で、
何を失ったら嫌なんだろう。
これがきっと良いはずといった『判断』を
自分の『本音』と思っていたら
無意識の本音が頭を持ち上げた時に
後悔するよ。
使い古された言葉だけど、
本当に私たちの人生は一回しかないからね。