
社名はngoro-ngoro
タンザニア北部のngoro-ngoro自然保護区から
いただいた名前。
本当はンゴロンゴロと発音するけど
弊社はウンゴロウンゴロと呼ぶ。
地球上のヒトの祖先はアフリカで誕生し、
その後世界中に伝播していったとする
アフリカ単一起源説から、
弊社も世界中に広がっていくような楽しい、
役に立つような仕事をしたいね!といった想いから名付けた。
あーーーっ!このコーヒー豆‼️
弊社を思い出してくださって写真を送ってくれた。
ありがとう!

タンザニア北部のngoro-ngoro自然保護区から
いただいた名前。
本当はンゴロンゴロと発音するけど
弊社はウンゴロウンゴロと呼ぶ。
地球上のヒトの祖先はアフリカで誕生し、
その後世界中に伝播していったとする
アフリカ単一起源説から、
弊社も世界中に広がっていくような楽しい、
役に立つような仕事をしたいね!といった想いから名付けた。
あーーーっ!このコーヒー豆‼️
弊社を思い出してくださって写真を送ってくれた。
ありがとう!

先月は生きていたら77歳の母の誕生日があり、
母が亡くなって丸っと10年の命日もあった。
10年経つと随分と変わることがある。
当時、幼稚園生と小学生だった子どもたちは
今春、中学と高校を卒業する。
父は変わらず元気だけど、
加齢による衰えの露骨さは
10年の時の重さを感じさせる。
衰えの露骨さで言えば私も同じだ。
当時40代だった私は50代になった。
50代の私が40代の私を
若かったなぁと思い返すなんて、
チビ達が一丁前に高校生や大学生になるなんて、
父がこんなにもおじいちゃんになるなんて、
ぜーんぶ、全く想像できてなかった。
これから10年経ったら、
今をどんな風に思い返すんだろう。

「意味があることしか起こらない」とか
「全ては必然」といった言葉じゃ足りないくらい完全に
必要なことしか起こってないとしたら
どうだろう⁈
そこに気づけてないとすれば
出来事の解釈が浅いのか、
せっかくの出来事なのに活かせてないのか、
その両方か。

同じ受験生でも娘と息子の様子はまるで違う。
高3の娘はストレスが身体にも出るほど
ピリピリしているが、
中3の息子はのんびりしていると言うか…
見ていて腹立たしささえ覚えると言うか。
高3の娘は追い詰め型の満身創痍なら
中3の息子は呑気型の平穏無事な感じ。
二人の違いのひとつは
ギリギリを狙っているか、
比較的余裕なところを狙っているか。
目標のチョイスそのものに
それぞれの、そもそもの思考が現れていて、
ギリギリを狙うことこそ成長といった長子と
そんな長子を見て育った、
背伸びしない、安心してその場に居ることができる次子。
タイプの違いが明確化している。
まぁ大切なのは
自分のタイプや特徴を自分で理解して
どう補い、どう活かすかなんだよねぇ。
ふたりとも、がんばれ!

勝ち負けが気になる人がいる。
負けてはならない!と
どこかでファイティングポーズを取ってしまう時がある。
恐れなんかなぁ。
自分の存在が霞んでしまいそう?
それとも
人生は戦いの連続とか?
力を抜いてみよう。
受身やリラックスを実験してみよう。
受け入れるといった力をつけてみよう。

不快=自分
頑張っても報われない=自分
イライラさせる=自分
意識では考えられないだろうが
そうやって自己存在を確認する人がいる。
私は努力していますで満足するタイプもいる。
努力で満足だから、達成することがない。
孤独を回避したいと意識しながら、
孤独を確認することで自己確認する人もいる。
自分が求めてやっているとしたら
あなたは何で自己確認しているんだろう。

だいたいそうなんよね。
『捨てる神あれば拾う神あり』なんよ。
経験上、確信に近い。
そして結果、
そっちの方が良かったりするから
捨ててくれて助かった〜!と思うもんなんよ。

平気な顔をわざわざする必要もないだけど、
罪悪感を持ちすぎる必要もない。
大きく捉える癖があるのかもしれない。
どんどんネガティブに展開させて
最悪の状態を考えることが
過去に有効だったのかもしれない。
しかし膨らましすぎた罪悪感は
あなたから未来の希望を奪いかねない。
罪悪感の程度を測ってみよう。
罪悪感を強く感じすぎる傾向にあるときは
そう考える癖があること自体を意識しよう。
自分が思うほど相手が思っていないことに気づこう。
自分をもっと大切に扱う術をトレーニングしていこう。

確か
「苦しみは、その意味を見出されたときに苦しみではなくなる。」
と言ったのはフランクルだった。
苦しみだけじゃないと思う。
例えば、ピンチはその意味がわかった瞬間に
チャンスに変わるし、
例えば、この出来事が起こった意味を理解した時、
それはただの出来事ではなくなる。
そういった『仕組み』がわかるなら、
全ての出来事に意味を見出してみよう。
運が良いとか悪いとか、
好きだ嫌いだを超えて、
いつも意味を考えるんだ。
大切なことに気づけるようになる。

私の講座要項には
「子どもの行事のため講座を変更いただく事があります」
と書いてある。
といっても、
子ども優先とはいかず「ごめんね、行けない」と
子どもに謝る場合もあれば、
実際に講座を変更いただいて受講生に
「助かります!ありがとう」といったケースもあって、
結局、どっちも中途半端。
年始からは父のことがさらに加わり、
家族は当然、受験生の子どもにも受講生にも
みーんなにご協力いただいている。
中途半端なその先をいつも誰かに
つなげてもらっています。
本当にありがとう。